平家や俊寛が流れ着いたのは鬼界カルデラの島でした。~九州・沖縄の島を巡る旅 その14~

旅の思い出

ブログをご覧いただきありがとうございます。

本日は
九州・沖縄の島を巡る旅
その14をお届けします。

★その13はこちら★

島の北部、平家城展望台

鹿児島県の秘境、硫黄島を散策しています。

島を歩いていると、その名の通り、
硫黄独特の匂いが鼻を突くことがあります。

集落から外れた道は木々に囲まれており、
電線はあるものの街灯はありません。

恋人岬から1時間ほど歩いてやって来たのは
島の北部にある平家城展望台です。

旅行記その12でもご紹介しましたが、
平清盛の時代、平氏打倒を図った
藤原成経・平判官康頼・大僧都俊寛の3人が流刑に処され、
都から硫黄島へ流れ着きました。

壇ノ浦の戦いで平家が流れ着いた島

これに加えて、
1185年の「壇ノ浦の戦い」に敗れた平家が、
崩御した安徳天皇を守りながら
硫黄島に辿り着いた
という伝説も残されています。

展望台から見える海。

こちらにも硫黄成分が溶け出しているようで、
海は独特の色をしています。

天気がいいと、ここから鹿児島の
開聞岳が見えることもあるそうです。

平家は鹿児島方面から敵がやって来ないかを見張るため
この地に平家城を築いたと言われています。

都に戻ることが出来なかった俊寛

この像は

第18代中村勘三郎
 三島村歌舞伎「俊寛」上演記念碑
』です。

俊寛は平家打倒を企てたとして、
硫黄島への流刑を処された3人のうちの1人。

翌年には平清盛の使いが
赦免状(罪を許す旨を記した文書)を持って
島へやってきたのですが、
その赦免状に俊寛の名前はなく、
使いの船はあとの2人だけを乗せて
島を離れようとしました。

俊寛は船に乗せてもらうように泣いて頼んだそうです。
しかし結局その願いは叶わず…

その時の様子を中村勘三郎さんが、
実際にここ硫黄島の海岸を舞台に
歌舞伎で演じたことがあるそうです。

こちらの俊寛像は平家城展望台とは
また別のところにあるものです。

俊寛が島に取り残されてから半年後、都にいた頃に
面倒を見ていた有王が島へやって来ました。

そこで俊寛は娘からの手紙を受け取り
妻と息子が亡くなったことを知ります。

その日から俊寛は食べ物を一切口にすることなく
念仏だけを唱え、37歳でその一生を終えました。

鬼界カルデラ

それにしてもワイルドな景色です。
日本最南端のジオパークにも認定されている硫黄島。

硫黄島と竹島の間の海底には直径20kmにも及ぶ
火口をもつ「鬼界カルデラ」があります。

鬼界カルデラは約7300年前の
アカホヤ大噴火」によって形成されました。

当時、この噴火によって地震や津波も発生し、
縄文文化を壊滅させた原因とも言われています。

硫黄島はそのカルデラの外輪山の位置し、
今でも活火山として、煙を上げ活動しているのです。

ということで今回はここまで。
本日もありがとうございました。

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