武田水軍の安宅船に乗船!河口湖から富士山を拝む|2021年→2022年 年末年始の旅 その28

2021年→2022年 年末年始の旅

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今回は【2021年→2022年 年末年始の旅】その28をお届けします。

★参考:前回の記事★

河口湖の遊覧船「天晴」に乗船

2022年の元旦は、朝から河口湖を訪れていました。

目的は、初詣などではなく、河口湖遊覧船・天晴の「御船印」

乗船券を購入するタイミングで、御船印はゲットすることが出来たので、船に乗る必要は無くなりましたが、せっかくなので乗船することに。

河口湖がある富士河口湖町の気温は、-2度と出ています。

なかなかの寒さなので、乗船の時間までは待合室に避難。

船に乗れば、すぐにリアル富士山を見ることが出来るはずですが、待合室では、現在の富士山の様子が、Youtubeライブで配信されていました(笑)

今回乗船する船「天晴」の、記念メダルも販売されていました。

そして、いよいよ乗船。

2020年就航のまだ新しい船。戦国時代、甲斐武田軍に属していた水軍の、安宅船(あたけぶね)がモチーフとなっています。

安宅船」とは、室町時代後期から江戸時代初期にかけて、日本で広く用いられた大型軍船のこと。

船内には、畳の椅子や大型モニターが設置されています。

また、記念撮影用の衣装や小道具もありました。

元旦の朝9時の船でしたが、そこそこお客さんが乗っていたので、今回は、船の外で景色を楽しむことにしました。

武田水軍の安宅船がモチーフ

天晴は定刻通り、桟橋を出港しました。

ここから河口湖をぐるっと回り、約20分で、またこの場所に戻ってきます。

河口湖は、かつて近くを流れていた桂川が、噴火した富士山の溶岩によって堰き止められたことで出来た湖。

周囲は約20kmは、富士五湖の中で一番の長さです。

湖を吹く風に、武田信玄の家紋「武田菱」 がなびいています。

甲府市の市章も、武田菱がデザインの由来となっているなど、今でも山梨県には、武田家の色が残されているようです。

ただし、武田軍の水軍がいたのは、河口湖ではなく駿河湾

今の山梨県は海なし県ですが、武田信玄が現在の静岡県中部・駿河を支配下に置いたことで、一時的に、海に面していた時代があったのです。

そのため、現在の小田原~静岡にあるお城の歴史を辿ると、「信玄」の名前が登場します。

そしてついに、富士山が登場しました。

河口湖は「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の1つとして、世界文化遺産にも登録されています。

これを見て「美しい」と思うと同時に、「ありがたい」と感じるのは、古くから積み重ねられた、日本人ならではの性質のようです。

富士山を「見る」ではなく、「拝む」と言うのも、昔から日本で当たり前になっている風習でしょうか。

河口湖の湖畔には、冨士御室浅間神社という、富士山最古の神社があり、武田信玄直筆の安産祈願文が見つかっていることから、「武田信玄公祈願所」とも呼ばれています。

武田家は、三代にわたって、この神社へ参拝していたそうです。

遊覧船ということで、船内には、景色の解説アナウンスが流れています。

こちらは「六角堂」という、日蓮宗関連のお堂。

湖に浮かぶお堂ですが、河口湖の水位が下がると、歩いて渡ることも出来るそうです。

20分の富士山鑑賞

乗船時間20分というのは、なかなかあっという間。

往路は進行方向の左側に、復路は右側に富士山を見ることとなります。

河口湖に浮かぶ無人島「うの島」手前で、船はUターン。

ちなみに、うの島は富士五湖唯一のということで、恐らく山梨県でも唯一の島になるはずです。

出港時と同じ桟橋へ戻ります。

風林火山」と書かれた旗と富士山。

こちらも信玄の軍旗に記されていたという四字熟語で、「孫子の兵法」が由来

Wikipediaでは、以下の意味で紹介されています。

『動くべき時には風のように迅速に、動くべきでない平常時には林のように静観し、いざ行動を起こすときには烈火の如く侵攻し、守るべき時には山のようにどっしりと構えるよう、状況に応じて柔軟に対応するように ……との戒めである』

ということで、河口湖を後にして、一旦駅へ戻ります。

それにしても、住宅街の合間から、どっしりと構える富士山が見えるのは、見事なものです。

時刻は10時過ぎ、ここからはバスで山中湖へ向かいます。

なんと気温は-8.4度!?

確かに寒いですが、恐らくこれは壊れているものと思われます。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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