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今回は「雪を見に行く旅 2022」その2をお届けします。
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上越新幹線しか止まらない駅 上毛高原
2022年12月24日、上越線・後閑駅から歩いて約40分、上越新幹線の上毛高原駅に到着しました。
上毛高原駅に停車するのは新幹線だけ、しかも1時間に1本ペース。2019年度(コロナ前)の1日平均乗車人数は719人と、冬しか営業していない上越新幹線・ガーラ湯沢駅(1日平均779人)よりも少ないです。
上越新幹線の開通に合わせて開業した上毛高原駅。2022年で開業から40周年を迎えました。しかし、「上毛高原」という駅名は、建設時の仮称が現在まで使用されているという状況であるため、しばしば議論を呼んでいるようです。2022年にもみなかみ町・町商工会・町観光協会が「みなかみ」を含む駅名にするよう、JR東日本高崎支社へ要望を出しています。
「上毛高原」と言われても、そうした地名や観光名所があるわけではないので、観光客にとってはいまいちピンと来ません。何となく「上毛=群馬」というのは分かりますが、駅周辺の標高は500m以下、一面に牧場や畑が広がるような景色もないので、「高原」のイメージとは程遠いです。
なぜ上越新幹線開業前からある水上駅に新幹線を通さなかったのでしょうか。水上駅ならば新幹線と在来線の乗り換えが出来るだけでなく、水上温泉や谷川岳にもアクセスしやすいです。
上毛高原駅建設の明確な理由は示されていないので、ここからは『水上駅ではなく上毛高原駅が必要である理由』を、様々な角度から探っていきます。
なせここに?歴史・地理・政治的に考察
駅の営業を続けるためには、当然駅を利用する人が必要ですが、上毛高原駅の周辺は閑散としています。
月夜野町・水上町・新治村の合併でみなかみ町が誕生する2005年まで、上毛高原駅の住所は月夜野町でした。2000年の国勢調査で月夜野町の人口が11,245人であるのに対し、水上駅がある水上町は6,252人とおよそ半分程度。
2019年度(コロナ前)の1日平均乗車人数を見ても、水上駅は341名しかいません。ただし、水上駅は観光地に近い分、新幹線が通ることで利用者数が急増する可能性もあります。そのため、駅の需要が『水上駅ではなく上毛高原駅が必要である理由』ではなさそうです。
1970年10月末、当時の橋本運輸大臣によって、東北・上越・成田新幹線の建設計画が明らかにされました。それから約3か月後には上越新幹線の基本計画が公示され、1971年11月末に建設工事が始まっていることから、『上越新幹線がどこを通るのか』はこの時期に決定されたと考えられます。
高崎市のホーページによると、1971年10月から市内各所で路線発表と説明会が行われ、高崎駅で起工式が挙行されたのは11月。上越新幹線が高崎駅(当時から各路線が集まるターミナルだった)を経由し、清水トンネル付近から新潟県へ抜けることを前提とすると、高崎駅から清水トンネルへ直線的に向かうのが最短経路です。
直線的に線路を敷くことが出来れば、新幹線もスピードを出すことが出来ます。高崎駅から山々を貫通し、最短経路で清水トンネルへ向かう場合、多数または長いトンネルが必要となる一方で、市街地を通るよりも用地買収の手間はかかりません。
上越新幹線の建設と同時期には、上越線に沿うような経路で関越自動車道の建設も行われており、その工事との調整も必要になったことでしょう。上越新幹線が関越自動車道が並走するような経路で建設されていたら、どちらも開通時期が遅れていたかもしれません。
1970年代初期は「沼田ダム問題」もありました。1952年、利根川周辺地域の水害対策と都心の水不足・電力不足を解消することを目的に、「沼田ダム」の建設計画を閣議決定。これが完成すると日本最大規模多目的ダムとなる一方で、沼田市の市役所や駅、警察、病院なども水没予定となりました。高台に新しい沼田市街地を造成し、新たに工場や研究所を誘致することで、沼田市の活性化を図る方向性も示されましたが、地元はこの計画に猛反対。
沼田市・群馬県・群馬県議会の反対で、ダム建設が正式に中止となったのは1972年のことでした。上越新幹線や関越自動車道の建設工事が着工した時はまだ、沼田ダム建設の可能性が残されていたのです。実際に関越自動車道は、沼田市街地を迂回するような経路で建設されています。
