クジラとともにある 父島に上陸した人々の歴史 コペペって誰?|初めての小笠原諸島 旅行記11

初めての小笠原諸島

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今回は【初めての小笠原諸島旅行記】その11をお届けします。

★前回の記事★

小笠原のカフェ USK COFFEE

ノープランで上陸した父島。滞在2日目は、原付で島を巡っています。

夜明け道路を経由し、島の南部へやってきました。「USK COFFEE」というカフェがあったので、ここで少し休憩をすることに。

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こちらでは、小笠原産のコーヒーを飲むことが出来ます。日本のコーヒー栽培は、1878年、榎本武揚がインドネシアのコーヒーの苗を父島へ試植したことから始まりました。戦争で一時栽培が途絶えたものの、島に人が戻ると、野生化していたコーヒーの木々が発見され、現在に至ります。

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コーヒーの果実(沖縄にて)

日本でコーヒーの露地栽培が行われているのは、小笠原・沖縄・徳之島だけ。収穫までに5年、しかも収穫時期には、いずれの地域にも台風がやってくるため、国産コーヒーの生産量は少なく、貴重な存在となっています。

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当時はそんなことを全く知らず、私が注文したのはパッションソーダ(スターフルーツ入り)。東京の島々では、パッションフルーツの栽培が盛んで、その生産量は鹿児島・沖縄に次いで全国3位。父島のお土産にも、パッションフルーツを加工したお菓子などが多く、特産品のひとつと言えるでしょう。

USKコーヒーの次に向かったのは小笠原神社

こちらは1593年、小笠原諸島を発見した最初の日本人とされる信濃国の武士・小笠原貞頼が祀られています。

父島に人が住み始める

貞頼よりも早く、1543年、小笠原は大航海時代でイケイケのスペイン船により発見され、その後、オランダ船、イギリス船、ロシア船にも発見された記録があります。

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小笠原神社の鳥居

1675年、江戸幕府の命により嶋谷市左衛門一行が、約1カ月かけて小笠原を探検調査したものの、人が住むには至らず。当時は、小笠原の北に浮かぶ伊豆諸島の島々が幕府の直轄地(天領)となっていましたが、自然災害が多く、度々飢饉に見舞われており、幕府も島の産業を維持する難しさを感じていたものと思われます。

★参考:江戸時代の伊豆諸島について★

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小笠原神社

19世紀になると、照明用燃料に使われる鯨油の需要を背景に、太平洋地域で捕鯨活動が活発化。小笠原近海に欧米の捕鯨船団がやって来ました。

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1830年、欧米人と太平洋の島々に暮らす島民たち、計20数名がハワイを出帆。6月26日(=小笠原諸島が戦後、本土に復帰した日)に父島へ上陸すると、そのまま島に定住し、農業や漁業を営みながら、捕鯨船に水や食料を供給することで生計を立てていました。

当時の日本は江戸幕府による鎖国真っ只中。日本への寄港が出来ない状況で、父島には天然の良港・二見湾もあり、捕鯨船にとって都合がいい場所だったのです。

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扇浦海岸

1853年7月、ペリーの黒船が、浦賀(神奈川)へ来航したことは広く知られています。国立国会図書館国際子ども図書館のホームページによると、アメリカは、清(中国)との貿易や捕鯨の中継地とするため、日本に開国を求めました。

結果として、江戸幕府は半年後に再び来航したペリーを介し、日米和親条約を締結。日本は開国、そして明治維新を迎えることとなりました。

アメリカ本土からはるばる日本へやってきたペリー一行ですが、その航路はあまり知られていません。

出港は1852年11月下旬のアメリカ・ノーホーク。そこからアフリカ西岸を南下し、喜望峰からインド・セイロンに寄港した後、マラッカ海峡から東アジア地域に入り、1853年5月下旬、沖縄・那覇へ到着しました。

クジラとイルカが一緒に泳ぐ海 ~小笠原諸島・父島~

沖縄本島を一通り調査したペリー一行が、次に上陸した地は父島

ペリーは、島民から石炭貯蔵用地を購入し、1853年6月25日、江戸幕府に対し小笠原の占領及び米国領化を告げました。しかし、父島領有の意義が「捕鯨船の補給地」だったため、日米和親条約締結によって、日本本土で補給を受けられるようになると、アメリカにとって小笠原の重要性は下がったものと考えられます。

