北方領土が見えた。日本最東端の地・納沙布岬と金刀比羅神社で北方四島の歴史に触れる。| 2020年→2021年 年末年始の旅 その32

2020年→2021年 年末年始の旅

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今回は【2020年→2021年 年末年始の旅 その32】をお届けします。

★前回の記事★

根室・金刀比羅神社から見える山々

2021年元旦、根室・金刀比羅神社へ初詣にやってきました。

日本最東端の神社は、別の場所にある「納沙布金比羅神社」になるそうですが、金刀比羅神社は日本最東端の御朱印がいただけるようです。

海の向こうには、雪山が見えています。根室のさらに東にあるのが、北方領土・歯舞群島です。「こんなに近く見えるのだなぁ」と思っていたのですが…

地図で見ると、金刀比羅神社から見える海は根室湾や風連湖など西側の景色。つまり、見えているのは北海道本土の山々

看板もありました。この前日に訪れた雌阿寒・雄阿寒・摩周といった山々になるようです。

高田屋嘉兵衛が開拓した北方四島

一方、こちらは納沙布岬。初日の出に照らされて、平べったい島が見えています。この島は北方領土のひとつ・水晶島納沙布岬からは7kmほどしか離れていません。

ロシアが実効支配をしている島。wikipediaによると、現在は定住している人はいないそうですが、ロシア側は国境最前線の島として施設などを置いているそうです。

ここからは、納沙布岬と根室・金刀比羅神社で撮影した写真から、北方四島の歴史をご紹介します。

こちらは金刀比羅神社に置かれている「高田屋嘉兵衛」の銅像。1769年、淡路島に生まれた嘉兵衛さんは優秀な船乗りとして、大阪と北海道を行き来するようになります。函館を商売の拠点として発展させた人物でもあります。

そして、当時江戸幕府の要請を受け、北方四島の開拓を行ったのもこの人物です。北方四島には19世紀初期から、根室や厚岸など、北海道の人々が住むようになりました。

日本の国旗と並んで建てられている看板。書かれているのは「返せ全千島」。納沙布岬はじめ、道東では北方領土返還を訴える看板を多く目にします。

1804年、江戸幕府に通商を拒否されたロシアが、サハリンや択捉島の日本人居住地を襲撃。その後も日露のいざこざがありながら、嘉兵衛さんの尽力もあり、1855年の日魯通好条約が結ばれました。この条約では、択捉島とウルップ島の間に日露の国境が設定されました。

嘉兵衛さんの詳細

高田屋嘉兵衛物語

千島列島の地上戦とソ連による占領

納沙布岬周辺にはいくつか建物がありますが、そのうちのひとつに「北方領土資料館」もあります。

日魯通好条約の後、樺太千島交換条約、日露戦争後のポーツマス条約を経て、樺太の北緯50度以南と千島全島が日本の領土になりました。ここで注意が必要なのが、日本の外務省によると、北方四島は千島列島に含まれないということです。

個人的な見解では、この認識が北方領土問題につながっているような気がします。

北方四島には69社の神社が確認されているそうで、そのうち11社の御神体が根室の金刀比羅神社に預けられています。

太平洋戦争末期、1945年8月9日から、日ソ中立条約を無視して、満州や樺太に侵攻。8月18日には千島列島北部の占守島に上陸しました。日本はポツダム宣言受諾後でしたが、自衛戦闘のため日本軍として反撃。激しい地上戦が行われました。

金刀比羅神社で見つけた千島戦没者慰霊之標。ソ連は1945年8月28日から9月3日にかけて、北方四島を占領。1946年2月にソ連は北方四島を自国領に編入しました。

証言によると、本当に突然、銃を持ったソ連兵士が住民の家にやってきて、島を占領していった様子が分かります。ただ沖縄のように、住民を巻き込んだ戦闘や、住民が捕虜になることはなかったようです。

参考

歴史の証言 ー元島民が語る北方領土

根室はロシアとの交流の拠点

船に乗って根室へ逃げた方もいれば、島に残ってロシアの人々と共に生活していた人もいました。しかし、1947年、島に残っていた人々に対して、ソ連が「北海道本土へ戻るか、ソ連人になるか」を迫り、多くの人が島を出ることになりました。

こちらは、納沙布岬にある「高碕達之助先生」と書かれた塔。

1951年のサンフランシスコ平和条約により、日本は樺太の一部と千島列島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄しました。

この「千島列島」に北方四島は含まれないそうです。そして、ソ連はこの平和条約に署名していません。しかし、今に続くソ連の占領は厳しく、納沙布岬から約3.7kmに位置する貝殻島周辺では、昆布漁を行う住民が、ソ連に拿捕されることが相次ぎました。

高碕達之助氏の尽力により、1963年に民間協定が結ばれ、北方海域で昆布漁の安全操業が出来るようになったそうです。

写真のように、根室港の海は凍り付いていて、船が出れる状態ではありませんでした。サンマの水揚げが日本一であるだけでなく、ロシアとの交流の拠点にもなり、1992年からは毎年、日露住民らのビザなし交流も行われています。

日本最東端の地で、北方四島の歴史を知ることが出来ました。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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