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今回は「原付が故障して、国道58号線を30km歩いた時の話 後編」をお届けします。
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原付を押して歩く
沖縄本島を北上中に原付が壊れ、読谷村から自宅まで約30km、原付を押して歩くこととなりました。

ヤシの木の整備が行われていました。
こうした、道端のヤシの木の寿命は約100年。
高さは30mにもなるそうで、高く育ちすぎて倒れる危険や、はがれた木の皮が車を傷つけることもあり、維持・管理にお金がかかります。
これは全国的な課題になっており、各地で伐採や植え替えが進んでいるそうです。

原付を押して歩いているので、普通に歩くよりも疲れますが、軽い原付でよかったです。
重いバイクだったらJAFを呼ぶことで、高いお金がかかります。
と、ポジティブに考えなければやってられません。

空港までは19km。
この『距離を示す看板』が、なかなか細かく設置されており、心が折れそうになります。
たくさん歩いた気になっても「え、まだ1kmしか歩いてないの?」となるのです。
北谷町から宜野湾市、浦添市へ

北谷町を抜け、宜野湾市に入りました。
必死なので、特に感動はありません。
少し疲れてきたので、「次のコンビニで休憩しよう」と思ったのですが、そう思うと、なかなかコンビニがないものです。

結局、休憩出来ないまま歩き、那覇まで10kmを切りました。
ただ、まだ時計はみません。
20時までに帰るためには、油断せず、「もう16時くらいになっているはずだ」と、自分を焦らせながら歩きます。

那覇のひとつ手前のまち・浦添市に入りました。
ブルーシール・牧港本店にて記念撮影。
ブルーシールは、沖縄を代表するアイスのお店。牧港本店は1963年からこの地にありますが、きっと原付と記念撮影をするのは、歴史上初と思われます。

道端に「嘉手納まで16.2km」という看板がありました。
私は嘉手納の先にある、読谷から歩いてきたので、それ以上歩いていることになります。
ここに来てようやく少し達成感が感じられましたが、まだゴールは先です。
那覇市を通過、帰ることは出来たのか

ここまでで、最も急こう配と思われる坂が現れました。
一呼吸おいてから登り始めます。
那覇に近づくにつれ、歩道を歩く人も増え、その中を腕をまくって、軽く息切れしながら、原付を押して歩いている私は、もう完全に変な人として見られていたはずです。

そして、いよいよ那覇市に入りました。
中高生の頃、埼玉・川越から国道254号線をママチャリで走り、池袋まで行ったことがありました。写真は、その時に見た、池袋に入る手前の景色に似ている気がします。
中高生の頃は、ママチャリを片道約30km漕いでいて、社会人となった今は、原付を押して歩いていて…
10年経ってもやってることは変わらんなと、1人で感慨深くなっていました。

那覇の歓楽街・松山を通過。

那覇の市街地を抜けました。
気が付けば空は夕焼け模様。
時間はきっと17時くらいだろうと思いながら、久しぶりに時計を見ると、ビンゴでした。

このままのペースで歩き続ければ、20時までに家に着くという見込みが立ったので、ここでようやく休憩。
歩き始めてから5時間で、まともな休憩はこれが初めて。
しかし足の痛みや疲れなどは感じられません。「ランナーズハイ」とは、このことなのでしょうか。

そしてラストスパート。
暗くなった道を歩き、無事20時までに家に着くことが出来ました。
原付を1時間走らせ、8時間近く来た道を歩いて帰るという、究極の時間の無駄遣いをした1日となりました。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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