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扇浦海岸

小笠原を巡る動きに対し、江戸幕府も本格的な調査と開拓に乗り出し、1861年には威臨丸を派遣。島民に江戸幕府による領有宣言と開拓が伝えられました。

その後、小笠原が国際的に日本領土と認められたのは1876年。江戸幕府の領有宣言から、国際的に認められるまでの流れには諸説あるようですが、どうやら先ほどご紹介した、嶋谷市左衛門一行による探検調査の記録も役に立ったようです。

明治政府による開拓初期には、扇浦海岸の近くに役所が置かれました。

ギルバート諸島のコペペさん

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続いてやって来たのはコペペ海岸ギルバート諸島の先住民「コペペ」が利用していたというのが、この海岸の名前の由来。前日の夜、子ガメの放流を行ったのもこの海岸です。

★参考:子ガメの放流★

放流した子ガメがまだ近くにいるのではと思い、シュノーケルを装着し海へ。しばらく探してみましたが見つからず、無事子ガメさんたちは、青海原へ旅立ったようです。

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コペペも、父島に捕鯨船が出入りしていた時代に暮らしていた人物でしょうか。上の地図には4つのピンが立っています。左から順に、小笠原→グアム→ギルバート諸島→ハワイという位置関係です。

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欧米の捕鯨船は、こうした島々に暮らす人々を船に乗せていたため、当時の父島には様々な地域の人々がいたと言われています。

【島旅】小笠原諸島・南洋踊り~おがさわら丸出港~

こちらは「南洋踊り」という、大正末期、欧米系島民がサイパンで覚え、小笠原へ伝えたと言われる踊りです。

カカという打楽器のリズムに合わせて踊りますが、その歌詞は「ウワドロフィ イヒヒ イヒヒ」という感じで、全く意味が分かりません。小笠原の独特な歴史を今に伝えるとして、東京都の無形文化財に指定されています。

【島旅】小笠原諸島・父島~フラとウクレレのある日常~

さらに、小笠原に初めて定住した人々がハワイからやって来たことにちなんで、現在はフラダンスやウクレレなど、ハワイ風の文化も引き継がれています。

小笠原の歴史はクジラと行政とともにある

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コペペ海岸

小笠原が日本領になると、まずは内務省の主管となりました。1878年に小笠原へコーヒーが持ち込まれたのも、島に新たな産業(=雇用)を作ることを目的とした、国の政策のひとつだったのでしょう。

1880年からは東京府の島となりました。

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こちらは2020年の国勢調査から作成した小笠原村(父島・母島)の産業構成。公務員が4分の1以上を占めていることが分かります。

ちなみに、国勢調査に「観光業」という項目がないため、観光関連の仕事をしている人の数は不明ですが、宿泊業・飲食サービス業に従事している人の割合は公務員の次に高くなっています。今回原付を借りた小笠原観光さんも、海のツアーや宿泊業、レンタル事業など、その業務は多岐にわたっており、「観光業」の定義は非常に曖昧なのです。

24時間借りた原付を返却し、夕陽を見るため、歩いてウェザーステーションまで歩きます。こちらにはもともと、気象庁の父島気象観測所がありましたが、現在施設はメインストリートの外れに移されています。

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中央気象台によって「小笠原測候所」開設されたのは、 1906年なので、なかなか歴史のある機関ということになります。

他にも父島には国土交通省や環境省など、省庁の事務所が置かれており、さらに東京都小笠原支庁、村役場もあるので、小笠原村の公務員の数は多くなります。今も昔も、小笠原は行政の影響を受けている島なのです。

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前日と同様、この日も夕日を見ることは出来ず。翌日の天気に期待して、父島滞在2日目は終了。

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かつては捕鯨のために多くの人々が訪れていた小笠原ですが、今は冬のホエールウォッチングが、観光客に人気のコンテンツとなっています。

小笠原の経済(収入源)に、クジラと行政は大きく貢献してきたのです。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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