日本一長い村 十島村へ!秘境を行くフェリーとしま2の船内をご紹介|2022 トカラ旅行記2

旅の思い出

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今回は「2022年 トカラ列島旅行記」その2をお届けします。

★前回の記事は こちら

日本最後の秘境・トカラ列島へ

2022年5月15日午前2時、フェリーとしま2は奄美大島・名瀬港を出港しました。

『日本最後の秘境』とも言われる十島村の島々(=トカラ列島)に寄港しながら、鹿児島港に到着するのは18時20分。私は口之島まで乗船するので、約9時間半の船旅となります。

外も真っ暗で、何より深夜2時なので、名瀬港出港を見届けることはなく、乗船後はすぐに就寝。

そして翌朝5時、自分で設定していたアラームの音で目が覚めました。フェリーとしま2は定刻通り『宝島』に入港するようです。

外はまだ真っ暗で、島の様子などは分かりませんが、ここからが鹿児島県十島村。私が下船する口之島もまた十島村ですが、宝島から口之島までは約6時間半かかります。

■ 参考:2016年 宝島旅行記

十島村最南端の島・横当島(無人島)から最北端・口之島までの直線距離は約160km。十島村は「日本一長い村」なのです。

続いては、島のフォルムが横たわる妊婦さんに見える『小宝島』。宝島から小宝島までの所要時間は40分ですが、すっかり明るくなりました。

5時55分、定刻より15分ほど遅れて小宝島に到着。

■ 参考:2016年 小宝島旅行記

振り返ると宝島が見えました

小宝島は十島村で最も人口が少ない島です。

2020年国勢調査より

そうは言っても、他の島々も人口は少なく、最も多い中之島でも146人。十島村全体でも740人しかおらず、人口が少ない市町村ランキングでは30位以内に入ります。

2020年国勢調査より

こちらは十島村の産業。数字だけを見ると、十島村では教育が盛んなように見えます。これは各島に小中学校があり、それぞれの学校に勤務する先生が数字に含まれてる影響です。

海は穏やかでしたが、次の寄港地『悪石島』到着時には、遅れが20分に拡大していました。

悪石島到着

港の接岸作業を本業にしている方はいないでしょう。島では「建設業」「宿泊業、飲食サービス業」に従事している方も多いですが、この背景には公共工事が盛んなことがあります。島外から訪れる工事関係者が島の宿に長期滞在するため、島の小さな宿は意外と予約が取れません。

■ 参考:2016年 悪石島旅行記

フェリーとしま2の船内をご紹介

ここで今回私が乗船しているフェリーとしまをご紹介。

十島村航路の歴史(村役場ホームページより)

厳しい自然環境の中にある島々と、鹿児島市及び奄美大島・名瀬港を結ぶ唯一の公共交通。約90年にわたり、島民の生活や地域社会の形成に必要不可欠な役割を担ってきました。

2015年 十島村 航路改善計画より

2013年は計画航海数115回に対し、実績航海数は104回。就航率は約90%ですが、出港を延期した航海数が26回あり、欠航または出港を延期する確率は32.2%もあります。これは夏の台風、冬の季節風で海が荒れるためです。

十島村ホームページより 出港延期の案内

また、小宝島が抜港になったり、奄美大島まで行かず宝島で折り返しになったり、車の積み下ろしが出来ない(ランプウェイ使用制限)ことがあったりもします。

私が乗船するフェリーとしま2は8時45分に『平島』へ入港。20分遅れと表示されていますが、時刻表と照らし合わせると約30分の遅れです。このように遅延も多く、2013年は、宝島折り返し便を除くと、鹿児島港に定刻通り入港した割合は8.1%しかなかったようです。

2等客室では船首のライブ映像を見ることが出来る

基本的に運航は週2便しかありません。十島村の有人島全島に上陸するためには、欠航や出港延期を見込んだ予備日も含めるとかなりの日数が必要となるので、アクセス難易度が高いです。そしてこのアクセス難易度の高さが故、トカラ列島(十島村)は「日本最後の秘境」と言われています。

