加計呂麻島に残る戦跡を見学。かつての要塞・大島海峡を臨む|2016年 奄美大島旅行記 その4

旅の思い出

ブログをご覧いただきありがとうございます。

今回は「2016年 奄美大島旅行記 その4」をお届けします。

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意外と大きい加計呂麻島

旅の3日目。奄美大島のお隣・加計呂麻島にいます。

海面が少し波立っています。

今回の旅は宿を取っておらず、テントで過ごす予定でしたが、前の日の夜の暴風雨で、テントが壊れてしまいました。

奄美大島に戻ったら、新しいテントを買わなくてはいけません。

お昼前の船に乗るので、それまでは加計呂麻島を巡ります。

奄美大島が大きいため、小さく見える加計呂麻島ですが、結構大きな横長の島です。

大きなガジュマルの木。亜熱帯を感じさせます。

奄美の島々は琉球列島に属し、奄美大島の北にあるトカラ海峡を境に、温帯から亜熱帯気候に変わります。

奄美大島や加計呂麻島にはハブも生息しています。

海沿いを走ります。ただ、アップダウンが多いので、友人の一人は完全に車酔いをしてしまいました

加計呂麻島に残る戦跡

1時間以上かけて、島の東端までやってきました。ここには、旧海軍が使用していた弾薬庫が残されています。

加計呂麻島と奄美大島の間には大島海峡があります。沿岸はリアス式海岸になっており、現在は国立公園にも指定されています。

1919年、奄美大島が小笠原諸島や台湾・澎湖島とともに、太平洋上の第一線要塞として策定されました。

海峡の幅は約2km。深さが50~70mあり、波も穏やかな大島海峡は、1920年から1945年まで、日本海軍の軍港として用いられるようになります。

戦艦大和や戦艦武蔵もここに停泊していたそうです。

1921年、奄美大島要塞の建設が着工されました。

日中戦争が勃発すると奄美大島要塞の軍備も増強され、太平洋戦争が始まる直前には、加計呂麻島にも「大島防備隊本部」が置かれました。

沖縄のような地上戦はなかったものの、戦争が終わると、奄美群島は1953年まで米軍の統治下に置かれました。

アメリカは沖縄に力を入れており、ただ一方で、統治下であることから、日本からの支援も受けられず、戦後の奄美は非常に苦しい時代であったといわれています。

奄美大島に戻る

島を1周する時間はないので、来た道を引き返し、港へと向かいます。

海はやはり波が立っていて、よく見ると水も濁っています。

10時、港に到着。港の前には、大きな高瀬貝のモニュメントが置かれています。高瀬貝は貝ボタンで一番使用されている貝です。

原付は島の人のものと思われます。

ハイビスカスとソテツ。さらば加計呂麻島。

奄美大島に戻り、まず向かったのはホームセンター「ニシムタ」。無事新しいテントをゲットすることが出来ました。ここからさらに奄美大島で3泊過ごします。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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~移住3年目198日目 終了~

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