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今回は2016年「トカラ列島旅行記」その2をお届けします。
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悪石島のキャンプ場で野宿
日本最後の秘境・トカラ列島を巡る旅。奄美大島から悪石島に上陸しました。
『悪石島(あくせきじま)』というインパクトのある島の名前。Wikipediaによると「島のあちこちに石があり、崖から落ちてきそうだから」「平家の落人が、追手が来たがらないような名を付けた」など、その由来は諸説あるそうです。
今回はテントと寝袋を持参しての野宿旅。まずは港から歩いてキャンプ場へ向かいます。
と思ったら、1台の車が止まりました。そして「乗ってきな!」というおばちゃんの一言。いわゆる逆ヒッチハイクです。アップダウンの激しい島なので、車に乗せていただけるのは助かります。
お言葉に甘えて「キャンプ場に行きたい」と伝えると、「工事中だよ」というまさかのお返事が… おばちゃんの車に乗せてもらい、確認のため十島村役場の出張所へ向かいました。
そして、出張所の方から「どうして調べてこないんだ!」とお叱りを受けてしまいました。しかし、この旅の2週間前、東京で行われたアイランダーの十島村ブースで「島内でのキャンプや野宿がOK」というのは確認済みです。
さらに村のホームページにも、キャンプ場が工事中であることが書かれていなかったこともあり、出張所の方は鹿児島市内にある十島村役場へ電話。十島村は点在する島々で成り立っているため、本庁舎は鹿児島市内にあるのです。
出張所の方は「なんでしっかり伝えないんだ!」と電話越しにお怒り後、今回は工事の邪魔にならなければOKということで、キャンプ場を利用の許可を得ました。逆ヒッチハイクをしてくれたおばちゃんとは一旦別れ、キャンプ場を目指して歩きます。
キャンプ場(現在の湯泊公園広場)は確かに工事中。写真にもユンボが写っています。現場監督の方に事情を説明すると、キャンプは全く問題ないとのこと。作業員の方々が休憩で利用する仮設小屋を「自由に使ってね」とまで言ってもらえました。
この広場には「砂蒸し風呂」が併設されており、周囲には硫黄の香りが漂っています。砂の上にゴザや毛布を引き、その上に寝ると身体を温めることが出来る風呂ですが、こちらも整備中で利用は出来ませんでした。
近くにある湯泊温泉も、露天風呂にはお湯が入っておらず、しかも「女湯」と書かれていますが、道端から丸見えです(笑)内湯は利用することが出来ました。
ボゼの島を歩いて観光する
キャンプ場の仮設小屋に荷物を置かせてもらい、悪石島を歩いて観光します。
天気も晴れてきました。平坦な道がほとんどないため、島を歩くのはなかなかハードですが、車や原付のレンタルはありません。
平家落人集落と根神山神社という看板がありました。トカラ列島ではほとんどの島に、源平合戦において敗北した「平家の落人」が住んだという伝説が残されています。
ちなみに平家の落人は、トカラ列島のさらに南、奄美や沖縄にも上陸したという説があり、平家軍団「南走平家」が初代琉球国王・舜天王統を建てたという説もあります。
■ 参考:舜天王統は源氏という説もある
こちらは悪石島小中学校。この日は ”とあるイベント”が開催されるということで、13時にここへ来るようおばちゃんに言われていました。時刻はまだ11時過ぎなので、時間まで学校の周辺を散策します。
秘境に暮らす人々の歴史
家々は学校周辺に集まっていますが、少し歩くだけで建物は無くなります。電線も無くなり、白線も引かれていないコンクリートの道だけが続いています。
悪石島の人口は80名程度。日本最後の秘境と言われていますが、ここ10年の人口は増加傾向が見られます。十島村の小中学校では山海留学生の受け入れを積極的に行われているため、子供の数が多いのが特徴です。
平家の落人伝説があるということは、トカラ列島には平安時代末期から人が暮らしていた可能性も考えられます。ただ、十島村役場が出している年表の始まりは廃藩置県。いずれにしても、江戸時代には人が暮らしていたことは事実でしょう。
悪石島へのアクセス手段はフェリーとしま2のみ。こちらのヘリポートは緊急用です。
ボゼ祭りの由来
こちらは悪石島に伝わる奇祭「ボゼ祭り」で、仮面神・ボゼの身体に用いられる「ビロウ」。沖縄では「クバ」と呼ばれているヤシ科の木です。
■ 参考:沖縄には久葉山もある
ボゼは赤土の付いた棒を持って集落を練り歩くそうで、ボゼにこの赤土を付けられると、悪魔祓いの御利益があるとされています。
ボゼ祭りがいつから行われているのかを探ることで、島の歴史を深堀り出来るかと思いましたが、どうやらボゼ祭りも、その歴史や由来など、詳しいことは分かっていないようです。こうしたミステリアスさも、トカラ列島の魅力のひとつと言えるでしょう。
人口より牛が多い島
山の斜面に牛がいました。鹿児島県の離島は畜産が盛ん。島で育った牛たちは、大きくなるまで島で育てられて、その後は出荷先でブランド牛となります。
しばらく歩くと、道に柵が設置されていました。この先も気になりますが、行っていいのかも分からないので、来た道を引き返すことに。
集落を目指して歩いていると、後ろから「はい!はい!はい!」という声が聞こえてきました。振り返ると、そこにいたのは牛!島の方が牛を移動させているところでした。
悪石島は人口よりも牛の数が多い一方で、広い牧場はないので、色々な場所で牛を見ることが出来ます。自然の中でのびのび育つと、お肉も美味しくなるのでしょうか。
道路を塞いでいた柵(ゲート)は、牛があちこち行ってしまうのを防ぐために設置されているものでしたが、道路を歩いている子牛もいました。
ひと通り島を歩きましたが、飲食店はもちろん、商店もありませ… いや、商店は1軒あるようです。このときは見つけることが出来ませんでした。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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