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今回は2021年「津堅島旅行記」その4をお届けします。
★前回の記事★
波打ち際をひたすら歩く
にんじんの島を歩いて、海へ出ました。

向こう側にうっすらと見えているのが沖縄本島。
白い砂浜に引かれた灰色の線は軽石です。
★参考:軽石について★

にんじん展望台から見えていた「海が綺麗な場所」までは、このまま砂浜を歩いて行くことが出来そうです。

ということで、誰もいない波打ち際を歩きます。
11月上旬ですが、まだまだ眩しい日差しが照り付け、歩きながら「日焼けしている」というのが分かります。

こうしたことが旅行ではなく、1日の休みでふらっと出来てしまうのは、沖縄に住んでいる特権でもあります。
砂浜を歩いて島1周出来る

私が乗ってきたフェリーくがにが沖縄本島へ引き返していきました。

津堅島は沖縄本島から近い一方で、「いつでも行ける」、そして「きっとにんじん以外見るものないから」という理由で上陸していませんでした。
しかし、思っていたよりも海が綺麗です。

結論からすると、島1周のうち、その4分の1は砂浜を歩いて移動することが出来ます。

この時はそれを知らず、行き止まりになっていたら引き返せばいいと思いながら歩いていて、結局1時間以上、砂浜を歩いて移動することに。
日焼けもそうですが、砂浜を歩くのはなかなか疲れます(笑)

そして、絶景が続いていても、それを文字にするのは難しいです。
「言葉にならない」という言葉がありますが、美しい景色をわざわざ言葉にする必要もないのです。
しかし、何かしら記事に言葉を入れなければ、誰にも検索されないというのが、ブログならはの葛藤であります。
謎の穴と赤犬子生誕の地

海に向いている謎の穴です。
案内の看板などはありませんが、戦争の時に使われたものでしょうか。
沖縄戦の時は津堅島にも米軍が上陸し、島に置かれた日本兵と米軍による激しい地上戦が行われたそうです。

砂浜には琉球石灰岩で出来た大きな岩がゴロゴロと並んでいます。
この時はずっと砂浜を歩いて移動することが出来ましたが、潮が満ちていると難しいのかもしれません。

赤犬子生誕の地「シヌクガマ」と書かれた、立派な石碑がありました。2021年2月竣工と書かれているので、まだ新しい石碑です。
「赤犬子」は人の名前。琉球の三線音楽の始祖と言われています。

「ガマ」は沖縄の方言で「鍾乳洞」のこと。
赤犬子さんは1477年にこちらの洞窟で生まれたとされています。
「シヌクガマ」と石碑には、何故かお金も置かれています。

集落にも、ここへ向かうための案内があったので、津堅島の観光スポットのひとつと言えるでしょう。

沖縄の歴史や文化にもちらっと触れて、引き続き砂浜を歩きます。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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