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今回は「2023年 開国の歴史を辿る旅」その12をお届けします。
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東京海洋大学へ
2023年7月17日、新木場駅のそばにある「夢の島熱帯植物館」から京葉線で移動し、越中島駅にやって来ました。

目的地は、越中島駅から歩いて5分ほどの場所にある東京海洋大学越中島キャンパス。構内で展示されている「明治丸」という船を見学します。

歩道橋で興味深い看板を見つけました。東京海洋大学は2003年10月1日、東京商船大学と東京水産大学を統合して設置された大学です。その歴史は1875年に東京・霊岸島で設立された私立三菱商船学校に遡ります。
■ 参考:三菱会社設立の歴史

これは、船舶運航技術に熟練した船員を保護・育成することを目的とし、当時の三菱会社に商船学校の設立が命じられたものです。明治政府は1874年の台湾出兵の教訓として、有事の際の徴用を前提に、民族資本の海運会社を育成することを急務としていました。
■ 参考:台湾出兵とは

そしてこちらが明治丸。原則、火曜・木曜・第一&第三土曜日が公開日となっており、船内を無料で見学することが出来ます。この日はちょうど「海の日」。海の日もまた、明治丸に由来する記念日であることはあまり知られていません。
■ 参考:明治丸の公開情報は こちら

明治丸のそばには、商船教育発祥を記念して建立されたという「アンカーの塔」がありました。このアンカー(錨)は、かつて明治丸を係留する際に使用していたそうです。

船内を見学する前に、まずは明治丸の歴史を知るため「明治丸記念館」へ。明治丸の歴史がパネルで展示されていますが、館内は撮影NG。それほど広くもありません。
明治丸の船内を見学
明治丸は明治政府・工部省が灯台視察船としてイギリスへ発注した船です。1874年にグラスゴーで竣工し、翌1875年に横浜港へ到着しました。

現在は陸上で固定されていますが、竣工から150年も経っている船に乗る機会はなかなかありません。なお、2013年から2015年にかけて大規模な修復工事が行われたこともあり、船内は美しい状態を保っています。

全長68.6m・全幅6.9m・重量1,027.57トンという明治丸。現存する唯一の鉄船(※現在の船はすべて鋼船)であり、日本の造船技術史上の貴重な遺産として、1978年に船舶として初めて国の重要文化財に指定されました。
小笠原領有にまつわる歴史的役割

日本に回航された明治丸が外洋を航海した最初の記録は、1875年11月の小笠原諸島への航海です。当時、小笠原の領有権問題が国際的に注目されており、明治政府はこの年、小笠原諸島の所轄方針を定め、調査団を派遣するための船として明治丸を選定しました。
■ 参考:小笠原で領有権問題が発生していた理由

明治丸は11月21日に横浜港を出港し、11月24日に父島・二見港に到着。調査団はただちに島民を明治丸の甲板上に集め、日本政府が小笠原諸島を領有する方針を決定したこと、ならびにその調査のために来島したことを伝えました。
■ 参考:小笠原と定期航路の歴史

内装は豪華ですが、窓は少なめ。当時も今も船内にエアコンはありません。明治丸の全長は現在のおがさわら丸の半分よりも小さく、トン数は約10分の1。換気の悪い小さな船で行く、11月の小笠原への航海は、相当過酷だったと思います。
■ 参考:地獄の定期船 おがさわら丸

明治丸が父島へ到着してから2日後、11月26日にはイギリスの軍艦カーリュー号も二見港にやって来ました。この時、明治丸が先に到着していたことにより、日本は小笠原諸島の領有権主張における外交的優位を確保し、現在に至る日本の排他的経済水域(EEZ)の基礎を築く重要な一歩になったとされています。

政府の調査団は、現住者の戸口調査、寄港した外国船の記録、島内で死亡した者の国籍別調査を実施。これに基づき「小笠原島開拓計画書」や「政務支庁設置に関する経費予算書」などの資料が作成され、内務省・大蔵省・海軍省・外務省へ報告書が提出されました。

その後の1876年、この調査結果に基づく「小笠原島着手方略見込書」が太政大臣に提出されると、欧米12か国の駐日公使に対し、日本が小笠原を直轄支配する旨の通告がなされ、領有問題は最終的に決着を迎えることとなります。
海の日の由来になった船

同じく1876年の夏には、明治天皇の東北・北海道巡幸に際し、青森から明治丸に乗船。函館を経由し、7月20日に横浜港へ帰着しました。この出来事にちなんで、1941年に「海の記念日(のちの海の日)」が制定されたのです。

1879年には、琉球処分に関連して明治丸が沖縄へ派遣されましたが、その後、明治丸はおよそ20年にわたり「燈台巡回船」として日本各地の灯台を点検・整備する任務に従事しました。

幕末から明治にかけて、日本近海は「Dark Sea(暗い海)」と恐れられており、外国船の航行を阻んでいたようです。政府にとって灯台建設は急務であり、明治丸は航路の安全確保に大きく貢献しました。また、明治丸は海底電信線の敷設工事にも活用されています。

1896年には商船学校の係留練習船として貸与され、約5,000人以上の船員育成に寄与しました。
戦後しばらくは放置されていましたが、記念艦としての保存が決定。1963年に地上に固定された後も、1975年頃までは実習などで使用されていたそうです。

東京海洋大学には40分ほど滞在しました。ということで、開国の歴史を巡る旅は次回がラスト。次は北海道・函館へと向かいます。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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