初島が静岡県で伊豆諸島が東京都である理由を探る|2021年→2022年 年末年始の旅 その33

2021年→2022年 年末年始の旅

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今回は【2021年→2022年 年末年始の旅】その33をお届けします。

★参考:前回の記事★

初島は伊豆諸島に含まれるのか

熱海から海上およそ10kmの距離にある初島。島を歩いていると、道端で興味深い案内版を見つけました。

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こちらに書かれているのは「伊豆諸島創生伝説」について。まとめると、伊豆諸島の島々は【初島→神津島→大島→新島→三宅島→御蔵島→沖の島(八丈島)→小島(八丈小島)→青ヶ島→利島】の順に名付けられたという内容。これは「三島大明神縁起(通称:三宅記)」という、鎌倉時代に成立したとみられる書に由来するものです。

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この日も初島から、伊豆諸島の島々の姿を見ることが出来ましたが、現在は、伊豆諸島の島々に初島を含むことはありません

さらに、伊豆諸島は東京都であり、初島は静岡県です。

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こちらは初島にあったマンホール。中心には温泉マークが描かれています。

初島にも温泉はありますが、グランドエクシブ初島クラブというリゾート施設の地下200mから湧き出すもので、熱海や式根島などのように、自然に温泉が湧き出ているわけではありません。

ミツカン 水の文化センター 温泉マップより

初島と伊豆諸島は、伊豆半島から南へ伸びる伊豆・小笠原・マリアナ弧(富士火山帯)上に位置しています。ただし、伊豆諸島の島々は、海底山脈が海面上に現れたもの(=火山島)であるのに対し、初島は、海底が隆起して姿を現した海成段丘(=隆起と海水の浸食によって出来た島)であるため、その成り立ちは異なります。

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国勢調査より

2020年の国勢調査によると、初島の人口は268人。ここ20年間は増減を繰り返しながら、ほぼ横ばいとなっています。島の歴史は古く、初島のホームページによると、7000年前の縄文時代から人が住んでいたそうです。

飛鳥時代から実施され、長く日本の地理的区分の基本単位として用いられた「律令制」において、初島は伊豆国田方郡に、伊豆諸島は伊豆半島南部と同じ伊豆国賀茂郡に属することとなりました。

つまり、かつては初島も伊豆諸島も、同じ「伊豆国の島」だったのです。こうした歴史を知ると、伊豆諸島創生伝説の中に初島が入っていても、特別不思議なことではありません。

伊豆諸島が東京都である理由を考察

江戸時代、幕府は政治的・経済的に重要な地域を「天領」として、直接支配するようになり、初島は対岸の熱海などともに、天領に指定されることとなりました。

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なぜ初島が天領になったのか、その理由は不明ですが、写真は初島の道端に置かれていた、江戸城修築の際に切り出された石材の残骸たち。他にも、伊豆半島には「土肥金山」などの資源があるため、天領になったものと思われます。

1663年から1728年の間だけ、初島が小田原藩(現在の神奈川県)に属する時代もありましたが。これも、なぜ小田原藩になったのかという理由は不明です。1728年から幕末までは、また天領に戻されています。

伊豆諸島もまた天領に指定されました。伊豆七島嶋方会所についてという論文によると、島の産業は脆弱で生産力は低く、さらに自然災害も多く、飢饉対策のため幕府から米の支給や食糧増産支援もあったそうです。そこまでしても、伊豆諸島を管理したい理由があったのか、管理せざるを得なかったのか、幕府が伊豆諸島を天領にした理由は不明です。

上の表は1774年時点の伊豆諸島の人口。1771年、江戸幕府は「島の人口が多すぎるから、困窮するのだ!」ということで、人口減少政策を実施しています。当時の島の経済は、島の産物を江戸(島方会所)に出荷し、その販売代金で年貢を納め、穀物などの生活物資を仕入れることによって成り立っていました。つまり、島の限られた面積に対して人口が多いと、働き場である畑と、生活のための食料が足りなくなるのです。

