【島旅】2020年 長崎・対馬旅行記 その8

対馬旅行記

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ありがとうございます。

本日は
【島旅・2020年 長崎・対馬旅行記】
その8をお届けします。

★その7はこちら★

浅茅湾の複雑な海岸線と、
湾に突き出した城山の地形を利用し、
築かれた金田城。

標高は276mの城山。
その山頂を目指して歩きます。


こちらは「東南角石塁」。
城山は総延長約2.2kmにもなる
石塁(石垣)に周囲を囲まれています。

金田城は戦国時代のように
地元の権力者が築いた城ではなく、
667年の大和政権によって築城されました。



写真の奥にある
グレーのカバーに覆われた場所が
「南門」となのだそう。
カバーに覆われているのは
保存のためでしょう。

金田城跡は2017年、
続日本100名城
に選ばれました。

こちらは「金田城壁石垣」。
登山道を歩いていると、山に残された
城の跡を見ることが出来ます。

金田城は2019年にNHKで放送された

「あなたも絶対行きたくなる!
日本『最強の城』スペシャル」第4弾


日本最強の城
選出されたそうです。

番組内で定義されている
「最強の城」とは、
城好き芸能人の皆さんが選ぶ
「視聴者の皆さまに
ぜひ訪ねていただきたい」城

のことなのだそう。

登山道はこんな感じ。

この写真で見ると
険しい道のようにみえますが
そんなにハードではありません。

私以外に歩いている人はいません。
山の中なので
イノシシとか出てこないで~
と念じながら歩きます。

こちらも石垣。

外国からの侵略を恐れた倭は
辺境の地、対馬・壱岐・筑紫の国等に
外敵の襲来などを
都に急報するための設備
「烽火(とぶひ)」
国境守備兵・防人(さきもり)
を配置しました。

つまり、対馬は
国土防衛の最前線
と位置付けられたのです。

「日本書紀」には
667年11月に高安城(大阪府・奈良県)、
屋嶋城(香川県)、そして金田城を
築いたと記されています。

頂上まで残り10分のところまで
やって来ました。
この山によく城を築いたなぁと
当時の防人たちに思いを馳せます。

防人たちは主に関東から徴兵され、
家族や故郷を想う心情は
万葉集の「防人の歌」として
伝えられているそうです。

こちら井戸の跡だと思われます。

当然7世紀のものではありません。
国防のための重要な拠点として、
対馬の地位はその後も変わらず、
明治期には金田城を再整備する形で
城山砲台が建造されました。

私が歩いている登山道も、
その当時に軍道として
整備された名残なのです。

登り始めてから約40分。
城山の山頂に到着しました。

休憩なしで歩き続けたので
ゆっくりと景色を楽しんだりしながら
登ると1時間は必要かもしれません。

と、思ったらここが山頂ではなく、
ラストもう少し登ったところ
山頂のようです。

山頂付近の様子はまた次回にします。
本日もありがとうございました。

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