与那国島が日本最西端の地である理由~空港から日本最西端・西崎まで歩いて観光|2025 旅行記2

島旅

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今回は「2025年 日帰り与那国島 旅行記」その2をお届けします。

★前回の記事は こちら

与那国空港から日本最西端・西崎まで歩いて観光

2025年1月3日13時10分、日本最西端の地・与那国島に上陸しました。

日帰りのため滞在時間は5時間半しかありません。日本最西端の地・西崎まで約6kmを歩きながら、与那国島を観光します。

沖縄本島から南西へ約509km、石垣島から約127km、東京からは約1,900kmに位置する与那国島。台湾まで約111kmと、日本本土よりも台湾の方が近い場所に位置しているにもかかわらず、なぜ与那国島は日本の領土となり、「日本最西端の地」とされているのでしょうか。

■参考:2017年 与那国島旅行記

与那国空港の入口には、年始らしくしめ縄が飾られていました。日本の文化がここまで自然に根付いていることに、驚きと同時に、どこか不思議な感覚を覚えます。

空港から歩く道は県道216号線。与那国島内を循環する一般県道で、日本最西端の都道府県道です。雨がぱらついていたこともあり、歩いている人の姿は見当たりません。

道端にヨナグニウマがいました。この馬にはひもが付いていますが、与那国島では100頭を超えるヨナグニウマが半野生状態で放牧され、飼育・保存されていることで知られています。

続いては。島内では約800頭が飼育されているそうですが、与那国町の農業産出額に占める畜産の割合は約40%にとどまり、石垣市(68%)や竹富町(76%)と比べると低い水準です。与那国町では、肉用牛と工芸作物であるさとうきびが農業生産の中心となっています。

■参考:1

そしてヤギもいました。繋がれているので草刈り用でしょうか。八重山諸島ではよく見られる光景です。

■参考:波照間島にもヤギが多い

草むらには「与那国島の、パワーベジタブル。」と書かれた看板が立っていました。ここでいうパワーベジタブルとは、長命草(ボタンボウフウ)のこと。与那国島産の長命草は、資生堂の商品にも使われているそうです。

よく見ると、歩道脇の草むらにも長命草が生えていました。与那国島では古くから、赤ちゃんの健康長寿を願う儀式や、五穀豊穣・航海安全を祈る神事に用いられてきた植物です。しかし近年は不作が続き、与那国島産の長命草を使った資生堂の商品も、現在は販売が停止されています。

歩き始めて1時間ほど経過しました。空港からここまでの道中に建物はなく、そして海が見えるわけでもありません。道路の両側を草に覆われた地味な景色が続きます。

こちらは標高188mの久部良岳日本最西端の山…とわざわざ言わなくても、この辺りまでやって来ると、ほとんどのものに「日本最西端」の称号が付きます。

日本最西端の集落・久部良

14時40分、日本最西端の集落である「久部良」に到着しました。

こちらは久部良小学校。与那国島には3つの小学校があり、その中でも最も西に位置する、つまり日本最西端の小学校です。また、久部良小学校に隣接する久部良中学校は日本最西端の中学校となっています。

久部良小学校は、2026年に創立100周年を迎える歴史ある学校です。2024年時点では、46人の子どもたちが通っているとのこと。この日本最西端の集落にいつから人が住み始めたのかは分かっていませんが、糸満や久高島の海人たちが魚を追って移住し、形成された集落であると紹介されています。

■参考:2

そのため現在も漁業が盛ん。なかでもカジキの水揚げは県内有数とされ、年間およそ1,000本が水揚げされています。港のそばには、カジキの像も置かれていました。

久部良簡易郵便局は日本最西端の郵便局。なお、風景印はないようなので、与那国島から旅の記念にお手紙を出すときは与那国郵便局からがおすすめです。

与那国島島内には信号機が2つ設置されていますが、久部良にあるこちらが日本最西端の信号機となっています。

■参考:日本最南端の信号機は西表島にある

久部良集落にある唯一の商店が大朝商店、ということで、こちらが日本最西端の商店です。私が訪れた時間は営業しておらず。

こちらが日本最西端の港で、石垣島からの定期船・フェリーよなくにも入港する久部良港。そして、港の向こうの丘の上が、日本最西端の地・西崎です。

なぜ与那国島が日本最西端の地なのか

与那国空港から歩くこと約2時間、日本最西端の地・西崎(いりざき)に到着しました。

日本最西端の碑や灯台、東屋などがあり、この場所が与那国島で一番の観光スポットともいえるでしょう。日本で最も遅く太陽が昇り、そして沈むスポットでもあります。

■参考:日本最東端の地・納沙布岬へ

ちなみに、西崎の駐車場にはお手洗いもあるので、こちらが日本最西端のトイレです。天気がいい時は台湾の島影を見ることが出来るそうですが…

何も見えず。なお、写真右下に見える岩礁(通称「トゥイシ」)が、大潮の満潮時でも海面上にあることが確認され、2019年に日本最西端の地点は、従来の位置から北北西へ約260メートル移動しています。与那国島の2万5千分の1地形図が1981年に作成されて以降、最西端の地点が変更されたのはこれが初めてのようです。

それでも、ここから見える海が日本の国境であることに変わりはありません。そもそも、なぜ与那国島が日本の領土なのか。その答えは、与那国島が琉球王国に属していた一方で、台湾は琉球王国に属していなかったからです。

■参考:波照間島が日本最南端の地である理由

1987年の国体の時にこちらで採火が行われことを記念した「太陽の碑」

与那国島には、異国船を監視する遠見台が設けられ、漂流民の移送なども琉球王国の行政下で行われていたことが記録されています。このように、与那国島は行政・文化の面で琉球王国の統治下にあったため、後の日本領としてもその枠組みに組み込まれました。

■参考:3

東屋の床には大きな地図が描かれている

一方、台湾は地理的に非常に近いものの、琉球王国の支配を受けたことはなく、オランダや中国沿海の漢民族、さらには台湾原住民の歴史が独自に展開していました。また、1600年代にはオランダやスペインの統治下に置かれています。

GoogleMapで現在地を確認すると、凄い場所にいることが分かる

こうした経緯から、台湾は中国の島でも琉球王国の領土でもなく、多民族社会として独自の歴史を歩んできました。そもそも「台湾」というのは島の名称で、正確には「戦後、台湾島を中華民国政府が統治している」というのが現在の状態です。

西崎から見た久部良

ただし、与那国島が正確にいつから琉球王国と関係を持っていたのかは分かっていません。琉球王国時代の与那国島には士族がいなかったため、史料が圧倒的に少ないとされています。そのため、時期によっては台湾をはじめとする周辺地域の影響を強く受けていた可能性も否定できませんが、琉球王国が台湾島を統治していたことを示す史料は確認されていないそうです。

それにしても風が強い。雨も本降りになり、まさに嵐の中で、西崎には15分ほど滞在しました。再び歩いて空港へと戻ろうとしたところ…

偶然通りかかった島の方に声を掛けていただき、空港まで送っていただくことになりました。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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