睡魔との闘い!北谷町から読谷村へ 沖縄を夜通しで歩く|国道58号線の旅 その2

南国日記~沖縄移住の記録~

ブログをご覧いただきありがとうございます。

今回は「国道58号線を歩く旅」その2をお届けします。

★前回の記事★

強烈な睡魔との闘い

那覇から3時間以上歩き、北谷町で初めての休憩をしてから、体調に変化がありました。

こうしたベンチを見ると、座りたくてたまらなくなるのです

足の疲労もありますが、それよりも【睡魔】の影響です。

ベンチではなく、その辺の地べたでも、とにかく横になりたいと思うほど、強烈なものでした。

他に歩いている人もいないので、「あぁー」や「おぉー」「ヴゥー」など、倒れないよう、叫びながら歩いていました。

しかし、この場所を通過して、目が覚めました

この写真、左が国道58号線(日本)、右のフェンス内は米銀基地(アメリカ)です。

ここで何と、日本のパトカーと、基地内を巡回するアメリカのパトカーに挟まれたのです(笑)

職質などはありませんでしたが、どちらのパトカーも、しばらく私に並走してきたので、ドキッとしました。

時刻は間もなく5時。

嘉手納町に入り、残りは56km。出発から5時間で22km歩いたことになりますが、最初の「1時間5kmペース」からは、大きく落ちてしまっています。

空が明るくなってきました。この日もいい天気になりそうです。

グーグルマップによると、本部までは11時間半かかるということで、眩しい太陽の下で歩くことになります。

つまり、ここからが本当の勝負。

眠気も消えず、足も痛くなってきました

嘉手納町から読谷村へ

沖縄で何かを宣伝するなら横断幕!同窓会の案内なども、横断幕で行われています。

そして気になるのは【野國總管】。

この人物の詳細は分かっていないそうですが、1605年、中国から琉球王国に甘藷(いも)を伝えた人物です。

幸い、まだこうしたことが気になって、写真を撮る気力は残っています…笑

平安名と書いて「へんな」と読みます。

へんなビル…変なビル、笑

これが面白いと思って写真に残すほど、もう疲れ果てています。

朝の静かな比謝川

ここを渡ると、嘉手納町から読谷村に入ります。

心が折れそうになる標識。

本部港の手前、名護市まで残り42km

ここまで歩いた以上の距離が残っています

何でもない交差点ですが、実は以前、この場所で原付が動かなくなり、原付を引きずって8時間、家まで歩いて帰りました

人生で一番歩いたのは、恐らくこの時です。

★参考:原付を引きずって歩いたときの旅行記★

睡魔との闘い

時刻は6時になりました。

残り53km、所要時間は10時間40分

休憩なしで歩くのは現実的ではありません。

本部港から出る船の出港に間に合うか、微妙になってきました。

そしてまた猛烈な睡魔が襲ってきました。

この2本の柱が、1本に見えるような感覚です。

コンビニで朝食を確保。

ブラックコーヒーを一気飲みして、しばらくすると目が覚めてきました。

時間がないので、パンも歩きながら食べます。

道端にゴーヤが実っていました。

沖縄を感じさせる光景です。

始発バスがやってきた

時刻は6時25分になりました。

那覇バスターミナルを5時45分に出発する、名護行きの始発バスが来てしまいました。

ここまで来るのにバスは40分私は6時間25分かかっています。

名護までは39km

始発バスが名護に着くのは8時前、私が1時間5kmで歩いたら、約8時間かかります

読谷村 道沿いの景色から

北飛行場無名戦没者の霊地」と「山吹の碑

北飛行場は、沖縄戦の前、読谷村に作られた飛行場

沖縄本島に上陸した米軍によって、上陸初日に占領されました。山吹の碑には、その時に犠牲になった方が祀られているそうです。

ホームページを見ると、読谷村共同販売センターは、令和2年8月に閉店となっています。

こちらで行われていた、焼き物や琉球ガラスの展示販売は、現在、読谷村総合福祉センター内に移転されています。

こちらは前から気になっている施設。

すっぽん館」「黒糖工場」「世界一 日本和牛」など、情報量が多いです。

どんな施設であるかは、実際に訪れてからご紹介したいと思います。

琉球村まで、残り1kmの地点までやってきました。

果たして、本部港まで歩いて行くことは出来るでしょうか。

.

今回はここまで。本日もありがとうございました。

★続きはこちら★

コメント

タイトルとURLをコピーしました