ブログをご覧いただきありがとうございます。
今回は「2022年 夏 宮城県の島旅」旅行記その5をお届けします。
★ 前回の記事は こちら ★
浦戸諸島・桂島に上陸
2022年7月16日、日本三景「松島」の島々のうち、人が暮らしている朴島・寒風沢島・野々島を順に巡り、最後に上陸するのは桂島です。
桂島には塩竈市営汽船の港が2つ(桂島・石浜)あります。今一度、ここまでの経路を振り返ると以下の通り。
野々島からは桂島の石浜港へ渡り、石浜港から桂島港まで歩いた後、桂島港から定期船で塩竈港へと帰る計画です。この経路であれば、1日で浦戸諸島の全有人島に上陸することが出来ます。
相変わらず天気は悪いですが、定期船は通常通りの運航です。私以外の乗客はいません。
野々島から約5分で桂島・石浜港に到着しました。ここから桂島港まで約1.5kmを歩きながら、島を観光します。
白石廣造と石浜の歴史
まずやって来たのは「白石廣造邸跡」。18歳の時に横浜で外国人から航海術を学んだ埼玉県出身の白石氏。海運業で起業するため東北各地を巡り、1872年に天然の良港・石浜で白石廻送店(白石商会)を設立しました。
1881年、三菱財閥の三菱汽船会社が横浜~函館間の定期航路を開通するにあたって、その中間寄港地として牡鹿半島・萩浜港を選定。白石廻送店は荻浜港で多くの貨物を取り扱うようになり、大いに発展したそうです。
■ 参考:1
1889年、村制が実施されると白石廣造氏は初代浦戸村長に就任。その後、北海道や三陸の各港との航路を開拓し、さらにはカムチャッカ半島までラッコ漁(遠洋漁業)へ出かけました。他にも、海産物の販売、外米(ラングーン米)や豆かす(稲作用肥料)の輸入、養蚕の奨励や米の品種改良を東北各地に広めるなど、東北地方の発展にも貢献したそうです。
白石商会は石浜港の荷役料の高さや、鉄道が開通していることを理由に、1894年に塩竈へ移転。現在、白石廣造邸跡の敷地内に母屋は残っていませんが、草木に覆われた屋敷の礎石や石蔵、庭園の石燈篭を見ることが出来ます。
■ 参考:2
漁業の島を歩く
2020年の国勢調査によると、島の人口は124名。石浜には28人、もうひとつの桂島集落には96人が暮らしているようです。50歳以上の島民が大半を占め、多くの方が漁業に従事しています。
島を歩いている途中で「あさりの稚貝採取について」という、漁業の島ならではの掲示を見ることも出来ました。
こちらは石浜にある浦戸郵便局。浦戸諸島で唯一の郵便局です。本土からの郵便物は一旦ここに運ばれた後、各島に配達されています。
ただ、島で栄えているのは桂島港の周辺。2つの集落を繋ぐ唯一の道、通称「スイセンロード」を歩き、石浜港から桂島港まで移動します。
その途中にあった「菜の花畑跡」。かつては桂島でも松島白菜の栽培が行われており、5月頃に黄色い菜の花(=白菜の花)が一面に広がっていたようですが、現在は草木が生い茂り、その面影も感じられません。2020年の国勢調査で、桂島で農業に従事している人の数はゼロとなっています。
白菜採種記念之碑というものもありました。この碑を建てた渡辺採種場株式会社が、1923年に桂島で松島白菜の採種作付けを行ったそうです。本社や支店、試験農場は本土にある会社ですが、ホームページには「創業当初より、日本三景の一つである松島湾内の島々で、ハクサイの採種を行っております」とあり、現在も浦戸諸島で採種を行っていることが伺えます。
郵便局もコンビニも自販機もある
ということで、桂島集落へやって来ました。
1号棟から5号棟まである塩竈市営浦戸桂島住宅は、すべて東日本大震災後に建設されたもの。震災当時の島の人口は約300人で、津波によって半数以上の住宅が全半壊しましたが、犠牲者は1人も出かったそうです。
恐らくこの先が津波で流されてしまったエリアでしょう。
湿地の向こうには桂島海水浴場があります。夏は海の家も開設され、海水浴客で賑わうようです。一応「海の日」の前々日でしたが、この天気なので島に観光客らしき人は誰もいませんでした。
こちらは港周辺の集落。坂道になっていますが、海抜10m以下のため、津波の影響を受けたようです。
島のコンビニ「わせねで屋」もそのひとつ。桂島唯一の商店「内海酒店」が津波によって営業出来ない状態となりましたが、震災後に島のコンビニとしてリニューアルオープンしたそうです。この時は営業していなかったので、中の様子を見ることは出来ず。
定期船がやって来る桂島港に到着しました。桟橋には小さな漁船がずらっと係留されています。塩竈市のホームページによると、どうやら牡蠣や海苔の養殖だけでなく、春先のシラウオ漁も盛んなようです。
船が来るまでここでしばし待機。綺麗な待合室です。
近くには自動販売機もあります。
14時半、塩竈港へ帰る定期船は時刻通りにやって来ました。
さらば桂島、そして浦戸諸島。幸い雨が強くなることは無く、船も欠航にならなかったため、1日で4つの島を制覇することが出来ました。
桂島から塩竈港までは20分の船旅。料金は520円です。本土との距離が近いことに加えて、浦戸諸島と塩竈港を結ぶ市営船は1日最大8便もあるので(2024年12月現在)、お手軽に島巡りを楽しむことが出来ます。
1日で浦戸諸島の全有人島に上陸
そして、宮城県の有人島は浦戸諸島だけではありません。
塩竈港に帰ってきました。
当然この港にも津波は押し寄せ、水深1mほどは水に浸かったようです。
ここからは牡鹿半島の先端にある有人島「網地島」を目指します。
通常であれば塩釜駅から仙石線で石巻駅へ向かい、そこから島へ渡る船に乗ることが出来ますが、この日は悪天候により仙石線の東塩釜駅~石巻駅間が終日運休となっていました。
そのため一旦仙台駅へ戻り、高速バスで石巻へ移動します。
高速バスは大混雑。多くの方をバス停に残して、仙台駅を出発しました。
無事石巻市へやって来ましたが、この日はもう島へ渡ることが出来ないので、石巻市内にあるビジネス旅館ダックで1泊。
宿の壁には観光関連のポスターがびっしりと張られていました(笑)どうやら私と同様、島巡り目的でここに宿泊する方も多いようです。
ちなみに、この日じゃらんで予約出来た仙台の最安の宿は15,400円。私がビジネス旅館ダックを予約したのはこの日の夕方ですが、料金は3,000円でした。
.
今回はここまで。本日もありがとうございました。
.
コメント