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今回は小麦です。
沖縄では小麦の消費量が比較的多いにも関わらず、消費金額が少ないです。
つまり、沖縄の小麦は安いことが分かります。
ちなみに「金楚糕」はご存知ですか? 読めますか?
これは「ちんすこう」と読みます。今や沖縄の定番お土産ですね。
沖縄に行ったことがなくてもその名を知っている人は多いのではないでしょうか。
黄金色に輝く(=金)、ほどけるような口当たりの(=楚)、
焼き菓子(=糕)という名の由来があるそうです。
1400年ころから、琉球最後の王・尚泰の時代まで、琉球には冊封制度がありました。
冊封とは、中国周辺にある各国の有力者が、
中国皇帝から国王として承認を受けることです。
そして、新国王の即位式を執り行うために、
中国皇帝の名を受けた冊封使が、任命書を持ち各地に派遣されました。
料理座の包丁人「新垣淑規」が中国へと渡り「中国菓子」を学びました。
彼は薩摩藩奉行への接待のために日本の菓子の知識もあり、
その双方の知識から琉球独自の菓子として「ちんすこう」が作りだされたのです。
つまり、元来ちんすこうは庶民の食べ物ではなかったです。
琉球王朝でも王族や貴族が祝い事の際に食べるお菓子として珍重されていたとか。
ここで話を小麦に戻します。
ちんすこうの材料は、小麦粉・砂糖・ラードのみ。
伝統菓子に小麦が使われているということは、
沖縄では昔から小麦が栽培されていたことになります。
他にも「沖縄そば」の麺は100%小麦で作られておりそば粉は入っていません。
沖縄と小麦にはいったいどういった関係があるのでしょうか。
現在、県麦生産組合が推奨している県産小麦は薄力粉の「江島神力」と
中力粉の「あやひかり」、強力粉の「ゆめひかり」の3種類で、
江島神力は沖縄在来のもの。
大正時代に品種改良されたもので、独特の香ばしさと粗さが味わいの品種です。
戦前の沖縄県全域で自家消費用に育てられており、
特に温暖な気候と豊かな土壌に恵まれた伊江島は
小麦の一大産地として栄えていたそうです。
しかし戦後、状況は一変。
畑では単価の低い麦からサトウキビやイモ、
野菜への転作が進むと同時に、
米国で作り過ぎた小麦が食糧支援という形で
沖縄に大量に入ってくるようになったことで、
沖縄の麦文化は衰退していったのです。
こうした流れはお米と同じですね。
かつての一大産地である伊江島では戦時中も、
防空壕に小麦の種を隠し、
戦後はその種を島中の農家が分け合うことで守られてきましたが、
栽培農家の高齢化などで、生産自体がなくなりかけていた時期も。
しかし、「伊江島の小麦を守りたい」という農家の人々の想いが繋がり、
自家消費のために江島神力を育てる文化が今も残っているのです。
小麦が庶民の間で広がり始めたのは1900年頃から。
それまで小麦は非常に手に入りにくく高級でした。
小麦が庶民に広まりを見せると同時に、
沖縄そばの原型である「支那そば」、そして「ちんすこう」が広まりました。
世界三大穀物のひとつ「小麦」は沖縄の食文化にも大きな影響を与えています。
出典
沖縄の歴史INDEX
http://chinsuko.co.jp/index.html
新垣ちんすこう
https://ryukyushimpo.jp/style/article/entry-410891.html
琉球新報Style 「新鮮直送」香り高く 広がる県産小麦 2016年12月13日

株式会社伊江島物産センター
https://www.iejima-komugi.jp/user_data/iejima-wheat.php
伊江島家族
~終わり~
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