ブログをご覧いただきありがとうございます。
今回は「2024年 長崎&佐賀旅行記」その4をお届けします。
★前回の記事は こちら ★
解体が進む池島の炭鉱施設
2024年5月4日、かつて炭鉱で栄え、現在は「第二の軍艦島」とも言われる池島(長崎市)を歩いて観光しています。

池島が「第二の軍艦島」といわれる所以は、炭鉱が閉鎖された後は人口が激減し、廃墟が多く残されているから。一方で、軍艦島との大きな違いは、今も約100人が暮らしているという点です。

こちらの黄色い車は今も利用されているものでしょう。

マンションをよく見ると、アンテナが付いている部屋もありました。
時刻は15時半。17時の船に乗るため、そろそろ港へ戻ることにしました。帰りは地図に示した道を歩いて向かいます。

綺麗に手入れされた畑がありました。池島は平地のほとんどが建物になっているので、畑はほとんど見かけません。

この辺りにも廃墟となった建物はありますが、島内の他の場所に比べると少なめ。日帰りで池島を観光する際は、反時計回りに歩くのがおすすめです。

広い駐車場に他よりも新しい建物が建っていました。GoogleMapによると、こちらが前回もご紹介した【三井松島リソーシス株式会社】の事務所のようです。

1970年代の航空写真を見ると、もともとこの辺りには線路や倉庫など、炭鉱関連施設があったことが分かります。

現在は広い空き地にクレーンのような構造物が残されているのみ。池島は炭鉱で栄えた当時の遺構がそのまま残されているわけではなく、少しずつ撤去・解体が進んでいるのです。

その先はようやく小さな離島らしい景色になりました。

そして再び炭鉱関連施設の残骸。池島は人が暮らしているが故に「住民の安全」が優先されるのに対し、無人島・軍艦島では「遺構の保存」が優先されるというのも大きな違いといえるでしょう。

道路に石炭が落ちていました。池島の石炭は地表に露出しておらず、地下から採掘していたため、この石炭は採掘後に輸送する過程で落下したものだと思います。いつの時代のものなのでしょう。

海辺に戻って来ました。これで島をほぼ1周したことになりますが、島民や観光客など、歩いている人はほとんど見かけませんでした。

こちらは船に石炭を積み込むための「トリンマー」。この緑色のマシーンも私が訪れた後に解体され、現在はコンクリートの土台だけが残されているようです。

「積込電気室」と手書きで書かれているところに時代を感じさせます。
炭鉱体験ツアーも廃止

道路に埋め込まれた線路らしきものを見つけました。先ほどご紹介した1970年代の航空写真にも線路が映っていましたが、かつて池島には採掘した石炭を運ぶためのトロッコが走っていたのです。

そして現在もトロッコと線路の一部は観光用に保存されています。廃墟の解体が進む池島で、唯一保存されている炭鉱関連施設といっていいかもしれません。

池島の炭鉱関連施設を観光資源として活用した体験プログラムは、三井松島リソーシス株式会社が2003年に開始。その後、2016年からは地域振興を目的に長崎市が施設を無償で借り受け、同社を指定管理者として運営されてきました。

「池島炭鉱体験ツアー」は、国内で唯一、実際の炭鉱坑道に入れる体験プログラムです。最大の特徴は本物の炭鉱設備をそのまま活用していること。参加者はトロッコに乗って坑内へ入り、元炭鉱マンの案内で坑道を歩きながら、採炭機械の模擬操作などを体験できるそうですが、今回は時間の都合で参加することが出来ず。

この施設も老朽化は進んでおり、安全対策などの維持管理には2億円以上が必要と試算されています。しかし、2018年度には6,000人以上いたツアー参加者も、2024年度は3,526人にまで減少。市の一般財源から補填を続ける状況が続いているそうです。

さらに、案内を務める元炭鉱マン5人も60代後半から70代前半となり、高齢化が進んでいます。彼らの経験に基づく知識や語りは、参加者の安全や満足度に直結する貴重なものですが、後継人材の確保は難しいのが現状のようです。

こうした事情を踏まえ、長崎市は池島炭鉱体験施設を2027年3月末で廃止する方針を決定。体験ツアーの終了に伴い、旧炭鉱住宅など立入禁止区域を巡るオプショナルツアーもあわせて終了となるそうです。ということで16時、無事港まで戻ってくることが出来ました。
■ 参考:1
今も残る池島の銭湯
まだ、帰りの船まで1時間近くあります。

そこで、港のそばにある銭湯にやって来ました。池島でも数少ない、炭鉱時代から現役で残る施設のひとつです。この銭湯を利用すること自体が、池島ならではの炭鉱体験といえるでしょう。

営業時間は16時から21時まで。料金は100円です。もともと池島にはもうひとつ銭湯があったようですが、そちらは2022年3月で閉店となりました。

入口の扉を開けるとこんな感じ。更衣室と浴場以外のスペースはほとんどありません。

炭鉱住宅にはお風呂(シャワー)があったりなかったりだったようなので、仕事終わりに多くの人がここで汗を流したのだと思います。お風呂だけでなく、ノスタルジーにも浸かりながら、私は島を歩いて流した汗を流しました。

帰りの乗船券をゲット。行きは神浦港(長崎市)から船に乗りましたが、帰りは瀬戸港(西海市)へと向かいます。

17時、船は定刻通りに池島を出港しました。さらば池島。

17時半頃、瀬戸港フェリーターミナルに到着しました。この日の宿は佐世保。ここからはバスの旅です。
車で真っ直ぐ向かえば1時間足らずで到着する距離感ですが、公共交通機関を利用する場合、この時間になると長崎駅を経由する方法しかありません。そのため、大村湾をぐるっと迂回するため、4時間近くの移動となります。

瀬戸港から少し歩いた場所にあるセブンイレブンで休憩し、「松島行桟橋前」というバス停から18時23分発の「桜の里ターミナル行」に乗車。

終点でバスを乗り換え、長崎駅に到着したのは20時過ぎ。そして、コンビニで夕飯を調達し、21時発の高速バスで佐世保へ。長崎駅―佐世保駅間は電車よりもバスが安く、普通列車に比べると所要時間も短いです。

佐世保には23時前に到着。結局、池島を出発してから5時間近くかかりました。かつて炭鉱で栄えたこの島は、今もゆっくりと姿を変えながら生きています。もし定点観測のように、その変化を長く見つめていると、きっと「廃れる」だけではない、島のもうひとつの物語が見えてくるはずです。
.
今回はここまで。本日もありがとうございました。
.


コメント