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今回は「2018年 伊是名島旅行記」その2をお届けします。
★前回の記事★
伊是名城跡と伊是名玉御殿
宿の車を借りて、島を巡ります。

まずやって来たのは、標高約120mのチヂン岳。
島で2番目に高い山ですが、頂上までは散策路が整備されており、手軽に昇ることが出来ます。

山頂には拝所も置かれています。

見えている三角の山は「伊是名城跡」。
島の南東に位置し、三方を海に囲まれていることから、「難攻不落の城」と言われています。

また、グスクの麓には、国の重要文化財にも指定された、伊是名玉御殿があります。
こちらは、第二尚氏王統の祖・金丸(尚円王)の、両親のお墓です…
と言っても、分かりにくいので、これらの価値を知るためにはまず、琉球王国の王統について知る必要があります。
琉球王国の基礎を知る
沖縄がかつて、「琉球王国」という、ひとつの王国だったことは広く知られています。

それよりも前の時代、沖縄本島には北山・中山・南山という、3つの勢力に分裂していました。北山と南山を倒し、沖縄統一を果たし、琉球王国を成立させたのが、中山の王・尚巴志です。

伊是名城跡は、尚巴志の祖父・佐銘川大主によって築かれたグスクです。その子供である思紹から、名前の姓として「尚」が付けられるようになったことから、初代国王が(尚)思紹、2代目国王を(尚)巴志とするのが一般的です。

その後尚家は 忠・思達・金福・泰久の順に世代が変わり、7代目・徳が国王となりましたが、29歳で急死。そのタイミングで、伊是名島出身・金丸によるクーデターが起こり、琉球王国成立から約63年続いた、尚氏一族による王朝は滅亡しました。

その後金丸は、「尚」という姓を引き継ぎ、尚円王として国王に即位しましたが、クーデターの前後で、王家の血筋が変わったことから、琉球王国成立から金丸のクーデターまでの王統を「第一尚氏」、クーデター以降の王統を「第二尚氏」として、時代が分けられています。

第一尚氏の時代が7代・63年間であったのに対して、第二尚氏の時代は、廃藩置県までの、19代・410年間続いたことから、金丸(尚円王)は、琉球王国の一時代を築いた人物と言えるでしょう。その両親のお墓は、伊是名城跡の麓にありますが、本人のお墓は首里城の近くにあり、「玉陵」という名で、世界文化遺産にも登録されています。
本当に沖縄が好きな人は行くべき島
ここからもう少し、伊是名島で沖縄の歴史に触れます。

こちらは1977年に、国指定重要文化財に指定された銘苅家住宅。
銘苅家は尚円王の叔父(父の弟)にあたる家系で、琉球王朝時代には、代々島の地頭職を務めていたそうです。
★参考:銘苅家別邸に泊まる★

こちらは伊是名島にある、沖縄戦の慰霊塔。
伊平屋島には、1945年6月3日に米軍が上陸していますが、戦時中の伊是名島の様子については、情報がほとんどありません。
銘苅家が文化財に指定された背景には、沖縄戦の被害を免れて状態がよかったということもあり、伊是名島は戦争の被害を、それほど受けずに済んだようです。

西門中の…?「ありがとう」と書かれています。
西門中学校という学校の何かかと思いましたが、情報が出てこないので、恐らく【西さんの門中墓】であると思われます。
門中とは父方の血族で繋がる一族のこと。門中の方々は代々皆さん同じお墓に入るので、沖縄のお墓に入っている人の数は多く、その分サイズも大きくなります。

あまり知られていない伊是名島ですが、島のあちこちに、沖縄の歴史や文化を知ることが出来るスポットが点在しています。
本当に沖縄が好きな人は必ず行くべき島。
私も訪れるまで詳しく知りませんでしたが、沖縄の歴史を辿る旅も、なかなか奥が深いものです。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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