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今回は「2022年 夏 宮城県の島旅」旅行記その7をお届けします。
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網地島を日帰りで観光する
2022年7月17日、宮城県石巻市の有人島「網地島(あじしま)」の長渡(ふたわたし)港に上陸しました。
今回は日帰り旅。島での滞在時間は約3時間です。島の南部に位置する長渡港から、北部の網地港まで歩いて移動しながら島を観光します。
長渡港には「融雪剤 入ってます」と書かれた箱がありました。7月なので、当然この日は雪がありませんが、黒潮海流の影響を受ける網地島は、年間を通じて温暖少雨で、冬の降雪もほとんどないようです。
■ 参考:1
網地港へ移動する前に、まずは長渡集落を散策。
こちらは港のそばにある雷神社。神社の由緒や歴史は不明ですが、毎年4月下旬に開催される「雷神宮祭」では、みこしを担いだ男性らが海に入る「あばれ海神輿」が行われているそうです。
社殿の横には「成田山」と書かれた石碑がありました。成田山と関係があるのかと思いましたが、成田山は神社ではなくお寺。雷神社と成田山にはどんな関係があるのでしょうか。
こちらも港のそばにある網地島郵便局。島で唯一の郵便局です。
現在の郵便局の横に古い時代の郵便局がありました。網地島郵便局が開局したのは1939年。もしかしたら、開局当時のものが残されているのかもしれません。
郵便局の向かいには、これまたレトロな佇まいの高橋商店がありました。
ただ、この時は配達中ということで、お店の中の様子を見ることは出来ず。
集落を歩いている途中で、配達中と思われる軽バンを見つけました。恐らく船で届いた荷物を、高橋商店さんが各家庭に届けているのでしょう。
こちらもまた昔ながらのお手洗いです。
みんなの808は、網地島へ移住したご夫婦が切り盛りする島で唯一の八百屋さん。お店の看板によると、金土日の8時08分から11時まで営業しているようですが、すでに11時を過ぎており、ドアは閉まっていました。
お店のホームページやFacebookはしばらく更新されていません。2024年12月現在、Google Mapでは臨時休業中となっており、営業しているのは不明です。
佐藤電気商会もまた営業しているのかは分かりません。ちなみに、自動販売機は島内で何台か見かけました。
この道の先には、たばこ・酒類・塩・食品を販売する畑ケ中商店があるようです。たばこ・酒類の並びに「塩」があるのは、専売制度があった時代(1905年~1997年)の名残でしょうか。
矢印の先にあったのは一軒家。お買い物が出来る商店ではなさそうなので引き返します。
パワースポット 大金神社へ
しばらく長渡集落を歩きましたが、ここまで観光客らしき人は誰も見かけません。
旅館や民宿は数軒あるので、島に宿泊することも出来ます。
続いてやって来たのは、集落の外れにある大金神社。いかにも縁起が良さそうな名前の神社で、網地島の観光名所と言えるパワースポットです。
網地島の近くには、青森県・恐山、山形県・出羽三山とともに【東奥三大霊場】に数えられる金華山という島があります。金華山に3年連続で参拝すると、一生お金に困ることはないと言われていますが、網地島の大金神社には、金華山黄金山神社の姉神様が祀られており、どうやら1回の訪問で金華山に3年通うのと同じ効果があるそうです。
長渡港から網地港まで歩く
こちらの商店はすでに営業しておらず、空き家のようになっています。他にも島民のおよそ4分の1が暮らす長渡集落には、空き家が多く見られました。
2010年の国勢調査で網地島の人口は426人でしたが、2020年は247人。東日本大震災の影響もあり、人口は10年で42%減少し、同時に高齢化も進行しています。
島の主産業は今も漁業ですが、その次に多いのは医療・介護に従事している方です(2020年の国勢調査より)。
こちらは長渡集落にある鼇甲庵(ごこうあん)。ここがどんな場所なのか、詳しいことについては調べても分からず。網地島の情報はネットを調べてもあまり出てきません。この情報の少なさは一島一町村ではなく、島が石巻市(2005年までは牡鹿町)の一部であることもいる影響でしょう。
庭に立っていた消えかかった看板から、明治時代はどうやらここに学校があったようです。
現在は幼稚園や保育園はもちろん、小中学校も無く、島の子供たちは牡鹿半島にある鮎川小学校・牡鹿中学校に通うことになっています。
長渡集落の散策はここまで。続いては県道網地島線を歩いて、約5km先にあるもうひとつの集落「網地」へと移動します。
なお、両集落を結ぶ牡鹿地区市民バス(網地島線)も1日5便運行されており、料金は1回の乗車につき200円です。
