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今回は「2019年 田代島(宮城県)旅行記」をお届けします。
石巻駅から網地島ラインに乗船!
2019年12月29日、宮城県・石巻駅へやって来ました。
この日向かうのは牡鹿半島の西部に浮かぶ田代島。石巻駅からおよそ1km歩いた場所にある「中央港」から、島へ向かう船が出ています。
なお、石巻市役所のホームページでは、田代島へ行きの船は「門脇港」から乗るように案内されています。しかし、中央港からも門脇港からも、田代島までの料金は同じ。個人的には石巻駅から近い中央港の利用がおすすめです。
石巻市は仮面ライダーやサイボーグ009などで知られるマンガ家・石ノ森章太郎氏(登米市)と縁があるそうで、「漫画によるまちづくり」が進められています。
こちらは石巻市の有形文化財に指定されている百貨店「観慶丸商店」。現在は石巻の歴史・文化についての展示施設と、文化交流のための貸スペースを併設した文化発信拠点になっているそうです。
旧北上川に作られた中央港に到着。12時半出港の船(網地島ライン)で田代島へ渡ります。ちなみに、川の向こうに見えているドームは石ノ森萬画館です。
田代島には港が2つあるため、今回は大泊港までの乗船券をゲットしました。運賃は大泊港ともうひとつの港・仁斗田港も同じ往復2,500円。支払いは現金のみです。
船の出港まで少し時間があったので、港のそばにあるいしのまき元気いちばを見物。石巻や宮城の魚・農産物・特産品などが揃っており、2階はフードコートになっています。
田代島・大泊港に到着
時間になったのでマーメイドⅡに乗船。2階建ての船で、1階が床席、2階が写真のような椅子席になっており、一部の座席にはコンセントも付いています。
快晴の下、石巻・中央港を出港。門脇港へ寄港した後、旧北上川から海へ出ました。田代島までは約1時間の船旅です。
船は牡鹿半島の横を通過。いい天気ですが、風は冷たいので船内へ避難。田代島は最近「猫の島」として有名になってきたこともあり、船には多くの観光客が乗船していました。
見えている平べったい島が田代島。島の最高地点・正島山でもその標高は96mしかありません。
船はほとんど揺れずに田代島・大泊港へ到着しました。島での滞在時間は約2時間。ここから島の南にある仁斗田港まで約2km歩いて、帰りは仁斗田港から船に乗船します。
宮城県田代島を歩いて日帰り観光
夏の期間はレンタサイクルもあるようですが、冬の時期は歩くしか観光の方法はありません。
歩き始める前に、港の目の前にあった神社へ。
急な階段を登ると、真っ赤な鳥居が現れました。こちらは鹿嶋神社。大泊浜に悪いことが起こると、神霊が鹿の鳴き声を発して知らせたそうです。
港からは2つの道があり、私が選んだのは最短コース。
道の雰囲気はこんな感じ。集落は仁斗田港周辺にあり、大泊港周辺には家々が少ないです。
ここが港から延びている2つの道の合流地点。まだ私の前に猫は姿を現していません。単純に猫の数が多いことが理由で、「猫の島」と呼ばれているわけではなさそうです。
犬持ち込み禁止?猫の島と言われる歴史的理由
港から歩くこと約20分、猫神社に到着しました。GoogleMapでは「美與利大明神」と表記されているので、そちらが正式名称であると思われます。
そしてついに、田代島に上陸して初めて猫の姿を見ることが出来ました。日本の離島はどこも野良猫が多く、最近はPRとして「猫の島」を謳う島が増えていますが、どうやら田代島は明治時代から「猫の島」と呼ばれていたようです。
■ 参考:1
かつて田代島では養蚕が行われており、繭をねずみから守るために猫が飼われ始めたと言われています。また、島の漁師たちは、猫のしぐさを見て天候や漁の出来を予測していたそうです。
■ 参考:2
漁具を作ろうとして砕いた岩のかけらが当たり、猫が死んでしまったことに心を痛めた漁師が、小さな神社を建立し、懇ろに葬ってからのこと、島では豊漁が続くようになったという伝説も残っています。
田代島に住む人々にとって、猫は大量を招くありがたい存在として、昔から大切にされてきたのです。猫神社の雰囲気も、観光客向けの安っぽいものではありません。「犬」は猫の天敵であるとされ、島への持ち込みが禁止されています。
■ 参考:ウサギの島もある
猫神社には、猫への餌やりを禁止する看板が置かれていました。島民の方が猫にご飯を与えているので、観光客が次々とおやつなどをあげてしまうと、食べ過ぎの状態になってしまうそうです。
