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今回は「2022年 夏 宮城県の島旅」旅行記その2をお届けします。
★ 前回の記事は こちら ★
塩竈市営汽船で浦戸諸島へ
2022年7月16日、宮城県仙台市にやって来ました。
今回の目的地は浦戸諸島(塩竈市)。日本三景として有名な「松島」のエリアです。松島は松島湾内外にある約260の島々の総称を指すことが一般的。浦戸諸島は松島を構成する島々の一部と言えるでしょう。
しかし、この日の松島周辺は大雨。
Yahooのトップにも【宮城・松島町で緊急安全確保】と出ており、多くのJR線が運転を見合わせている状況でした。
浦戸諸島へ渡る定期船が出ている港の最寄り駅は仙石線の東塩釜駅。仙石線は遅れながらも運行はしており、定期船も欠航していないようです。
仙台駅からおよそ40分で東塩釜駅に到着。松島は展望所や遊覧船で景色を楽しむのが一般的な観光で、人が住んでいる島があることはあまり知られていません。松島湾に浮かぶ200以上の島々のうち、4つの島に人が住んでおり、それらの有人島を結ぶ塩竈市営汽船はマリンゲート塩釜から出ています。
東塩釜駅からマリンゲート塩竈までは徒歩で20分ほど。松島湾をクルーズする観光船が出ている港でもありますが、この天気なので観光客らしき人はいません。
こちらの券売機で乗船券をゲット。浦戸諸島にある4つの有人島は桂島・野々島・寒風沢島・朴島。桂島には島の西側の「桂島」と、東側の「石浜」という2つの港があります。
こちらは塩竈市営汽船の運航基準図。塩竈港を出港した後、まずは桂島へ寄港し、野々島を経由して桂島のもうひとつの港・石浜へ向かう経路となっています。
まず向かうのは定期船の最終寄港地「朴島(ほおじま)」。料金は片道630円です。相変わらず大雨警報が出ており、天気予報は良くありません。ただ、それほど雨は降っておらず、風も無かったので、船は通常運航でした。
船内はこんな感じ。朴島まで私以外の乗客はいませんでした。
9時30分、塩竈港を出港。朴島まではおよそ55分の船旅です。小さな船ですが、湾内を航行するので揺れはそれほどありません。晴れていれば、この船からも日本三景・松島の景色を楽しむことが出来たでしょう。そしてよく見ると、海の至る所に「木の棒」が立っていることが分かります。
どうやらこの一帯で行われているのは「牡蠣」と「海苔」の養殖。宮城県は牡蠣の生産量が広島県に次いで全国2位。松島湾はその主要産地のひとつです。
一方、松島湾周辺は国内最北の海苔養殖地。親潮の影響を受けて育った宮城県産の海苔は「みちのく寒流のり」としてブランド化されています。
船は無数にある木の棒を避けるように進み、定刻通り朴島に到着しました。この船が折り返し塩竈港に向けて出港するのは25分後。それまでの間、朴島を歩いて観光します。
下船するとさっそく興味深いものがありました。これは牡蠣の養殖に使用されるホタテの貝殻です。
通常、牡蠣の幼生はふ化後、海中を漂った後、約2週間ほどで岩などに付着し成長する性質があります。牡蠣の養殖ではこの性質を利用し、夏になるとホタテの貝殻を海中に入れて、牡蠣の幼生を付着させるのです(採苗)。
人口10人の朴島を25分間で観光してみた
そんなわけで、朴島の主要産業は「漁業」ですが、2020年の国勢調査によると、島の人口は10人。仕事をしているのが6名で、うち5名が漁業従事者です。
周囲2.2kmの小さな島で、人々は定期船が入る港の周辺に暮らしています。
Google Mapを見ていて気になったのは、港のそばにある『トイレ(土足厳禁)』。
こちらがそのトイレ。
確かに「土足厳禁」と書かれています。
中はこんな感じ。スリッパが用意されており、こうしたトイレにしてはかなり清潔に保たれています。ちなみにこのトイレは、微生物の働きで排泄物を処理する「水循環式簡易水洗トイレ(汲み取りがいらない=環境にやさしい)」とのこと。