道はこんな感じ。緩やかな上り坂が続き、道沿いに民家などはありません。昔から島内にある2つの集落は、この小高い山によって分断されていたのでしょう。Wikipediaでも「昔からライバル意識が強く、現在でもその傾向は幾分残っている」と紹介されています。
途中にあじしま公園の看板?がありましたが…
園内には雑草が生い茂り、朽ち果てた遊具だけが残されていました。
県道の両側には木々が立ち並び、海の景色も見えず、道中は少々退屈です。
こちらは1999年に閉校となった網長小学校。かつて網地島では3000人を超える住民が生活し、1960年には、網長小学校だけで571人の児童が在籍していたそうです。
■ 参考:2
校庭は緊急時のヘリポートとして、校舎は民間の医療法人が運営する病院(網小医院)と福祉施設として活用されており、文部科学省の「廃校リニューアル50選」にも選ばれています。
草木の陰にひっそりと、二宮金次郎像も置かれていました。
旧網長小学校の横にあったのは網地島開発総合センター。恐らく行政関係の施設でしょう。建物の外壁全体が、Reborn-Art Festivalの一環でBIENさんによって描かれた「幕間」という作品になっています。
女川原子力発電所で原子力災害が発生した際の、放射線防護対策施設としての機能も持つようです。
そこから少し進んだ場所にあるのが網長中学校。こちらも2000年に閉校となった学校です。
現在は「島の楽校」という野外活動施設として活用されている他、「昔の子どもたち(島のお年寄り)」が、「未来の大人たち(島外の子どもたち)」に島の夏休みを体験してもらうことを目的とした【あじ島冒険楽校】も開催されています。
そして再び、県道網地島線を歩きます。
「網地行政区」と書かれたベンチがありました。どうやら網地集落に入ったようです。
気になる看板を発見。この先に絶景ポイント「ヨッショ」があるようです。
看板の案内に従って、少し森の中へ入ってみましたが、ヨッショまでの距離は約700mもあるということでUターン。果たしてヨッショはどんな景色が広がっているのでしょうか。
雲が晴れて、ようやく青空が見えてきました。間もなく網地集落に到着です。
網地島も猫の島だった
こちらは網地白浜海水浴場。石巻市のホームページによると、「遠浅でエメラルドグリーンに輝く、東北有数の透明度を誇り、外洋ならではの美しさが自慢」と紹介されています。夏は海水浴客で賑わうそうです。
海水浴場の近くには、食事を提供するお店?海の家?もありました。
レンタカーも借りることが出来るようです(詳細不明)。
網地港は海水浴場のすぐ隣に位置しており、帰りの船までまだ時間があるので、港周辺を散策してみることにします。
石巻観光協会によると、ペンション・晴耕雨読では宿泊だけでなく、ランチのバーベキューも予約出来るようです。GoogleMapでは、「お料理が美味しい」という口コミも見られます。
GoogleMapに載っている渡辺商店もまた営業しておらず。島に上陸してからここまで歩き続けたので、商店の前に置かれたベンチで少し休憩していると…
どこからやって来たのか、私の周りに猫さんたちが集まってきました(笑)先ほどご紹介したあじ島冒険楽校のブログによると、網地島では猫を外で飼う家が多いそうです。
猫の数も多いようで、網地港の桟橋には「猫に注意(島のにゃんこは車が来ても逃げません)」という注意書きがありました。
お隣の猫の島・田代島にいるのは野良猫ですが、網地島の猫は餌を与えられて飼われているので、人懐っこいのでしょう。道端には、猫用のものと思われる水が置かれており、その周りには魚の小骨が散乱していました。
ん??これはウニの殻です。
港付近の海中をよく見ると、無数のウニがいました。
道路に落ちていたウニの殻が猫のものかは不明ですが、島のウニやナマコを獲ることはNG。漁業の島であることが伺える光景でした。
最後にやって来たのは港のそばにある熊野神社。こちらは宮城県神社庁のホームページにも掲載されている神社です。
敷地内にあった建物の外壁には、謎のメッセージが書かれていました。その場では「不気味だな…」と思いましたが、どうやらこれはロイス・ワインバーガーという詩人の「詩」という作品らしいです。なぜここに書かれているのかは分かりません。
「なぜここに?」と言えば、網地白浜海水浴場に勇ましく座る外国人男性の銅像が置かれていました。この方のお名前はベーリング。次回は網地島にベーリングさんの銅像が置かれている理由をご紹介します。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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