ウミガメを食べる島!日本一の繁殖地・小笠原諸島とウミガメの歴史|2016 小笠原旅行記5

初めての小笠原諸島

ブログをご覧いただきありがとうございます。

今回は【初めての小笠原諸島旅行記】その5をお届けします。

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アオウミガメの日本一の繁殖地

小笠原諸島・父島上陸初日、ノープランで行く当てもなく、やって来たのは小笠原海洋センターです。

港から歩いて約30分。ここではウミガメの保護・飼育・展示が行われており、無料で見学することが出来ます。

海洋センターにて

小笠原諸島は、絶滅危惧種・アオウミガメの日本一の繁殖地。毎年5月下旬から7月上旬にかけて、多くのウミガメが産卵のために上陸します。

この日は夜に子ガメの放流体験が行われるとのことで、その場でお申込み。参加費1,500円となかなかお得な体験です。

放流体験も保護活動の一部

ということで19時、原付で子ガメの放流体験の集合場所・コペペ海岸にやって来ましたが、周囲は街灯もなく真っ暗です(この環境が子ガメにとって重要)。

暗闇の中、しばらく1人で待っていましたが、ぼちぼち人も集まり体験がスタート。バケツに入っているのは、卵から孵化して数か月経ったアオウミガメです。小笠原では、ウミガメが生んだ卵を人工で孵化・飼育し、 5000分の1とも言われる子ガメの生存確率を高めるための取り組みが行われています。

小笠原の砂浜を歩いていると、木の枝が立てられていることがあります。これは「この下にウミガメの卵があります」というサイン。

ウミガメが産卵をする時期は、スタッフの方が各砂浜の産卵状況を毎日チェック・管理しているそうです。

この日は体験の参加者に対して子ガメの数が多かったので、1人2匹の子ガメを手に持ちます。明かりを付けることが出来るのはここまで。真っ暗な中、子ガメは私の手を離れると、あっという間に海へ行ってしまいました。

子ガメには「明るい方向」を目指して進む習性があります。月や星が出ていると、真っ暗な砂浜でも海は明るいため、卵から孵化した子ガメは真っすぐ海へ向かうことが出来ます。しかし、海よりも明るい光(=人工の明かり)があると、その明かりへ向かってしまいます。

■参考:ウミガメ観察のルール

実際、父島・メインストリート沿いにある前浜海岸で生まれた子ガメが、集落の中へ入ってきてしまうことがあるそうです。そのため、一部の卵は掘り返された後、人工で孵化・飼育し、子ガメを海へ放流しています。子ガメの放流体験もそうした取り組みの一部なのです。

小笠原小学校の卒業式では、子供たちが大きくなって帰って来てほしいという願いを込めた【アオウミガメのたび】が歌われます。

ウミガメを食べる!小笠原とウミガメの歴史

一方、小笠原にはウミガメを食べる文化があり、先進国では日本が唯一、合法的にウミガメの捕獲が行われています。

お土産のウミガメ加工品たち

植民地拡大や捕鯨活動で、欧米の船が太平洋を行き来していた時代、ウミガメは貴重な食料として捕獲され始めました。父島へやって来たペリーの艦隊も、1854 年に60 頭のアオウミガメを下田に運び、大いに賞味したという記録があるそうです。

日本の領土となってからもウミガメの捕獲は奨励され、最盛期は年間3,000頭以上を捕獲。1898年には海亀捕獲組合も結成されました。しかし、1910年に捕獲頭数が500頭を下回ったため、1913年から農商務省を中心に、世界に先駆けウミガメの人工孵化・放流事業が始まりました。

小笠原では、現在でも年間135頭の捕獲が認められている一方で、ウミガメの保護・観察・調査により、その数を増やすことにも成功しています(=食べながら増やす)。

アオウミガメが産卵出来るようになるまでは約40年。自分が生まれた浜周辺に帰ってきて卵を産むという説もあるので、いつかこの浜でまた逢えたらなと思う一方で、産卵数の増加傾向は保護の結果ではなく、アメリカ統治時代にあまり捕獲されなかったためとも言われています。

ウミガメの保全について、現在の取り組みが正しいことなのか、正解が分かるのは30年~40年後。今はまだ試行錯誤(実験)の段階なのです。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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