ハングル併記の看板たち。韓国人観光客の激減と朝鮮との歴史|2020年 対馬旅行記 その5

対馬旅行記

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今回は【2020年 長崎・対馬旅行記】その5をお届けします。

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ハングル併記がスタンダード

例えば、沖縄の離島は日本人の旅行先として定番ですが、「対馬」はあまりピンと来ないですよね。

最近の対馬は、韓国からのお客さんがとても多かったです。

まちなかにある郵便局にも、漢字の横にハングルが併記されていますが、対馬にある看板のほとんど全てにハングルが併記されています。

そしてちらっと「東横イン」も見えています。対馬には東横インが2つあります。

どれだけ多くの方が訪れていたか、長崎県の統計をもとにグラフを作成してみました。

こちらは「年次別外国人観光客数」。

外国人と言っても、韓国以外の国からはほとんど来ていません。例えば、2018年の中国人観光客の宿泊客延べ滞在数は170人です。

外国人観光客がぐっと増えた2017年からは、日本人観光客が急減しました。

2019年に日韓関係が冷え込むと、韓国からのお客さんも激減し、日本人観光客も韓国人観光客もいなくなってしまったという状況です。

昔から朝鮮との関わりが強かった

対馬は昔から、朝鮮と関わりが強い島です。

歩道に設置されていた『朝鮮通信使関連地マップ』。

朝鮮通信使とは、かつての朝鮮国が日本に派遣した外交使節団。江戸時代には12回来日していますが、彼らはまず対馬に上陸し、その後壱岐・下関を経由して江戸を目指したそうです。

このマップに載っているだけでも、厳原には15か所の関連地があります。

毎年8月に行われる行事では、朝鮮通信使の行列が再現されており、対馬の夏の風物詩になっています。

ちなみに、こちらは厳原港の目の前に建てられている看板たち。全部ハングルで書かれています。

私が求めていたのはまさにこうした、「ここでしか見れない」「今しか見れない(かも)」景色。

こちらは厳原の街中にあった、在日本大韓民国民団長崎県対馬支部

在日の韓国の方向けの生活者団体のようです。

厳原で対馬の歴史に触れる

鎌倉時代から明治時代にかけて、対馬は『宗氏』という氏族が支配していました。

こちらは厳原市街にある「金石城跡

17世紀後半に城になり、それ以降近世にかけて、宗氏の居館が置かれ、対馬治世の拠点となりました。

こちらは対馬藩主宗家墓所。

1615年に建立され、その7~8年後に萬松院(万松院)という名前が付けられました。

過去に一度、大火で焼失しており、現在の本堂は1880年に再建されたもの。山門だけは焼失を免れ、江戸時代前期に建立されたそうです。

入場料300円ということで、中には入らず入口でUターン(笑)

ちなみにここが日本三大墓地のひとつなのだそう。

他の2つは金沢市の前田藩墓地、萩市の毛利藩墓地です。

厳原から港へ歩く

車を借りる10時が近づいてきたので、港へと戻ります。

JTBもあります。JTB総合提携店対馬旅行センターというそうです。

「何だかとても味がある建物だなぁ」と思って撮った一枚。

一見朽ち果てているように見えますが、何らかの用途で使われているようでした。

家の駐車場に車を留めているのと同様に、海(運河)にボートが係留されています。

きっとこういうのが、本来の対馬の姿なのでしょう。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

★動画編★

【島旅】2020年 対馬旅行記 第4話

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