山の中に新幹線を建設すれば、ダム工事の影響は受けません。現在、高崎駅ー上毛高原駅間は72%が、上毛高原駅ー越後湯沢駅間は96%がトンネルとなっている背景には、こうした事情もあるのだと思います。
ちなみに、水上駅の近くにわずかな地上区間がありますが、ここに駅を設置した場合はトンネルからの風圧の影響を減らすため、新幹線は減速を余儀なくされることでしょう。トンネルの中に新幹線の駅を作るのもまた現実的ではありません。
JR東日本の水・From AQUAの採取地
上越新幹線がなぜこの経路を通っているのかを考えると、新幹線の高速運転と早期開通を同時に実現しようとする努力が垣間見えます。
中山トンネル建設工事は、日本のトンネル建設史上屈指の難工事として知られています。急いでいたが故、十分な地質調査が行われず、2度の大規模な出水事故が発生。ただ、新たな場所にトンネルを建設する時間も費用もなく、湧水地帯を迂回するような形(S字カーブ)で線路が敷かれました。今でも新幹線はこのS字カーブ区間で減速走行を余儀なくされています。
ちなみに、大清水トンネル掘削中に湧出した水は、作業員さんたちの間で美味しいと評判になり、1984年に「谷川連峰の源水 大清水」として発売され、2007年からは「From AQUA」という名称で駅の自販機などに並んでいます。採水地の玄関口として、上毛高原駅には谷川岳の“離れ”をコンセプトにした「tanigawahanare(タニガワハナレ)」が開設されています。
利根沼田地域による誘致運動と田中角栄
上越新幹線の経路が決定されると、沿線地域による新駅誘致運動が始まりました。
高崎駅から越後湯沢駅までノンストップの場合、駅間の距離は70km以上。もし2022年時点で上毛高原駅が存在しなければ、日本最長の駅間となっていました。新幹線の駅は20km~30kmおきに設置されていることが多いです。そのため国鉄としても、群馬県内にもうひとつ駅を設置する意向があったと考えられます。
私がネットで調べた限り、誘致運動の中心は「渋川」「利根沼田」の2地域だったようで、結果として利根沼田地域に現在の上毛高原駅が設置されました。上毛高原駅を核としたまちづくり構想策定委員会の資料によると、当初、利根沼田地域の1市8町村(沼田市・白沢村・利根村・片品村・川場村・昭和村・水上町・月夜野町・新治村)は、「奥利根駅」という名称を採用しました。
その後「月夜野駅」案も出るなどの紆余曲折を経て、中曽根康弘氏(高崎市出身)の案と、利根沼田以外の自治体による賛成で、「上毛高原駅(建設工事中の仮称)」が正式な駅名として採用されたそうです。上越新幹線の駅に渋川が選ばれなかった背景には、駅の距離間(高崎から近く越後湯沢まで遠い)だけでなく、1972年に総理大臣となる田中角栄氏の影響も否定は出来ません。
上越新幹線の建設主体は、田中氏が設立に関与したとされる日本鉄道建設公団。1971年、上越新幹線と同時に東北新幹線・成田新幹線の基本計画も公示されますが、各新幹線の終着点となる地域の選挙区には,岩手:鈴木善幸(自民党総務会長)、新潟:田中角栄(自民党幹事長)、成田:水田三喜男(自民党政調会長)がいました。
自民党総裁選挙を翌月に控えた1972年6月、田中氏は政策綱領「日本列島改造論」を発表。その中で田中氏は、かつて鉄道によって北海道の開拓が進み、人口が増加した事例を引用。人口の少ない地域に駅を作り、その駅を拠点にして地域開発を進めるべきという考えを示しています。
上越新幹線開業前から渋川には街があり、上毛高原駅周辺は未開発でした。これも推測ですが、自分が進めた取り組みによって、これだけ地域が発展したというような、明確な結果や実績を求めていたのかもしれません。
ということで、上毛高原駅から15分もかからず越後湯沢駅到着!上毛高原駅と越後湯沢駅間は実距離と営業キロが一致していません。運賃は上越線・後閑駅と越後湯沢駅間の営業キロで計算されて860円。これに自由席特急券880円を加算した1,740円がかかりました。
この日は大雪で上越線は終日運休。上越新幹線も少し遅れていましたが、ほとんどの区間がトンネルであるため、雪の影響も受けにくいです。越後湯沢駅で再び上越線に乗り換えて、只見線の始発駅・小出を目指します。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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