小次郎の正体は不明?巌流島決闘の価値とは何か|2021年 御船印旅行記 その52

旅の思い出

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今回は「御船印をゲットする旅 2021年10月」その52をお届けします。

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決闘の聖地「巌流島」

巌流島にやってきましたが、ここまで「船」しかご紹介していません

巌流島といえば、1612年4月に宮本武蔵・佐々木小次郎の決闘が行われたことで有名です。

生涯に60回以上の立ち合いをしながら、一度も負けたことがなかったという宮本武蔵。対する佐々木小次郎は小倉(福岡)で兵法と剣術を教えていた人物です。

丘の上に両者の像が置かれています。手前、木刀を持っているのが武蔵、奥の刀を持っているのが小次郎です。

この戦い、結論からすると武蔵の勝利だったといわれています。

当時から剣豪として名高かった小次郎。無名の武蔵は小次郎を倒せば剣術で天下がとれると考え、決闘を申し込んだのでした…というのも、一説にすぎません

巌流島の戦いには諸説あります

特に小次郎については詳細が分かっていないようで、Wikipediaでも「名前や生年、出生地については不明な点が多い」とされています。

像を見るとシュッとした横顔ですが、年齢は50代から60代であったという説もあります。

戦いには諸説ある、小次郎の正体は?

つまり、詳しいことは「よく分からない」のです。

約束の時間から2時間遅刻して小次郎をいらだたせたという武蔵の戦法などについては、現代にも応用できるとして、様々な記事で紹介されています。

これについても、「遅刻してない」という説があります。

今回調べていて疑問に思ったのは、『どうして巌流島の決闘が有名なのか』という点です。

後世に語り継がれるほどの決闘だったにも関わらず、小次郎の正体がよく分かっていないというのは不思議なことです。

私にはいまいち、この戦いの価値が分かりません。巌流島に観光で訪れる人は何を求めているのでしょうか。

こちらは島にある【佐々木巌流の碑】。

巌流島という島名は、小次郎の剣の流派の名にちなんでいます。敗れた者の名が島の名前として残るのも、珍しいことです。

石碑は小次郎のお墓などではなく、島の開鑿工事の完了を記念して建てられたそうです。

「小次郎を偲び、手を合わせる方が途絶えません」とも書かれていますが、これも本当でしょうか…

坂本龍馬も上陸した?

坂本龍馬も1867年に巌流島に上陸し、夜にこっそり奥さんと花火を打ち上げたとか。

この紹介看板のタイトルには「?」が付いており、締めも「想像にお任せします」です(笑)もうこうなったら、言ったもん勝ち感があります。

これは本物でしょう。将棋の羽生善治氏広瀬章人氏の手形です。

2018年に下関で行われた対局の前に、両者は「決闘の聖地」として巌流島を訪れました。このブロンズ版はその記念に作られたものです。

巌流島ではかつて、新日本プロレスの戦いも行われたことがあります。

ということで、巌流島の散策はこれにて終了。下関へ戻ります。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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~移住3年目352日目 終了~

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