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今回は「2025年 千葉県佐原 旅行記」その3をお届けします。
★前回の記事は こちら ★
千葉県佐原を歩いて観光
2025年3月20日、佐原駅から小野川沿いを歩いて利根川にやって来ました。

利根川と小野川を隔てる小野川水門。高さ8.85メートル、幅10メートルの扉を備え、通船の確保、逆流防止、自然排水を目的として1968年に竣工しました。1958年、利根川の増水によって小野川が氾濫し、災害救助法が適用されるほどの被害が生じたことが建設の契機となっているそうです。
■参考:1

現在の水門は二代目で、初代が竣工したのは1923年のこと。しかし、水門があったにも関わらず、1958年に氾濫が発生した理由や、初代水門の構造・運用の詳細については不明です。

浚渫船「利根号」が停泊していました。浚渫とは、川底などに堆積した土砂を取り除く作業のこと。川を深くすることで、大雨で水量が増えても水位の上昇を抑え、堤防越水の危険を軽減することが出来ます。

この船は「トネッシー」という愛称で親しまれているそうです。
川の駅 水郷さわら

水の郷さわらに到着。2010年に完成した全国初となる「道の駅」と「川の駅」が一体化した複合施設で、災害復旧に必要な資材を備蓄する河川防災ステーションを併設した防災拠点となっています。

まずは川の駅から。小野川の遊覧船(さっぱ舟)だけでなく、利根川でのモーターボートや、水路でのカヌーもありますが、この日は強風で運休となっていました。

平常時には、防災教育や河川事業への理解を深める展示室や研究室、クラブハウス、観光案内所などに活用されています。加えて緊急車両の格納庫も備え、災害発生時には水防活動や人命救助、復旧活動の拠点として機能するそうです。

こちらは防災教育展示室。見学は無料です。利根川の特徴や過去の水害の記録、防災に必要な知識について、パネル展示や映像、模型資料などを通じて学ぶことができます。

こちらは数字で利根川を紹介するパネル。
- 322:利根川の河川延長は約322km。日本で2番目の長さ。
- 16,840:利根川の支川を含めた流域面積は約16,840㎢。日本一の広さで、千葉県の3倍以上の面積。
- 6,838.3:利根川の支川の長さをすべて合わせると6,838.3km。地球の半径を上回る。
- 805:利根川の支川を全部合わせると805本になる。
- 1,831:利根川水源の大水上山の標高は1,831m。
- 86.7:利根川下流域は、取手市大利根橋から河口に至るまでの86.7kmの流れを指している。
こちらは「転倒ます雨量計」。ますに一定量の雨水がたまると転倒する仕組みで、カタンと1回作動するごとに1.0ミリの降水量として記録されます。1時間に10回カウントされた場合、降水量は10ミリです。

利根川の本流と支川が書かれたマニアックなクリアファイルも無料配布されていました。
道の駅 水郷さわら
県内でも有数の農産物生産地として知られる香取市。市内で生産された野菜や果物をはじめ、様々な特産品が「道の駅」で販売されています。

温暖な気候に恵まれた香取市は早場米の産地。水田面積は県全体の約1割を占め、「千葉県一の米どころ」とも称される地域です。さらに、あまり知られていませんが、マッシュルームは日本一の生産量を誇ります。この日も多くの人たちで賑わっていました。

こちらは「忠敬」という名前の焼酎や甘酒。

「忠敬」というワインもありました。ただ、「忠敬」の名を冠した焼酎やワインについては、調べても情報が少なく詳細は不明です。

こちらは小野川沿いにあった醤油屋さん「正上」の棚。お土産の種類も豊富です。
佐原の繁栄と利根川の歴史
せっかくなので、ここからは利根川沿いを歩いて、対岸の茨城県に渡ります。

遠くに筑波山がうっすらと見えています。なお、利根川は古くからこの場所を流れていたわけではありません。1590年に徳川家康が江戸へ入った当時、利根川と荒川は埼玉県の越谷付近で合流し、東京湾へ注いでいました。

家康は水田地帯を洪水から守る一方で新田開発を推し進め、あわせて木材輸送を担う舟運の整備にも力を注ぎました。さらに、五街道の一つである中山道の交通を確保し、江戸の防災機能を高める狙いから、利根川の流れを東京湾から太平洋沿岸の銚子へと変更し、荒川の流路も西へ移す大事業に着手します。
■参考:日本一長い川 信濃川の歴史
「利根川の東遷・荒川の西遷」と呼ばれる大規模な治水事業によって、関宿(現在の千葉県野田市)が利根川と江戸川の分岐点に位置する水運の要衝となり、江戸の“玄関口”を守る役割を担いました。ここには江戸へ向かう船荷を取り締まる関所が置かれ、関宿藩には代々譜代大名が配置されたそうです。
■参考:2

幕府主導のもと、洪水対策や産業振興、新田開発が進められ、利根川流域では米の生産高が大きく増加。さらに水運による江戸との輸送路が整備されたことで、佐原周辺でも沖積平野の砂地を活かした「早場米の産地」が形成されていったのです。
■参考:3

また、東北方面から房総半島を回って江戸へ向かう外洋航路に対し、銚子から利根川を遡り、関宿で江戸川に入って江戸へ至る航路は「内川廻し」と呼ばれました。江戸期の帆船は冬季に西風が強まると房総半島の通過が困難となるため、この安全な内陸航路が重宝されたのです。
■参考:東北地方でも運河が整備された

銚子で物資を川船に積み替え、利根川を遡り、関宿から江戸川へ至る物流網が、江戸の都市発展を下支えしていました。また内川廻しにおいて、舟運の荷揚げ・荷下ろしの拠点として繁栄し、「江戸優り」と称されるほどのにぎわいを見せたのが佐原です。

ということで、利根川で隔たれた千葉県と茨城県を結ぶ水郷大橋に到着。この橋は千葉市と水戸市を結ぶ国道51号線の一部となっています。

そして、歩いて茨城県稲敷市に上陸。市の南部は日本一大きな川・利根川が流れ、北部には日本で二番目に大きな湖・霞ヶ浦がある町です。

かつてはここを多く船が行き来していましたが、鉄道や自動車や普及により舟運は衰退。今では船の姿がほとんど見られなくなりました。ということで、今回はここまで。本日もありがとうございました。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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