復元された門司港駅へ。関門連絡船通路跡と戦争の歴史|2021年 御船印旅行記 その56

南国日記~沖縄移住の記録~

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今回は「御船印をゲットする旅 2021年10月」その56をお届けします。

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大正時代の姿に復元された駅

対岸の下関から関門海峡を渡り、門司港へやってきました。

港から洋風レトロな街並みを歩き、門司港駅に到着。

この写真だけでも、駅周辺の独特な雰囲気が伝わってきます。

引いてみるとこんな感じ。

一般の車が通る道路沿いにも、赤レンガの建物が並び、ファミリーマートも景観を意識したモノクロの看板となっています。

そしてこちらが門司港駅

1914年に当初は「門司」として開業した駅で、2019年に大正時代の姿に復元されました。国の重要文化財にも指定されています。

ネオルネサンス様式が基調になっているそうです。

駅の掃除をされている方も画になります。

ネオルネサンス様式のみどりの窓口

テーマパークにありそうな雰囲気の建物ですが、確かに駅として機能しており、JR九州の起点を表す「ゼロマイル標」も設置されています。

こちらがみどりの窓口

時代をタイムスリップしたような感覚になります。

こちらは何かの窓口のようですが、飾りとして設置されているのか、実際に使用されているのかは不明です。

構内の様子。写真右が駅の入口で左がホームとなっています。

そして注目すべきは写真右の部屋。

部屋の前には「旧三等待合室」という看板が置かれていますが、そこにはなんと…

スターバックスが入っていました。

かつては鉄道も船と同じように、一等・二等・三等のように階級が分かれており、こちらはもともと、三等を利用する人の待合室だったというわけです。

関門連絡船と戦争

正午になると、駅前で噴水が上がりました。

駅構内からの写真ですが、日本とは思えないような景色です。

改札を通過しても、洋風のお洒落な外観を楽しむことが出来ます。

こちらは関門連絡船通路跡。関門連絡船は1964年まで、九州と本州の間を結んでいました。

現在はトンネルと橋で結ばれていますが、関門鉄道トンネルが開通したのは1942年。上下線が開通したのは1944年ということで、戦争真っ只中に建設されたこととなります。

このように「旧監視孔」もホームにあります。

日本周辺の海は機雷による海上封鎖作戦が行われ、連絡船もアメリカに狙われるようになりました。そのため当時の日本は、関門トンネルの開通を急いだのでした。

結果として予定よりも8カ月早く完成し、世界初の海底トンネルとなりました。

物資を運び続ける重要な拠点として、空襲の目標にもなったそうですが、作戦が実行される前に戦争が終了し今に至ります。

こうした歴史がある場所とは知らず、関門トンネルを通過していました。

ということで、ここ門司港駅から福岡空港に向かい、沖縄へ帰ります。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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~続く~

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