高島(長崎市)を歩いて日帰り観光!今も残る炭鉱アパートとそこに暮らす人々|2024 旅行記8

島旅

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今回は「2024年 年末 青春18きっぷの旅」その8をお届けします。

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高島(長崎市)を歩いて日帰り観光

2024年12月30日の12時半、長崎市の有人島・高島に上陸しました。帰りの船が出るまで約2時間半、島を歩いて観光します。

こちらは港の前に並んだビニールハウス。背後には炭鉱の島ならではの炭鉱住宅が見えます。作物は見当たりませんが、全体的に綺麗なので、現在もこのハウスは使われているのでしょう。軍艦島や池島のように、炭鉱の島は閉山後に急速に衰退する一般的イメージとは対照的に、この島では今も人々の暮らしが続いています。

■参考:池島旅行記

石炭の採掘で栄えた島

高島では江戸時代中期以降から佐賀藩によって石炭の採掘が行われていました。

港のそばにあるのが石炭資料館。島での滞在時間がそれほど長くないので、まずは島を1周歩いて、最後に時間があったら中も見学したいと思います。

資料館の外には、炭鉱で栄えていた当時の軍艦島を再現した模型が展示されていました。現在の軍艦島は、残る建物のすべてが廃墟で、島内に資料館もありません。当時の姿を知ることができる数少ない貴重な資料の一つです。

こちらも石炭を採掘する作業に使用されていた車両たちでしょう。

そして、石炭資料館の向かい側に立っているのが、三菱の創業者・岩崎彌太郎の像です。資金繰りに苦労していた高島炭鉱を1881年に買収し、事業を軌道に乗せたことから、島の英雄的な存在となっています。

石炭資料館と岩崎彌太郎像のそばある「いやしの湯」もまた気になる施設。石炭資料館と同じく、島を1周して、時間があったら立ち寄りたいと思います。

現在の人口と産業

2020年の国勢調査によると、高島の人口は324人。島内には幼稚園・小学校・中学校もあります。

2020年 国勢調査より

「医療、福祉」に従事している人が最も多く、その次に多いのが「教育、学習支援業」、つまり学校の先生たちです。また、高島には宿泊施設がありません。キャンプ場はありますが、観光で訪れる際は日帰りが一般的でしょう。

高島町小売市場には「営業中」の旗が立っていますが…

雰囲気はこんな感じ。入りにくい雰囲気なのでスルーします。GoogleMapの口コミによると、数年前はパスタやお刺身の提供などがあったようです。

こちらが駐在所。なお、GoogleMapには、島内の交差点にいくつか信号機マークが付いていますが、高島に信号機はありません

スーパー高島は島で唯一のスーパー(商店)。看板の文字のフォントからも歴史が感じられます。ただ、こちらもまた営業しているのか分からない雰囲気だったのでスルー。外には飲み物の自動販売機も設置されてました。

その近くには郵便局もありました。

ここまでは「かつて炭鉱で栄えた島」という雰囲気はありませんでしたが、ついにそれらしい景色が登場しました。案内板によると、昔はこの先に『二子竪坑』という、炭鉱繁栄のシンボルともいえる巨大な櫓が立っていたそうです。

そしてこちらが炭鉱アパート群。周囲6.4kmの小さな島に、8階建てのマンションが並ぶ光景は異様といえるでしょう。

今も残る炭鉱アパートとそこに暮らす人々

高島が長崎市に編入されたのは2005年1月のこと。それまでは、端島(=軍艦島)・中ノ島・飛島とともに高島町(西彼杵郡)に属していました。

古地図コレクション 伊能図(大図)肥前 長崎 より

伊能忠敬の日本地図には「鷹島」として掲載されています。明治時代、石炭採掘の過程で発生する石や質の悪い石炭(ボタ)によって島の周囲が埋め立てられたそうです。その結果、「上二子島」「下二子島」「誰瀬?」という、現在の地図には存在しない3つの小島と鷹島は陸続きになりました

グラバー別邸跡から撮影

また、飛島は高島と橋(防波堤)で繋がっています。

1955年 国勢調査

1955年、端島(西彼杵郡高浜村)が高島町に編入されると、町の人口は約15,000人に達し、日本で最も人口密度の高い町となりました。しかしその後、鉱山の閉山により軍艦島は無人島となり、町の人口は急減。長崎市に編入される直前には、全国で最も人口の少ない町となっていたそうです。

アパートをよく見ると、いくつか電線の引かれている部屋がありました。池島と同様に、現在は長崎市営住宅として運営されているので、恐らく条件を満たせばこれから住むことも可能です。

こちらのアパート群は外観も比較的綺麗で、現在も人々の暮らしが続いている様子が伺えます。島内を歩いた印象では一戸建て住宅はあまり見られず、今も多くの島民が、かつて炭鉱住宅として使われていたアパートに暮らしているように感じられました。

公園もまだ使われていそうな雰囲気です。なお、高島炭鉱は1986年に閉山しており、「鉱業、採石業、砂利採取業」に従事する人の数は0となっています。

長崎市に編入されるまで、高島町は日本で最も面積の小さな町だったそうです。現在は面積に占める空き家の数が日本一かもしれません。

かつて炭鉱関連の施設があったこの辺りの平地には、ソーラーパネルが並び、太陽光発電が行われています。

港から歩くこと約20分、目指していた「軍艦島が見える丘」に到着。

駐車場にはレンタカーも止まっていました。レンタカーは高島港ターミナル内で借りることが出来るそうです。

丘の上から港方面を見た景色がこちら。

案内板によると、全盛期は今よりもっと多くのアパート群が立ち並んでいたとのこと。

少し角度を変えて、正面に見えているのが伊王島大橋、その向こうが九州本土です。高島は長崎港の南西約14.5kmに位置しています。

そして、こちらが軍艦島。高島から軍艦島までの直線距離は約2.7km。これほど近い場所にありながら、鉱山閉山後、軍艦島は無人島となり、一方の高島には今も300人以上が暮らしています。

なぜ、これほど明暗が分かれたのか――その理由については、次回改めて考察したいと思います。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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