池島とは違う?高島(長崎市)にある100円の銭湯と見学無料の石炭資料館へ|2024 旅行記11

島旅

ブログをご覧いただきありがとうございます。

今回は「2024年 年末 青春18きっぷの旅」その11をお届けします。

★前回の記事は こちら ★

長崎市 高島と池島の違いは?

2024年12月30日、長崎市の有人島・高島を歩いて観光しています。

こちらは高島海水浴場とキャンプ場の入口。レトロな雰囲気が漂っていますが、廃墟ではなく、現在も運営されている施設です。

高島海水浴場は人工の海水浴場。夏場には更衣室や温水シャワーが整備され、海の家も営業されるそうです。海中では、亜熱帯の海を思わせるサンゴや熱帯魚を見ることができるとも紹介されています。

そばにはプールもありましたが、こちらは詳細不明。なお、海辺に併設されたキャンプ場が、高島で唯一宿泊できる場所となっています。常設テントや炊飯棟、バーベキュー設備が整っており、事前予約をすれば食材を現地で調達することも可能とのことです。

こちらは長崎市立高島幼稚園。島内には小中学校もあるため、高島の子どもたちは高校進学のタイミングで島外へ通うことになります。なお、この幼稚園が創立されたのは1975年。高島炭鉱はこの時代まだ操業を続けていましたが、端島はすでに閉山しています。

長崎市高島国民健康保険診療所は島で唯一の医療機関です。

長崎市役所高島地域センター第一別館という表札が付けられていますが、こちらの詳細は分からず。

道沿いに唐突に現れたのは「コンニャク煉瓦」の擁壁とその案内板。1887年頃、百間崎坑の開発に伴って築かれたそうです。コンニャク煉瓦とは、明治維新前後の一時期に長崎で生産された煉瓦。現在の一般的な煉瓦よりも薄く長い扁平な形をしており、その姿がコンニャクに似ていたことから、この名が付けられたとのこと。

■参考:1

こちらは長崎市役所高島地域センターと長崎市高島ふれあいセンター。離島におけるコミュニティ活動の活性化や、他地域との交流促進、個性豊かな地域づくりを目的として建設された施設で、コンサートなどに利用できるホールや図書館も併設されています。

こちらは小規模多機能型居宅介護事業所ふるさとⅡ、いわゆる「デイサービス」の施設。

綺麗に整備されたテニスコートもあり、そこにはテニスを楽しむ人たちの姿もありました。

この辺りの景色からは、炭鉱で栄えた島特有の雰囲気はあまり感じられません。同じく炭鉱で栄えた長崎市の池島とは、印象が大きく異なります。むしろ、整った「きれいな離島」に分類されるでしょう。この違いは、やはり長崎市街地からのアクセスのしやすさ、つまりアクセス難易度の差によるものなのでしょうか。

■参考:池島旅行記

郵便局だけでなく、長崎市に本店を置く十八親和銀行のATMからも現金を引き出すことができます。

■参考:高島の郵便局

見学無料!石炭資料館

14時半、港に戻ってきました。船の出港まで30分ほどあるため、最後に港近くの石炭資料館銭湯を訪れてみます。

港には軍艦島クルーズの船が停まっていました。軍艦島に上陸する一部のツアーには、高島の石炭資料館の見学が組み込まれているようです。なお、石炭資料館は無料で見学できます

軍艦島や池島にはこうした資料館が無いので、離島の炭鉱を知るという点で、貴重な施設と言えるかもしれません。施設自体はそれほど大きくありませんが、往時の高島の写真や、炭鉱で使用されていた機具・道具、各種資料が展示されています。

2階には、北渓井坑跡で発掘された出土品や、かつて端島(軍艦島)のお祭りで使用されていた御神輿などが展示されていました。

往時の高島のジオラマ

日本で最初の石炭は、1469年に現在の大牟田市で発見されたと伝えられています。石炭が産業用として本格的に利用され始めたのは、1700年代に入ってからのこと。瀬戸内地方で製塩業者向けの販路を見いだしたことで、石炭産業は大きく発展していきます。

1765年、イギリスでワットが蒸気機関を改良すると、石炭はその燃料として注目され、鉄道や船舶の動力源として大量に使用されるようになりました。日本でも、江戸時代末期の開国期になると、外国商船の燃料として石炭が供給されるようになります。当時、黒船を率いて来航したペリーも石炭の提供を要求していました。

■参考:日米和親条約の締結と石炭

1857年には、箱館(函館)での石炭供給を目的として、釧路で白糠炭鉱が開発されます。さらに1868年、高島炭鉱において立坑と蒸気機関を用いた日本初の洋式採炭が導入され、日本の石炭産業は急速に近代化していきました。

石炭資料館の展示

政府は1872年に「鉱山心得」、1873年に「日本坑法」を制定し、石炭採掘の資格を日本人に限定、外国人との共同出資も認めない本国人主義を採用します。1874年からは国内出炭量の正式な記録が始まりました。各地で炭鉱の開発と整備が進む一方、鉱山事故も相次いだため、1890年には鉱業条例が公布され、鉱山保安に関する規定が設けられることになります。

■参考:2

こちらは、1962年までの74年間、長崎―高島―端島間を運航し、人や石炭を運んでいた「夕顔丸」の模型です。当時の最先端技術を投入して建造された日本で最初の鉄製汽船で、1887年に長崎造船所で4番目の船として進水したと紹介されています。

石炭資料館の展示

口コミを見る限り、軍艦島ツアーで訪れた場合の見学時間は短めのようです。石炭資料館をじっくり見学したいのであれば、軍艦島ツアーではなく、定期船を利用して高島を訪れるのがおすすめです。

100円の銭湯に入る

石炭資料館を5分ほどで見学し、船の出港まで残り25分。最後に銭湯で汗を流します。

銭湯(公衆浴場)の利用料はなんと100円。なお、当施設の正式名称は「海水温浴施設 アイランド・テラピー 高島浴場いやしの湯」です。海水温浴施設は、利用者減少による大幅な赤字と設備の老朽化を理由に、2025年3月で閉鎖されました。現在は、銭湯のみが営業を続けています。

営業時間は14時から21時。施設内には自動販売機も設置されています。

お風呂はこんな感じ。シャンプーやタオルは備え付けがないため持参が必要です。

お風呂上がりに利用できる休憩スペースもあります。ここから港までは徒歩で約3分。船の待ち時間を過ごすのにちょうどよい場所です。

これにて高島の観光は終了。帰りの船には多くの人が並んでいましたが、皆さんどこで過ごしていたのでしょうか。島を歩いている間、観光客の姿はほとんど見かけませんでした。

帰りの船から

2時間半という短い滞在でしたが、見どころは一通り押さえることができたと思います。高島と長崎港を結ぶ定期船は1日8本。たとえば、軍艦島ツアーが正午に終了した場合でも、午後に高島へ渡り、日帰りで観光を楽しむことが可能です

.

今回はここまで。本日もありがとうございました。

.

コメント

タイトルとURLをコピーしました