フェリーとしまよりも大きくなりました

ただこれらは2013年のデータ。フェリーとしま2は2018年に就航した新しい船なので、数字は多少改善されているかもしれません。

以前は悪石島→諏訪之瀬島→平島→中之島の順に寄港していましたが、フェリーとしま2は寄港順路を悪石島→平島→諏訪之瀬島→中之島に変更。2015年に作成された十島村航路改善計画には、寄港順路の変更で航海時間の短縮と燃料の削減が実現するとありますが、フェリーとしま2の鹿児島ー名瀬間の所要時間は往復とも1時間ほど長くなりました。

その所要時間は16時間20分。これは本土と離島を結ぶ定期船の中で、おがさわら丸に次ぐ日本で2番目の長さです。こちらが長い船旅を過ごす2等客室。マットレス・毛布・枕が備え付けられています。

■ 参考:おがさわら丸乗船記

一区画ずつ頭の部分に仕切りがあり、各区画コンセント付き。荷物は頭上のロッカーに収納することで、スペースを広く使うことが出来ます。

指定寝台

こちらは指定寝台。

指定寝台よりも上位の1等客室や女性専用室も用意されています。

診療所がある定期船は、恐らく日本でこの船だけです。各島に十島村立のへき地診療所はありますが、医師は常駐していません。わざわざ鹿児島や奄美の病院に行くのは大変なので、年に1度、フェリーとしまが診療所となって各島へ寄港する「レントゲン便」が運航され、船内で健康診断を実施しています。

多目的室の様子

こちらは75歳以上の方や身体に不自由のある方向けの多目的室。こうした部屋があるのは、船を利用する島民に年配の方が多いから…と言いたいところですが、十島村の人口ピラミッドがこちら。

RESASより

2000年から2020年にかけて、老年人口が減少し、年少人口が増加しています。つまり、十島村では高齢化率が下がっているのです。これは山海留学生や移住者受け入れの成果と言えるでしょう。

乗船時間が長いのでシャワー(有料)もあります。利用しなかったので、100円で何分お湯が出るのかは不明です。備え付けのシャンプーや石鹸はありません。

お手洗いはウォシュレット付きで、清潔に保たれています。

船内レストランにやって来ました。

上り便も下り便も朝からお昼過ぎまで営業されており、お値段も比較的リーズナブルです。

さらに、船内にある自動販売機もかなり充実しています。飲み物とアイスは通常価格。お茶・水・お湯は無料で頂けます。なお、紙コップの数は限りがあるので、使い回してマイコップ化が必要です。

お酒はコロナの影響で販売が休止されていました。

お酒もあれば、おつまみの自動販売機もあります。

タバコを買うことも出来て…

喫煙室もあります。

菓子パンとカップラーメンの自動販売機。そしてここにも無料のお茶・水・お湯があります。

もちろん、事前に購入した食事を船内に持ち込むこともOK。レストランは開放されているので、ここで買ったものを食べたり、作業したりすることも出来ます。

作業をするにあたって、船内にFree Wi-Fiもありますが、こちらは航海中も島への接岸中もほとんど繋がりませんでした。

急ぎの連絡には公衆電話もあります。

レストランには売店も併設されているので、ここでもお菓子と、十島村のお土産を購入することが出来ます。

こちらはなかなかマニアックなお土産。島の3Dペン立てと塩が販売されています。全ての島でお土産を買うことが出来るわけでないので、トカラ列島旅行のお土産は船内売店で買うのがおすすめです。