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半農半漁の暮らしを営む初島でも、島内の耕作地や水源が限られていることを考慮し、江戸時代から近代まで、島内は40世帯前後で守られてきてきました。単に人口を増やすのではなく、島内の生産力に合わせて人口を調整することは、人口減少・高齢化が進む現代の有人島が生き残っていく上でのヒントになるかもしれません。

明治時代初期、1871年に実施された廃藩置県で、伊豆国全域、つまり、初島も伊豆諸島も「足柄県」に属することとなりました。その5年後、足柄県のうち旧伊豆国地域が静岡県に統合、間もなく浜松県も統合されて、現在の静岡県が成立しました。

しかし、現在の静岡県と大きく異なるのは、初島以外の伊豆諸島を含むかどうか。

江戸幕府の時代から、伊豆諸島は江戸(=東京)との結びつきによって、経済が成り立っていました。内務卿・大久保利通も、「行政事務を円滑に遂行するためにも、また交通の利便性からみても、(東京府への)移管は静岡県と島民の双方にメリットがある」と指摘しており、1878年、伊豆七島(大島・利島・新島・神津島・三宅島・御蔵島・八丈島)の東京府編入が決まりました。さらに、1876年に、国際的な日本の領有が認められた小笠原諸島も、1880年に東京府の管轄となりました。

当時も人が暮らしていた式根島や青ヶ島、八丈小島などが「伊豆七島」に含まれなかったことは、その後多くの議論を呼び起こしたそうですが、どうやら初島は違ったようです。

初島は、1889年から当時の静岡県熱海村に属しており、現在も熱海市となっています。なぜ、初島が東京府に編入されなかったかについて、正確な情報はありませんが、恐らく本州への圧倒的な近さと、歴史的な背景から、議論もされなかったのだろうと思われます。

★参考:小笠原諸島の歴史も面白い!★

半農半漁の島からリゾートアイランドへ

初島では、古くからアワビ、イセエビなどの海産物やじゃがいもや大根といった農産物をはじめとする自給的な一次産業が行われていました。

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こちらが現在の初島。「初島アイランドリゾート(PICA)」「エクシブ初島クラブ」という2つの大きなリゾート施設があり、国内随一のリゾートアイランドとも言われています。

リゾートアイランドの始まりは、東海道新幹線が開通した1964年。富士急行が「初島バケーションランド(現在のPICA初島。PICAは富士急行の子会社)」を開業しました。熱海駅も新幹線の停車駅となり、初島はこの時点で、『首都圏から最も近い離島』という地位を獲得。さらなる集客を目指して、1968年には、熱海-初島-伊東の定期航路に大型鉄鋼船が就航しました。

島にあるテニスコート

1970年代には離島ブームもあり、初島への観光客は増大。島の産業は農漁業から観光業へ転換することとなりました。エクシブ初島クラブは、もともと日本海洋計画という会社が、バブル期の1991年に着工し、1994年にオープンさせた施設ですが、バブル崩壊の影響を受け、会社自体が経営破たん。その後リゾートトラストの子会社となり、現在に至ります。

こちらが初島から帰るときの港の様子。船も比較的大きく、便数も多いため、リゾートを楽しむだけでなく、日帰りの観光で訪れる人も多いと思われます。

こちらは数年前の初島の観光客数の推移ですが、年間25万人以上が訪れています。

熱海港もこの様子。離島へ向かう船に、これだけの列が出来るのは八重山諸島ぐらいではないでしょうか。

お昼の時間ということもあり、朝に比べて熱海駅周辺も混み合っていました。2011年から2018年の間に、熱海を訪れる日帰り観光客が2.6倍増加したそうで、初島を訪れる人も増えたはずです。

ということで、私は御船印の旅の途中なので、熱海駅から東海道線に乗車。

約2時間後、東京都・港区にある浜松町駅に到着。

ここから、伊豆諸島への玄関口「竹芝桟橋」まで歩いて移動します。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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