南山城・八重瀬城・具志頭城。糸満市と八重瀬町にあるグスクを攻める|旅行記その3

南国日記~沖縄移住の記録~

ブログをご覧いただきありがとうございます。

今回は「グスク巡り」をして来た時の様子その3をお届けします。

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三山時代に栄えた「南山城跡」

具志川城跡からやってきたのは南山城跡です。

隣は小学校になっており、遺跡の大半が糸満市立高嶺小学校の敷地内にあたるそうです。

ただ、普通に見学することは可能です。

鳥居が置かれていますが、ここは神社ではありません。

沖縄で「国家神道」を普及させるため、明治政府は沖縄の人々が祖霊神への拝みをする御嶽や拝所を神社とし、鳥居の設置を進めたようです。

ちなみに、鳥居の右側にあるガジュマルの木は「沖縄の名木百選」にも選ばれています。

この建物は人々が拝みをする拝所です。

城跡らしきものは、周囲を囲む石垣以外に特に分かりませんでした。南山城跡は13世紀頃に築かれ、14~15世紀前半に栄えたそうです。

朝貢によって王であることをアピールした

琉球王国による統一以前の沖縄は北山、中山、南山の3つの勢力に分断されていました。

三山の王たちは明(中国)と交易をすることで、自らが国の王であることをアピールしました。これを朝貢といい、南山では合計22回の朝貢が行われたそうです。

15世紀になると、中山の王、尚巴志が琉球王国を統一しました。

南山城跡は周囲を木々に囲まれているため、じめじめとしており
ガジャン(蚊)の数が凄い…少しの時間でしたがかなり刺されてしまいました。

南山城跡の次は八重瀬城へと向かいます。

八重瀬城に到着

八重瀬城は八重瀬公園の敷地内にあります。

写真は公園の駐車場からの景色。

かりゆし58の「アンマー」という曲のPVにもこの景色が登場します。

この日はうっすらと慶良間諸島の島影も見えていました。

本殿跡」と書かれた看板がありますが、石垣など、グスクらしきものはありません。ここは今から600年前に築かれた八重瀬按司の居城だったそうです。

按司(あじ)とは、琉球・奄美の島々に存在した地方豪族の首長やその家族の称号のこと。

現在は拝所や井泉がポツポツと点在しており、それらにまつわる伝説や民謡が残されています。

ということで、八重瀬城を攻略しました。

すると、官位「主膳佑」に叙任されました。

よく分かりませんが、レベルアップしたのはいいことです。

これで3つのグスクを落としました。急いで次へ向かいます。

4つめのグスク「具志頭城」

4つめのグスクは「具志頭城」です。

ちなみに「具志頭」と書いて「ぐしちゃん」と読みます。

看板には「沖縄の古城跡の中でも大きいほうで、~~連郭式の城である。」と書かれていますが、現在は石垣をはじめ、グスクの名残を感じることは出来ません。

周辺は具志頭城跡公園として整備され、「具志頭の慰霊碑」のほかに「土佐の塔」と「甲斐の塔」という、沖縄戦で犠牲になった高知県・山梨県出身の方の慰霊碑があります。

東屋もあり、そこからは青海原が広がります。ここから西にある平和祈念公園までのおよそ4kmの海岸線は「沖縄戦跡国定公園」にも指定されています。

ということで、糸満市、八重瀬町にあるグスクを制覇し、続いては南城市に入ります。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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