7200円のルアーも売っていました

2023年春からは御船印の販売も始まりますが、販売場所は船内売店ではなく鹿児島港。乗船券を購入すると、御船印も購入する権利が得られるようです。

日本一長い村 鹿児島県十島村の歴史

これだけ設備が充実していることに加えて、航路の全長は435kmにもなるため、フェリーとしまにはかなりの経費がかかっているようです。

東京・竹芝桟橋から青ヶ島までが約400km。それよりも運航距離が長く、かつメインの利用者となる島民の数が少ない上に、島民が少なければ運ぶ荷物も少ないです。2013年度は費用が収益を大幅に上回り、4億5157万円の赤字となっています。

採算性の低さは昔から変わらず、民間の船会社の進出が無かったため、トカラ列島は長らく孤島の状態となっていました。国の命令による月1回の航海すら実行されず、航海は年数回程度。役場や村議らが国や県に陳情を繰り返し、1933年にようやく十島村に定期船が就航したのでした。

中之島には「汽船も亦道路なり」と書かれたとしま丸の就航記念碑があります。この言葉は十島村民の皆さんが知っているそうです。

平島から約30分、フェリーとしま2は定刻より30分遅れて『諏訪之瀬島』に入港。

諏訪之瀬島は御岳の噴火による火山灰に覆われていました。定期船が就航するよりも前から、トカラ列島の島々には人が住んでいましたが、1813年(江戸時代)に御岳が噴火し、諏訪之瀬島の全島民が島外へ避難。一時的に無人島になった歴史のある島です。

港の景色もどことなく霞んでいます

2022年10月から、諏訪之瀬島の飛行場に鹿児島空港からの定期便が就航し、ついに船以外でトカラ列島へ渡る手段が登場しました。しかし、週2便・定員3名・片道6万円と、こちらもまた難易度が高いです。

続いて11時12分に『中之島』へ到着。十島村の中で最も人口が多い島なので、村の中心的な役割を果たしているとも言われる島です。

しかし、十島村役場があるのは鹿児島市内。日本の市町村で市町村内に役場が無いのは、十島村・三島村・竹富町の3町村だけです。

また、十島村の教育委員会も鹿児島市内にあります。

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は IMG_3190-1024x768.jpg です
中之島の港にて

宝島から数えてこれで6つめの島。次がいよいよ下船する口之島ですが、あら? 十島村なのに7つの島しかありません。

フェリーとしま2の船内に、小説や漫画と並んで十島村誌が置かれていました。こちらを参考にすると、1908年(明治時代)に島嶼町村制が施行され、宝島(小宝島を含む)・悪石島・平島・諏訪之瀬島・中之島・臥蛇島・口之島・竹島・硫黄島・黒島が「十島村」となりました。

太平洋戦争の後、沖縄から口之島までが米軍統治下に置かれたため、竹島・硫黄島・黒島が「三島村」として独立。宝島から口之島の間にある島々は、「十島村」として本土復帰を果たしました。

■ 参考:沖縄と鹿児島の米軍統治時代について

中之島から口之島へ向かう途中で『臥蛇島』が見えました。周辺はカツオの好漁場で、年貢として鰹節を納め、十島一の裕福な島だったそうですが、高度経済成長期に人口が激減し、1970年に無人島となりました。

RESASより

トカラの島々では、縄文時代の土器が発掘されていたり、平家の落人伝説があったり、かなり昔から人が住んでいました。十島村では「第二の臥蛇島を出さない村づくり」が進められており、移住者の受け入れも積極的。先ほどご紹介した山海留学生の受け入れも、そうした取り組みの一環です。

現在は口之島・中之島・平島・諏訪之瀬島・悪石島・小宝島・宝島の7島の有人島と、臥蛇島・小臥蛇島・小島・上ノ根島・横当島の5島の無人島からなる十島村。その最南端の有人島である宝島を出港してから約7時間、いよいよ最北端の有人島『口之島』が見えてきました。

口之島は鹿児島から向かうのが一般的。奄美大島から乗船し口之島で下船する乗客はほとんどいないと思われます。

フェリーとしまは1時間ほど遅れて口之島に到着。今回は口之島に2泊した後、奄美大島へ向かうフェリーとしまの「レントゲン便」に乗船します。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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