ハングルの看板が並ぶ対馬・厳原港~対馬と韓国(朝鮮)の歴史をご紹介|2020 対馬旅行記2

対馬旅行記

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今回は【2020年 対馬旅行記】その2をお届けします。

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ハングルの看板が並ぶ対馬・厳原港

夜に博多港を出港したフェリーちくしで一晩を過ごし、翌朝に対馬・厳原港へ到着しました。

港には路線バスが横付けされていました。 このバスに乗ると、島の南部・厳原から、北部・比田勝まで行くことが出来ます。フリーパスもあり、料金もそれほど高くはありません。

対馬は日本で4番目に大きな島。路線バスを利用した場合、比田勝までの所要時間は2時間半もかかります。また、バス停の近くで観光出来る場所も少ないです。

明るくなってから撮影

今回は滞在時間が約25時間しかないので、レンタカーを利用することにしました。港前にあるレンタカー屋さんでは、何かが500円で販売されていましたが、表記はハングルのみ。日本語表記はないため、「何か」の正体は分かりません。

こちらは長崎県の統計をもとに作成した、対馬の「年次別外国人観光客数」のグラフ。2016年から2018年にかけて、対馬を訪れる韓国人観光客が急増していることが分かります。

港からさっそく、日本語とハングルが併記された案内が並んでいます。

明るくなってから撮影

厳原港のバス停にも、ハングルの張り紙がありましたが、何が書いてあるのか全く分かりません(笑)

明るくなってから撮影

港の前に立ち並ぶ看板たちも、ファミリーマート以外はよく分からず。韓国人観光客の増加に比例して、島内にハングルが書かれた案内や看板が増えたと推測されます。

韓国と対馬を往復する高速船もあり、韓国では『安・近・短』の外国旅行先として、若者を中心に対馬が人気の旅行先となっていたようです(私も高速船で対馬から出国してみたかった…)。

韓国人観光客(宿泊客実数)がぐっと増えた2017年からは、日本人観光客(日帰り客数と観光客実数)が急減しました。

2019年に日韓関係が冷え込むと、韓国人観光客も激減し、日本人観光客も韓国人観光客もいなくなってしまったという状況です。そこにコロナが追い打ちをかけました。

対馬と韓国(朝鮮)の歴史をご紹介

車を借りるのは10時からなので、それまでは暇です。

港から1.5kmほど歩いて、厳原市街地へ行ってみることにしました。

CUSTOMSと書かれたこちらは「厳原税関支署」です。さっそく国境の島であることを実感します。

対馬と韓国(朝鮮)の歴史は古く、有名な「魏志倭人伝(弥生時代)」にも、交易を行っていたという記録があるそうです。仏教を始め、最先端の大陸文化や技術がいち早く伝来する島でした。

鎌倉時代から明治維新までの約600年間、対馬は宗氏の支配下にありました。1392年に朝鮮が建国されると、宋氏は日朝貿易を仲介するようになり、江戸幕府による鎖国の時代も、対馬と朝鮮の交易は認められていました

こちらは厳原の中心地にある「金石城跡」。17世紀後半(江戸時代)に城となり、近世にかけて宗氏の居館が置かれ、対馬治世の拠点となりました。

こちらは金石城跡のそばにある宗家の墓所。1615年に建立され、その7~8年後に萬松院(万松院)という名前が付けられました。大火で一度焼失しており、現在の本堂は1880年に再建されたものですが、山門だけは焼失を免れたため、昔のまま残っているそうです。

金沢市の前田藩墓地、萩市の毛利藩墓地と並んで、日本三大墓地とも言われている場所ですが、入場料300円がかかるということで、中には入らず入口でUターン。

こちらは歩道に設置されていた【朝鮮通信使関連地マップ】。国交省の資料を引用すると、朝鮮通信使とは「朝鮮通信使は、豊臣秀吉の朝鮮出兵によって断絶した日本と朝鮮の国交を回復するため、徳川家康の意向を受けた対馬第19代島主・宗義智の外交努力により、朝鮮から日本に送られるようになった外交使節団」のことです。

江戸時代、朝鮮通信使は計12回来日していますが、彼らはまず対馬に上陸し、その後壱岐・下関を経由して江戸を目指しました。壱岐・五島と並んで、古代から交易で栄え、今も史跡・文化・行事等にその名残が残る地域として、対馬は日本遺産にも登録されています。

人口減少が著しい

厳原にある在日本大韓民国民団長崎県対馬支部

昔から対馬が日朝の橋渡しに積極的だったのは、島の財政が朝鮮交易に依存していたからだと言われています。観光客の激減はまさにそうですが、昔から今も、対馬は日朝(日韓)に大きく影響を受ける島なのです。

漢字の横にハングルが併記された郵便局。そしてちらっと「東横イン」も見えていますが、2022年現在、対馬には東横インが2つあります。

2020年国勢調査

一方で、島の産業を見ると、漁業に従事している人が多く、観光客を相手にする宿泊業やサービス業などに従事している人は意外と少な目でした。

2020年の国勢調査で、対馬市の人口は28,500人ほど。本来、町村が「市」になるためには、人口5万人以上という条件がありますが、すでにそれを満たすことが出来ていない状況です。これからの対馬財政に影響を与えるのは、日韓関係よりも、急激な人口減少の方かもしれません。

そんな対馬の中心地・厳原は思っていたよりも都会でした。

Wi-Fiサクサクなモスバーガーがあったので、車を借りる時間まで、ここで過ごしていました。

ということで、時間になったのでレンタカーをゲット!最初の目的地は、「日本最強の城」という肩書を持つ金田城跡です。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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