日本最強の城・金田城跡 城山の山頂まで歩く!国防の拠点となった城の歴史|2020 対馬旅行記3

島旅

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今回は【2020年 対馬旅行記】その3をお届けします。

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日本最強の城 対馬の金田城跡へ

2020年1月28日10時、厳原港でレンタカーを借りて、車で対馬を巡ります。

まず向かうのは「金田城跡」。2019年にNHKで放送された<あなたも絶対行きたくなる!日本『最強の城』スペシャル 第4弾>という番組で、日本最強の城に選出されたそうです。ちなみに「最強の城」の定義は、城好き芸能人の皆さんが選ぶ「視聴者の皆様にぜひ訪ねていただきたい城」とのことだそう。

「この道で合ってるのか?」と思いましたが、この道で間違いありません。「道が狭い」ことは事前に調べて覚悟していましたが、対向車が来ないことを願いながら、ゆっくりと車を走らせます。

15分ほど狭い山道を走り、何とか最初の目的地・金田城跡の入口に到着。駐車場はなく、車の停め方については写真付きの案内が設置されています。4台までしか停めることが出来ないようですが、この時は私だけでした。

金田城は大阪城や名古屋城のような形の城ではありません。「城山」という山全体がお城になっており、標高276mの山頂まで遊歩道が整備されています。

こちらは登山口に置かれていたパンフレット。青い点線のトレッキングコースに沿って歩きます。このトレッキングコースも事前に色々と調べましたが、「所要時間」や「ハードさ」についての口コミは人それぞれ。どれくらい大変なのかが全くつかめていない状態で、とりあえず山頂を目指します。

遊歩道はこんな感じ。この写真では険しい道のように見えますが、実際はそれほどハードではありません。迷う心配もなく、私も普通の服装・靴でしたが、問題なく歩くことが出来ました

水分を忘れなければ大丈夫でしょう。何ならもし水分を忘れても、道沿いに滝があるので、本当に困ったら、こちらの水に頼ることが出来るはずです。

城山の山頂まで歩く

登山口から歩いて約10分。最初の絶景ポイントに到着しました。

一見すると湖のようですが、こちらは浅芽湾という海。沈降によって出来たリアス式海岸です。周囲を島々に挟まれているためいつも穏やかで、交易の拠点となっていました。

よく見ると何かの養殖が行われています。恐らくこれは真珠(か「ブリ」)。真珠は伊勢湾が有名ですが、都道府県別の生産量を見ると1位は愛媛県、2位が長崎県で、対馬は長崎県の代表的な真珠生産地となっています。

そしてこちらは「東南角石塁」と呼ばれる石垣の一部。城山はこうした石塁(石垣)に周囲を囲まれており、その総延長約2.2kmにもなるそうです。

こちら(斜面)は「金田城壁石垣」。遊歩道を歩いていると、こうした城の跡を見ることが出来ます。日本書紀には、667年に大和朝廷が高安城(大阪府・奈良県)、屋嶋城(香川県)、そして金田城が築いたと記されているそうです。

頂上まで残り10分のところまでやって来ました。

登り始めてから約40分、城山の山頂に到着しました… と思ったら、ここが山頂ではなく、もう少し登ったところに山頂があるようです。

国防の拠点となった城の歴史

城山の山頂(標高276m)に到着しました。金田城築城の背景にあるのは、663年に朝鮮半島で起こった「白村江の戦い」です。唐・新羅の連合国により、日本(大和朝廷)と同盟関係にあった百済が滅ぼされ、日本が大和朝廷が送った援軍も大敗。

唐や新羅などによる攻撃に備えて、対馬・壱岐・筑紫などに外敵の襲来などを都に急報するための設備「烽火」と、国境守備兵「防人」が置かれました。金田城を築いたのはそうした防人たちで、彼らが家族や故郷を想う心情は、万葉集の「防人の歌」として伝えられています。

現在も残る砲台跡

国防のために造られた金田城は、明治期に再整備が進み、1901年に「城山砲台」が完成。南下政策を進めるロシアに対する防衛拠点にもなりました。

■ 参考:幕末におけるロシアの動き

こちらも山頂近くにある建物。弾薬庫の跡だと思われます。特に注意書きなどもないので、中の様子を覗いてみると…

こんな感じ。中は特に何もありませんでした。

こちらは恐らく井戸の跡。また、私が歩いた遊歩道も軍道として整備された名残です。結局、山頂付近にいたのは15分くらい。走って下山したので、20分くらいで登山口に戻ってきました。再び車に乗り、次の場所へ向かいます。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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