島にカフェや商店などはありません。観光客が利用することの出来る島の施設はこのトイレと船の待合室だけです。待合室ではFree Wi-Fiも繋がります。
果たして朴島を訪れる観光客はどれほどいるのでしょうか。宿泊施設が無いことに加えて、浦戸諸島全域が宮城県立自然公園に指定され、キャンプや焚き火などが条例で禁止されているため、朴島に宿泊することは実質出来ない状態となっています。
自動販売機も無いため、日帰りで朴島を訪れる際も事前に飲食物は確保しておかなければなりません。また、島を歩いていて自動車も見かけませんでした。
そして、朴島もまた東日本大震災で被災した場所のひとつです。集落はチリ地震津波(1960年)の後に作られた防潮堤に囲まれていましたが、その一部が地震で倒れたことに加えて、地盤沈下も発生し、集落に津波が流れ込みました。
震災前後の空中写真を見ると、確かに集落の建物が激減しています。なお、塩竈市の資料によると、朴島の被害はこれでも浦戸諸島の他の島々に比べて少なかったそうです。
■ 参考:1
■ 参考:2
それでもやはり、震災の前後で島の人口は半減。最年少の方でも55歳以上という状況です。
現在の集落は2015年に完成した市営浦戸朴島住宅が大部分を占めています。
2022年に公開されていた情報によると、この市営住宅の家賃は所得によって変わるようですが、高くても2LDK(ペット飼育可)で23,200円とのこと。震災後に朴島へ移住した人もいるのでしょうか。
松島湾の謎めいた島?
集落を少し離れて、津波避難場所にも指定されている「神明社境内」へ行ってみます。
鳥居がありました。この神社についての詳細は不明ですが、Wikipediaによると、神明社(神明神社)は天照大御神を主祭神とし、伊勢神宮内宮を総本社とする全国各地の神社のことを指すようです。
この神社もいつからあるのでしょうか。朴島では奈良・平安時代の貝塚・製塩遺跡も見つかっています。様々な島がある松島湾で、なぜ朴島に昔から少数の人々が暮らし、震災後も無人島にならなかったのかは興味深いです。
■ 参考:3
塩竈市のホームページによると、名前の由来も諸説あり、伝説の鳳凰がいた(から「ほうおうじま」)という説や烽火(のろし)を上げたことから烽島(ほおじま)という説、江戸時代に伊達藩の軍用金や貴重な宝物が隠されていたという伝説から「宝島(ほおじま)」と呼ばれていたものが朴島になったという説もあり、『謎めいた島』として紹介されています。
そんな朴島の名物は「菜の花」。春になると、この神社の先に黄色い花畑が広がるそうです。時期がずれているので、この先へ行っても菜の花畑を見ることは出来ませんが、行けるところまでは行ってみます。
確かに、神明社の先にも階段は続いていました。
しかし、ここでタイムアウト。船に乗るため港へ引き返します。朴島の菜の花の正体は白菜の花。明治時代、中国の華北地方から伝来した種子をもとに、大正時代に浦戸諸島で育成された白菜は「松島白菜」として、日本の白菜の原型のひとつと言われているそうです。漁業の島と思われがちですが、昔から農業も盛んであったことが伺えます。
■ 参考:4
そしてここにもトイレがありました(笑)このトイレもまた『簡易トイレ』とGoogleMapに表示されており、気になっていたので、見ることが出来て良かったです。
さらば朴島。わずか25分の滞在でしたが、上陸したことに意味があったと思います。震災にも耐えたこの島は、今後の人口減少の波も乗り越えることが出来るのでしょうか。
無事船に間に合い、船内で乗船券をゲット。なお、朴島からの船は1日6便から8便あるので、もし乗り遅れても、午前中であれば島から出られなくなる心配はありません。次は寒風沢島へ向かいます。
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今回はここまで。本日はありがとうございました。
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