活火山の島 神津島を観光!神々が集った天上山へ 島の歴史と産業もご紹介|2018 旅行記

神津島旅行記

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今回は「2018年 神津島旅行記」をお届けします。

2泊3日 神津島の旅

2018年8月3日、金曜日の仕事終わりに竹芝桟橋へ直行し、東海汽船・さるびあ丸に乗船。この時期のさるびあ丸は非常に混雑しているため、「フリー乗船券」を利用することとなりました。今回の目的地・神津島までは約11時間の船旅です。

■参考:フリー乗船券とは

翌朝10時前、神津島・前浜港に上陸しました。さるびあ丸はここで少し停泊した後、折り返し東京・竹芝桟橋へ出港。夜には竹芝桟橋へ到着し、そしてまた伊豆諸島の島々へ折り返すという、なかなか忙しい船です。

さるびあ丸では10時間以上かかりましたが、島の南端には飛行場もあります。新中央航空を利用すると、調布飛行場からの所要時間は約45分です。

さるびあ丸は基本的に集落に近い前浜港(島の西側)に入港しますが、波風の状況次第では多幸湾(島の東側)を使用することもあります。ちなみに、お台場海浜公園の砂浜には、多幸湾の砂が使われているそうです。

■参考:多幸湾に入港したさるびあ丸に乗船

そして、多幸湾に隣接しているのが天井山(標高572m)。巷では「洋上のアルプス」とも呼ばれるこの山は、伊豆諸島の歴史を語る上で欠かすことは出来ません。

神が集った天井山山頂へ

神津島滞在2日目は、天井山の山頂へアタックすることに。

山の6合目にあたる「白島登山口」までは車で行くことが出来ます。そして白島登山口から山頂までは約30分。写真の通り、登山道は綺麗に整備されているため、登山用の装備等は無くても楽しめます。

眼下に前浜港周辺の集落が見えました。集落を出発したときは青空が広がっていましたが、山の上はすっかり雲に包まれており、景色を見ることは出来ず。

しかし、天上山で重要なのは景色よりも、山頂付近にあるこうした窪地。雨が降るとこの窪地に水が溜まります。その水を求めて、伊豆諸島の島々の神々がここに集い、水を配分する会議が行われたという神話があるのです。

話はなかなかまとまらず、結局「翌朝に先着順で配布」という、割と投げやりな決定により会議は終了。翌朝、一番早く天上山山頂にやって来たのは御蔵島の神でした。続いて新島・八丈島・三宅島・大島の順に水は配布され、最後にやって来た利島さんの分の水はほとんど残っていなかったそうです。

それから現在まで、御蔵島では水が豊富に手に入り、利島はしばしば水不足に悩まされることとなりました。利島さんが遅れた理由は寝坊。これほど手痛い寝坊はなかなかありません。そしてこれが「神津島(≒神が集う島)」という島の名前の由来となっています。

■参考 1

離島にも関わらず、水資源が豊かな神津島は水道水には地下水が使用されており、多幸湾にある多幸湧水は「東京の名湧水57選」にも選ばれています。それにしても、多幸湧水は「多(くの)幸(せ)が湧く」ということで、何とも縁起の良さそうな水です。

活火山の島を観光

多数の火砕丘と溶岩円頂丘から構成される神津島。

気象庁によって島自体が「常時観測火山」に指定されていますが、最後に噴火をしたのは800年代。もう1000年以上噴火していないため、神津島が活火山の島であることはあまり知られていません。

天上山はその最後の噴火で噴出した流紋岩質の溶岩ドームと火砕丘から形成されています。噴火時の降灰の影響は、関東・中部・近畿まで及んだそうです。

海沿いには、固まった溶岩と思われる、巨大な岩を見ることが出来ます。

また、火山の島といえば温泉です。神津島温泉は自然の岩場を生かして作られた、かなり広々とした露天温泉で、併設されている休憩施設内にはレストランもあります。

そんな火山の島の周囲は約22km。島を1周するような道路はなく、道路自体も少ないので、島内で行くことの出来る場所はかなり限られています。

島の歴史と産業

前浜港を見下ろす場所にあるありま展望台へやって来ました。1島1村の神津島村。山の斜面に沿って作られている集落を中心に、およそ2,000人が暮らしています。いつから人が住んでいるのか、正確には分かりませんが、江戸時代には流罪(島流し)の地となっていたそうです。

ありま展望台には、高さ10mほどの十字架が立てられています。こちらは朝鮮出身のキリシタン・おたあジュリア氏に向けたもの。幕府の禁教令に背いて、神津島へ流刑となった人物ですが、島に学問などでいい影響を与えたことから、この十字架が立てられたそうです。島内には流人墓地もあります。

2020年国勢調査より

こちらは神津島の産業構成。建設業に従事している方と公務員が多い(=公共事業=税金産業で成り立っている)というのは離島あるある。また「宿泊業、飲食サービス業=観光業」も盛んであることが分かりますが、ここで注目すべきは『第一次産業』です。

年貢はかつお節を納めていた

地形(耕作地が無い)と食料の面から、神津島に流人が大勢送られることはなかったと言われています。江戸時代の年貢は米の代わりに「塩」を納めていました。

神津島の集落

江戸時代後期、紀州から「かつお節」の製法が伝えられると、塩に代わってかつお節が年貢となり、明治初期まではかつお節が税金代わり。役人は給料の代わりにかつお節が支給されていたそうです。

■参考 2

毎年8月2日に島で開催される物忌奈命神社の例大祭では、今もかつお漁の安全と豊漁を祈願して「かつお釣り行事」が行われます。この行事は、1999年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。

島に残る廃線跡

2020年の国勢調査では「鉱業、採石業、砂利採取業」の従事者がゼロになっていますが、かつて神津島には「抗火石(コーガ石)」の採石が盛んな時代がありました。

その名残がこちら。現在も海沿いに採石用トロッコの廃線跡が残っています。

どうやら1942年から神津島で日産化学工業による採石事業が始まり、島の北側にある神戸山で採れた石が、トロッコで海まで運ばれていたそうです。

トロッコによる石の積み出しが終了したのは1955年。その後は新しく開通した道路で積み出しが行われ、採石自体は2000年で終了しました。廃線跡はこれだけ海に近い場所にあるので、いつ崩落してもおかしくないでしょう。

さらば神津島

神津島には2泊しました。海で泳いだりもしましたが、その写真は残っておらず!どうやらこの便には、島を離れる人も乗船していたようで、最後は感動のお見送りを見ることも出来ました。

ちなみにこちらは帰路の途中、利島接岸時の1コマ。直前の寄港地・新島を出港する際、船体の一部を岸壁に擦ったようです。剥げてしまった塗装を急きょ修繕していました。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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