仁斗田港にはネコごはんおあずかりBOXがあります。持参した猫のおやつやご飯は、ここに預けるべきでしょう。田代島の猫には予防接種も施されているようです。
私が歩く先、よく見ると道路の真ん中に猫さんが座っています。
恥ずかしそうにしていますが全く逃げません。ちょうど島の方が運転する車もやって来ましたが、この猫が道路の真ん中にいるのを確認し、引き返していきました。そういう島なのです。
人口減少と高齢化が進む島
こちらは平成元年に廃校となった田代中学校。現在は島の駅として、観光客向けに開放されています。
田代島にはかつては1,000人近くが暮らしていたそうですが、現在の人口は約40人(ネコは約130匹)。このペースで人口減少が続くと、田代島はあと10年で無人島になる計算です。
二宮金次郎の銅像とプロペラ機の残骸。よく見ると金次郎さんの足元にも、ネコが座っています。
こちらが田代島における年代別の人口数。島民のほとんどが60歳以上です。
中学校の横には小学校の跡もあります。こちらは整備等されておらずジャングル状態。敷地内へ入ることは出来ません。
校庭は緊急の際などに使用されるヘリポートになっていました。
校舎の中では田代島グッズの販売や、喫茶スペースもあるので、休憩するにはちょうどいい場所です。外には自動販売機もあります。
田代島と東日本大震災
続いてやって来たのは、ミニカフェ&おみやげクロネコ堂併設田代島歴史資料館。入口には猫さんたちが数匹たむろしています。
ここはもともと島の郵便局だったそうです。現在、田代島に郵便局はありません。
人だけでなく、猫さんたちのお休み処にもなっているようです。
昔の島の写真が飾ってある中に、東日本大震災当時の写真が並んでいました。島の漁港は津波による壊滅的な被害を受けたそうです。
こちらは仁斗田集落の民宿にあった「津波浸水深ここまで」という看板。身長175cmの私の目線を優に超えています。
震災から9年が経ちましたが、島の沿岸では復興工事が続いていました。
人口約40人 集落を散策
幸い二斗田集落は津波の被害を免れたそうで、古い建物も多く残っています。
この朽ち果てた建物は平塚八太夫(1805-1866)さんの土蔵。母屋は焼失し、この土蔵だけが残っています。仁斗田の富裕な家に生まれた八太夫は航海術を学んだ後、田代島を拠点に廻船経営を行い、蝦夷地・石巻・那珂湊・浦賀・江戸間を結ぶ交易活動に従事しました。
1861年には、仙台藩から「蝦夷地物産方取開御用達」に任命され,蝦夷地—仙台間の物資輸送やラッコ皮の交易などにも進出。巨万の富を築いたそうです。
人口約40人の島にも関わらず、仁斗田港には多くの船が係留されており、漁業が盛んな様子が伺えます。潮流がぶつかる三陸沖合の「潮目」は、世界三大漁場とも言われており、江戸時代から明治時代にかけての田代島は、三陸漁業の拠点として栄えたそうです。
こちらは島に100人以上が住んでいた、2000年当時の田代島の産業構成。労働人口81人のうち62人が漁業に従事していることが分かります。こうした島で、平塚八太夫が漁業ではなく、交易によって巨万の富を築いたというのは興味深いです。
写真のほぼ中央に猫が映っています。どうやら猫さんたちは、ここで漁師さんたちから魚のおすそ分けをもらっているようです。
集落はこんな感じ。これだけ家があって40人しか住んでいないということは、空き家が多いのでしょう。
猫の置物が置かれていました。やはり猫は島の人に愛されているようです。
『何でも揃う皆様の店 阿部ツ商店』は恐らく島で唯一の商店。本当に何でも揃うのか気になりますが、入りにくい雰囲気だったので、店内の様子は分からず。
年季の入った掲示板、その横には観光客に向けた4つの注意事項が貼られていました。
- 道の真ん中で写真撮影NG
- 人の敷地に勝手に入るのはNG
- ごみは持ち帰りましょう
- 動植物の持ち込み・持ち帰りNG
特別なことではなく、どれも当たり前のことです。
そして仁斗田港に到着。帰りはここから船に乗ります。もうすっかり陽が傾いていますが、時刻はまだ15時半前。東北の冬は1日が短いです。
帰りの船も行きと同じマーメイドⅡ。田代島の滞在は2時間だけでしたが、それで十分だったような気がします。
帰りの船から見えた水平線に沈む夕陽。帰りの船もほとんど揺れず、16時半に石巻・中央港へ到着しました。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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