トロリーバス ラストラン 長野駅から黒部ダムへ トンネルの歴史を知る|2018年旅行記 その1

旅の思い出

ブログをご覧いただきありがとうございます。

今回は、2018年11月「立山黒部アルペンルート」旅行記その1をお届けします。

長野駅から特急バスで扇沢駅へ

新宿駅から深夜バスに乗り、早朝の長野駅へ。

早朝の長野駅周辺に開いているお店はないので、駅から少し離れた場所にあるマクドナルドで、明るくなるのを待っていました。

長野駅に戻ってきました。

この日は、立山黒部アルペンルートを観光しながら、富山駅を目指します。

まずは、8時過ぎに長野駅を出発する、アルピコ交通のバスに乗車し、 アルペンルートの入口「扇沢」へ。

車窓には雪山が見えていますが、これから様々な乗り物を乗り継いで、3000m級の北アルプスを越えていきます

長野駅からの運賃は3100円、2時間ほどで扇沢駅に到着しました。

ちなみに、このバスは予約制ではないので、満席の場合は乗車出来ない場合もあります。

扇沢の標高は1433m

長野駅からすでに結構登って来ていますが、まだ雪は見られません。

凛とした冬の青空が広がっています。

関電トンネルトロリーバス ラストラン

扇沢駅からは、有名な「黒部ダム」へ向かいます。

こちらで、富山駅までのスルーチケットを購入(料金は約10530円)。

扇沢駅から立山駅までの区間は、マイカーの利用が出来ません。

ということで、まずは「関電トンネルトロリーバス」に乗車し、有名な黒部ダムへ。

6.1kmの移動で37m登ります。

なお、公共交通機関も、毎年11月30日に営業を終了するので、雪が解けるまでの間、アルペンルートは通行止めとなります。

そして、この日はちょうど、2018シーズンの営業終了日にあたる11月30日

これに合わせて、トロリーバスが現役を引退し、2019年春から、扇沢~黒部ダム間は電気バスに切り替わるとのこと。

全く知らずに行ったのですが、図らずもラストラン乗車整理券をゲットしました。

1964年に開業した関電トンネルトロリーバス。

トロリーバスの動力源は、ガソリンではなく、架線からの電気。そのため、フォルムはバスですが、乗り物の分類としては鉄道となるそうです。

改札には行列が出来ていました。

アルペンルートよりも、ラストラン目的で訪れているファンの方が多いはずです。

ちなみに、私はトロリーバスに乗るのが、これが初めて。

戦前から戦後にかけて、全国の都市でも普及したそうですが、自家用車の増加と地下鉄の建設で、その姿をみることは出来なくなりました。

ただ、黒部立山アルペンルートの「扇沢~黒部ダム」「大観峰~室堂」の2区間には、環境に配慮された乗り物として、今までトロリーバスが残っていたのです。

これからは、「大観峰~室堂」 が、公共交通機関として日本で唯一、トロリーバスが運行される区間となります。

扇沢駅から関電トンネルを通過 黒部ダムへ

出発後まもなく、トロリーバスはトンネルに入ってしまうので、ここでは車窓の景色を楽しむことが出来ません。

関電「トロリーバス」最終営業日 ~立山黒部アルペンルート~

トンネル内では、トロリーバス同士のすれ違いもありました。

このトンネルは、標高2678mの赤沢岳を貫通しており、途中で長野県から富山県に入ります。

約20分で黒部ダム駅に到着しました。

地下にある駅から、220段の階段を登ると…

黒部ダムに到着しました!

こちらにも、トロリーバスラストランのパネルが置かれていました。

ラストランまでの日数は【あと0日】

大変だったのはダムよりもトンネルの工事

【「黒部の太陽」で有名な破砕帯の美味しい「湧水」です】という案内ともに、湧水を飲むことが出来るスポットがありました。

黒部の太陽」は、黒部ダム建設の様子を描いた映画のこと。

映画化されるほど、黒部ダムの工事は過酷だったことで知られています。

戦後、関西地方の電力不足を補うため、1956年8月から、黒部ダムの建設が本格的に始まりました。

現在の総貯水量は2億㎥

と、言われてもよく分かりませんが、日本で年間に使用される生活用水の量は、黒部ダム約72杯分になるそうです。

ダムの高さ186mは日本一。

ちなみに、ダムというのは、水を堰き止めている壁のこと。黒部ダムによって堰き止められて出来た湖を「黒部湖」と呼びます。

6月から10月にかけては、毎秒10トン以上の水が黒部川へ噴き出す、大迫力の放水を見学することも出来ます。

黒部ダムからの景色がこちら。

この場所にダムを建設するとして、どのようにして、ここまで資材や機械類を運搬するかが課題となっていました。

そこで、建設されたのが、今回トロリーバスで通過したトンネルです。

当初は順調に工事が進んでいたそうですが、「破砕帯」という、地下水をため込んだ軟弱な地層にぶつかり、約80mを突破するのに、7カ月を要することとなりました。

1958年2月にトンネルが開通したことで、大量の資材や機械の輸送が可能となり、ダムが完成したのは、工事開始から約7年後、1963年のことです。

総工費513億円、1000万人もの人が工事に関わり、171人が犠牲となっています。

こちらは犠牲となった方々に対する慰霊碑です。

亡くなった方々が、熱意を持って、自分の意志で工事を進めていたとしたら話は別です。

しかし、仕事中の事故や劣悪な労働環境が、後世になって「勇敢な男たち(従業員)の生き様」のように語り継がれているのは、まさに日本の会社の闇と言えるでしょう。

「情熱」や「諦めないで挑んだ」というような表現には、違和感しか感じられませんでした。

そんな歴史あるトンネルにおいて、トロリーバスの営業終了というのは、ひとつの区切りと言えるでしょう。

偶然でしたが、そんな日に立ち会うことが出来て良かったです。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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