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今回は2018年「利島・伊豆大島旅行記」その2をお届けします。
★前回の記事★
人口約300人の小さな島
利島の最高峰・宮塚山の山頂にある展望台へやって来ました。

うっすら雲がかかり、海と空の境界が分かりにくくなっています。また眼下には、港や集落も見えています。

利島には天然の湾がなく、海へ突き出るようにして桟橋が作られているため、波の影響を受けやすく、船の就航率が悪いのです。これは青ヶ島や御蔵島も同じです。
集落があるのは港周辺のみ。島の大島寄りに立地しており、古くから船の接岸に都合がいい場所だったことが伺えます。

利島ひとつで「利島村」。 縄文時代から人が住んでいたそうですが、2020年国勢調査の人口は約300人。人口は全国で5番目の少なさ、面積も全国で5番目に小さいという、本当に小さな島なのです。

こちらは利島の人口ピラミッド。2000年と2020年を比較すると、まず全体の人口が増加しており、特に40代の割合が高いです。利島では、20~40代の移住者が約8割を占めていると言われています。

利島村立利島小中学校もあります。1877年開校の歴史ある学校で、令和4年度の生徒数は小中合わせて31名。つまり、島民の10%がこの学校に通っているということです。
日本有数の椿油生産地
小さな島・利島では、皆さんどんなお仕事をされているのでしょうか。

最も多いのは建設業。そして注目すべきは農業です。平地がほとんどない島で、どのような農業が行われているのでしょうか。

利島は日本有数の椿油生産地。島の8割がヤブツバキに覆われており、その本数は20万本にもなるそうです。島内に椿油製油センターがあり、収穫から精油、販売まで全て行われています。

ツバキはもともと利島に自生していたわけではなく、江戸時代、米で年貢を納めることが出来なかったため、ツバキが始まりました。利島の椿油は、上等な食用油として、江戸の人々に親しまれたそうです。

また、ツバキの木々は防風林の役割も果たしてきました。昭和時代に航路が整備され、外から食料が入ってくるようになると、自給用の作物を育てるのに使っていた畑はツバキに植え替えられ、椿油の生産量が増加。道路の整備も進んだそうです。

若い移住者が多い一方で、椿農家を営む方の平均年齢は70歳を超えており、島を支える基幹産業の今後が懸念されています。

民宿や商店、食堂もそれぞれ数軒あります。目玉は勤労福祉会館にある「レーンが2つだけのボウリング場」です。今回は訪れることが出来ませんでしたが、巷では「日本一小さいボウリング場」と言われています。

また、日本で野生のイルカと泳ぐことが出来るのは小笠原諸島・御蔵島・利島・能登島(石川県)の4カ所のみと言われており、ドルフィンスイムを楽しむことも出来ます。
★参考:小笠原でドルフィンスイム★
ボーリング場リベンジへ さらば利島

水平線の先に見えている平べったい島は、約40km離れている伊豆大島。午後は伊豆大島へ渡り、そのまま1泊します。

宮塚山山頂から歩いて港へ戻り、乗船券をゲット。集落を散策する時間もありましたが、写真は残っておらず。

12時半過ぎ、神津島で折り返し、東京へ向かうさるびあ丸がやってきました。

正面から見るさるびあ丸。その背後に見えているのは伊豆半島の山々です。利島には東海汽船だけでなく、下田へ向かう神新汽船と、大島からのヘリもあります。

さらば利島。ボーリングをするために、またリベンジしたいと思います。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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