瀬戸内海・大久野島を観光!ウサギが多い理由の背景にある要塞と毒ガスの島の歴史|2017 旅行記

島旅

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今回は【2017年 大久野島(広島県)旅行記】をお届けします。

瀬戸内海のウサギの島・大久野島を観光

2017年10月25日、東京から岡山まで深夜バスで移動し、岡山からはレンタカーを借りて、広島県竹原市・忠海港へやってきました。

忠海港から大久野島まではフェリーで15分ほどかかります。

フェリーは1時間に1、2便運航されており、運賃は往復で720円。

平日にも関わらず多くの方が乗船していました。会話を聞いていると、外国人観光客が多いようです。

あっという間に島へ到着。さすがは瀬戸内海の島。本州と島との距離が近く、海も穏やかです。

この島の名物は野生化したウサギ

探すまでもなく、まるで奈良公園のシカのようにあちこちにいます。

忠海港近くのファミリーマートには、ウサギの餌も販売されていました。

さっそくファミマで買ったキャベツを与えてみると、ウサギさんも人に慣れているようで、むしゃむしゃと食べてくれます。彼らは観光客からエサを与えられているため、観光客に飼われていると言っていいかもしれません。

要塞と毒ガスの歴史

ウサギの島として人気を集め、無人島ながら定期船の運航があり、多くの観光客が訪れている大久野島。

周囲約4kmの小さな島に明治時代までは人が住み、集落もあったそうです。1897年から1902年(明治時代)にかけて芸予要塞が建設され、大久野島には南部砲台・中部砲台・北部砲台が置かれました。

1888年、師団司令部条例の制定により、各地に置かれていた鎮台は師団に改編。鎮台制は主として国内の治安維持を目的としていたのに対し、師団制は戦時に外国へ兵を出して戦うことが主たる任務でした。

1873年に設置された広島鎮台は第5師団へ改編。さらに1886年、海軍条例が交付され、海軍鎮守府を呉港に置くことが決定されました。海軍鎮守府は、日本の海岸と近海の防衛を目的として設置された官庁。湾の周囲を山と島に囲まれ、背後に丘陵を持つは、敵の攻撃を防ぐ上で絶好の地であり、大型船にちょうど良い湾の広さや海の深さもありました。

日清戦争時には大本営も置かれた広島や呉を守るため、1897年から1903年にかけて建設されたのが広島湾要塞。さらに、広島湾の東部防衛のため、大久野島と南の愛媛県小島には芸予要塞が建設されたのでした(西は1887年、下関に要塞が建設されていた)。

島に残る発電所跡

距離の長い海峡部を制圧出来る火砲が整うと、瀬戸内海は関門海峡・紀淡海峡・豊予海峡の要塞が守ることとなり、1924年に芸予要塞が、1926年には広島湾要塞が廃止。1914年に勃発した第一次世界大戦で戦闘機が登場すると、要塞の軍事的価値も再検討されました。

日本で唯一と思われる毒ガス資料館

1929年、日本陸軍が大久野島でひそかに始めたのが毒ガス製造です。小さな島なので秘密を保持しやすく、事故が起きても被害を抑えることが出来ます。さらに、大久野島は本土から近いため、作業員の通勤にも便利で、製造した毒ガスも対岸の宇品港(広島市)へ運ぶことが出来ました。

機密情報を守るため、島内にあった7軒の民家の住民は強制退去となり、島の存在自体も地図からも消されたそうです。第二次世界大戦(1941年~)に突入すると、徴用工や学生たちが駆り出され、24時間態勢で毒ガスの製造が続けられました。

毒ガス貯蔵庫跡

戦争が終わると、大久野島は米軍に接収され、1945年に工場は全面閉鎖。海洋投棄・埋設・消却などの方法で毒ガス処理は進み、1947年に日本政府へ返還されましたが、1950年に朝鮮戦争勃発すると、米軍の弾薬庫を置くため再び接収されます。

大久野島に置かれた弾薬は、小舟などで呉港に運ばれ、巡洋艦などに積み込まれて朝鮮半島へ運ばれていきました。大久野島には、日清・日露戦争に係る要塞、太平洋戦争に係る毒ガス工場、そして朝鮮戦争に係る米軍の弾薬基地と、外国との戦争を繰り返していた当時の日本の歴史が残されているのです。

■ 参考:1

大久野島にウサギが多い理由

米軍の接収は1956年まで続きましたが、米軍支配下の1950年に大久野島は瀬戸内海国立公園へ編入されました。

日本政府の所管となってから4年が経った1960年、国民休暇村構想で大久野島は国民休暇村の候補地となります。国民休暇村は、国立公園や国定公園の自然に親しむため、公共施設を含む、各種の施設を総合的に整備するものです。

大久野島には、戦後も陸軍用地(国公有地)としてまとまった土地が残っていました。1963年に国民休暇村が誕生すると、「観光客に喜んでもらうために」と、島にウサギが放たれたのです。

ウサギを放つ前に、島内にいる野犬や野ネコは一掃されました。天敵がいなくなったことに加えて、放たれたウサギが「アナウサギ」という、日本の侵略的外来種ワースト100にもノミネートされるほど繁殖力の強いウサギだったため、その数は急増しました。

2018年の調査では900匹ほどのウサギが確認されていましたが、2021年1月の調査では、500匹前後にまで減っています。コロナによる観光客減が少なからず影響しているようです。

ウサギと触れ合うことが出来るだけでなく、戦跡を通じて、時代をタイムスリップしたような体験も出来る大久野島。島旅初心者の方におすすめしたい島のひとつです。本土から近いだけでなく、ゆっくり歩いても2時間あれば1周出来てしまいます。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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