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今回は「御船印の旅(名門大洋フェリー編)」その7をお届けします。
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日本三大港に数えられた門司港の歴史
2021年10月、名門大洋フェリーで新門司港に到着後、本州・下関へ渡り巌流島を散策。そしてまた、九州・門司港へやって来ました。
今では洋風な建物が立ち並ぶ門司港ですが、もともとは塩田と漁業を生業とする小さな村。門司の港は「小倉」にあり、下関にも小倉から渡っていたそうです。江戸時代は、小倉にある「常盤橋」を起点に、当時唯一海外と繋がっていた長崎をはじめ、九州各地へ諸街道が伸びていました。
函館などとは異なり、門司港は日本の鎖国終了とともに開港した街ではありません。門司港が発展するのは1889年以降、石炭などを扱う国の特別輸出港に指定されてからのことです。
金融機関や商社・海運会社の支店が相次いで門司港へ進出すると、外国航路の拠点、そして貿易港として発展。日清戦争や日露戦争の時には、軍需品や兵士たちを送り出す重要な港にもなり、神戸・横浜と並んで日本三大港に数えられました。
1891年には門司を起点とする九州鉄道が開通し、門司周辺は陸海における九州の玄関口となりました。欧州からの貨客船や中国との定期航路なども寄港し、相当賑わっていたようです。
門司港レトロを歩いて観光
1988年、門司港駅舎が重要文化財に指定されたことをきっかけに、駅周辺が観光地として整備され、1995年に「門司港レトロ」としてグランドオープンしました。
写真左、水路に架かる開閉式の橋があります。
こちらはブルーウィングもじ(全長約108m)。日本最大級の歩行者専用はね橋です。もともとここには門司税関が設置した浮さん橋があり、積み降ろしされる荷物や行き来する人々の監視が行われていました。
橋の開閉はあくまで観光用。1日6回、水面に対し60度の角度に跳ね上がります。「恋人の聖地」にも選定され、橋が閉じて最初に渡ったカップルは一生結ばれるそうです。
旧門司税関を無料で見学
一方で歴史や文化的もきちんと保存されています。
貿易港になったことで1912年に建設されたのがこちらの旧門司税関。門司港レトロの建物群の中で最古の建物です。
見学は無料。現在の建物は1994年に復元されたもので、中はとても綺麗です。
昭和初期までは税関庁舎として使用されていたということで、常設の【門司税関広報展示室】があり、密輸品の展示などが行われています。
密輸品展示を見る
こちらは「アフリカゾウの足」。ゾウは「象牙」を狙った密猟により、絶滅の危機にあるとされていますが、「足」も取引が行われているようです。
トラもまた密猟や森林破壊等によって数が激減し、絶滅危惧種となっています。トラは牙や皮だけでなく、骨もまた漢方薬の原料になるとして、違法取引が行われているそうです。
国際間で行われる商業目的の取引で、種の絶滅を防ぐためにあるのが「ワシントン条約」。この条約に該当する物品として、メガネカイマンが展示されていました。
違法な輸入といえば麻薬が有名です。ここでは「どのように密輸されるのか」が紹介されています。
こちらは偽ブランド品。写真以外にも様々なコピー商品が並んでいました。
焼きカレーとバナナたたき売り発祥の地
旧門司税関の次は門司港駅へ。
門司港レトロは港や駅の周辺にまとまっているので散策しやすいです。街全体がテーマパークのような雰囲気であるとも言えます。
カレーがありました。門司港は「焼きカレー」発祥の地として有名です。
とある喫茶店で余ったカレーをグラタン風に焼いたことがきっかけに誕生した焼きカレー。いわゆる門司港のB級グルメです。
謎のキャラクター像が置かれていました。「バナナマン」という名前で、ネットでは「ゆるキャラ」ではなく「ローカルヒーロー」と紹介されています。よく見ると顔が妙にリアルですが、こちらは門司港の干物屋さんの社長がモデルになっているそうです。
そもそもなぜバナナなのか…門司港発祥の文化に「バナナの叩き売り」があります。台湾が日本の領土だった時代、門司港には大量のバナナが荷揚げされました。
門司港に着いた時点で傷んでしまっているような不良品等が、露店で販売されていたそうです。
港から洋風レトロな街並みを歩いて門司港駅に到着。この写真だけでも、駅周辺の独特な雰囲気が伝わってきます。
引いてみるとこんな感じ。一般の車が通る道路沿いにも赤レンガの建物が並び、ファミリーマートも景観を意識したモノクロの看板となっています。門司港駅からは電車に乗り、福岡空港へ移動します。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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