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今回は2019年「与論島旅行記」その2をお届けします。
★前回の記事は こちら ★
15万人が訪れた南国リゾート・与論島
2019年8月2日、与論島上陸1日目は嵐に見舞われながらも、何とか宿にチェックインすることが出来ました。
夕方になり、雨が少し落ち着いたので、宿の周辺を歩いて散策します。
県道623号線の名称は「与論島循環線」。海沿いの道ではありませんが、この道路を辿ると島を1周することが出来ます(約10km)。
海沿いを周っても1周約24km、最高地点94mの与論島。アップダウンは少ないので、1日あれば1周することが出来てしまいます。レンタサイクルもあるので、自転車で島を巡るのもおすすめです。
この小さな1つの島全体が与論町に属しており、2020年の国勢調査によると、約5,100人が暮らしてます。
こちらが与論島で最も栄えているという銀座通り。雨の夕方で暗くなり、人通りも無く寂しい雰囲気です。
こちらは与論城跡・琴平神社にあった、昔の銀座通り周辺の様子。いつの時代かは分かりませんが、今よりも活気のあった様子が伺えます。
昭和を感じるレトロな案内板がありました。「離島ブーム」が起こった1970年代後半、与論島は 「東洋に浮かぶ1個の真珠」 と呼ばれ、1979年の観光客数は15万人を超えたそうです。
船よりも飛行機(与論空港)を利用する人が多い
観光客増加の背景にあるのは航空路の開設です。空港は島の最西端に位置しており、滑走路の長さは1200m。1976年から運用され、多くの人が飛行機で与論島へ足を運ぶこととなりました。
鹿児島県の資料によると、2018年に与論島を訪れた観光客は約6万6千人。与論空港には那覇・奄美大島・鹿児島を結ぶ便が1日数便就航しており、船よりも飛行機を利用する人の方が多いようです。
空港内はこんな感じ。離島でよく見られる、1階建てのこじんまりとした空港です。
ちなみに、島で唯一のトンネルは滑走路の下にあります。
ヨロンパナウル王国とミコノス
インスタ映えスポットとして有名な「ヨロン駅」は、観光全盛期の遺構のひとつと言えるでしょう。
与論島が国鉄の周遊券指定地に含まれるようになってから10周年を記念して、1979年に与論町によって設置されました。鉄道がない奄美・沖縄へのPRという意味合いもあるそうです。
与論郵便局に掲示されている謎のエンブレム。こちらはヨロンパナウル王国の国章。与論島の町政施行20周年記念と、観光宣伝のイメージアップ戦略として、1983年に建国されたパロディ国家です(国王:町長・大統領:観光協会長)。
ヨロンパナウル王国のパナはヨロンの方言で「花」、ウルとは「サンゴ」のこと。『花とサンゴに囲まれた南海の王国』という意味で名付けられたそうです。
王国建国の際、観光地としてのグレードアップ・文化の創造・国際交流の推進が必要との意見が出たことを受け、与論町は海外の都市との姉妹盟約締結に向けて動き出しました(与論町ホームページより)。
そこで選ばれた都市が、エーゲ海に浮かぶギリシアの島・ミコノス島です。
1984年に与論島とミコノス島は姉妹盟約を締結。島内の観光施設の外観の色をミコノス風の白に統一する「ホワイトキャンペーン」が行われたこともあり、現在もギリシア風の建物が多く見られます。
1992年から開催されているヨロンマラソン。今では毎年全国からランナーが集う名物マラソン大会となっており、そのスタート&ゴール地点もミコノス通りのモニュメントです。
島一番の観光スポット 百合が浜
与論島上陸2日目。ここ「ゆいの丘」から見る大兼久海岸の景色は『奄美十景』のひとつにも選ばれており、2017年には天皇陛下も訪れています。石碑に刻まれているのは、皇后様の詠まれた歌「南の島々」です。
その丘の背後に広がるのは、全長約2kmの大金久海岸。与論島を代表する絶景スポット・百合が浜には、ここからボートに乗って渡ることが出来ます。
■ 参考:与論島が出現する条件
百合が浜が出現するのは干潮時の時だけ。この日の干潮は14時50分頃。ツアー業者の船が出るのは12時半以降。一方、私は14時の船で沖縄へ帰らなければなりません。
ということで今回は、百合ヶ浜へ行くことが出来ず(元々の計画では、前日の午後に上陸する予定でした)。大金久海岸から見る海も十分綺麗です。潮が引くと、この海の向こうに砂浜が見えると思われます。
この美しい景色は、今も昔も変わらないものですが、それでも観光客数が激減した理由のひとつは「沖縄」の影響でしょう。沖縄が本土復帰を果たすと、海洋博の開催など、大々的に沖縄への観光誘致が行われました。
こちらの「プリシアリゾートヨロン」は、TBS系列の「人生変わる!?奇跡の宿」というテレビ番組でも紹介されたそうです。しかし、与論島に沖縄のようなリゾートホテルはありません。
南の島やリゾートの雰囲気を求める観光客は、大都市圏から直行便で行くことの出来る沖縄本島や石垣・宮古に流れたと考えられます。鹿児島本土や奄美大島より、沖縄本島からの方が圧倒的に近いですが、与論島は鹿児島県であるため、沖縄の観光文脈では紹介されない点も課題です。
一方で、沖縄本島周辺の離島に分類した場合、与論島は最も遠い島となります。他の島と比べて与論島は何が違うのか。昔とは異なり、観光客を呼び込むためには、わざわざ与論島へ行くための「理由」が必要な状況です。
与論島の産業は観光ではなく農業
しかし、与論島の産業構成は非常に興味深いものとなっています。
観光の島であれば「宿泊業、飲食サービス業」に従事する人の割合が多くなりますが、与論島で最も従事者が多いのは「農業」。実は与論島は島民の4分の1以上が農業に従事している『農業の島』なのです。
与論島の農業の中心は畜産。2018年の時点で人口よりも牛の数の方が多いそうです。
与論島にいるのは子牛たち。ある程度成長した後、島外へ出荷され、日本各地のブランド牛となります。貴方が今日食べた松坂牛も、子牛時代は与論島で過ごしていたかもしれません。
沖縄や奄美群島では、畜産に力を入れている島が多く、牛が積まれたコンテナが船に乗っていることもあります。
島の道端には、北海道の牧場でよく見られる「牧草ロール」も置かれていました。
こちらは「黄金牛」と呼ばれるオブジェ。2010年に突如現れたそうで、お腹を触るといいことがあると言われています。
さとうきびと黒糖焼酎
与論島の南部にある赤崎海岸(アーサキ 別名「サンライズビーチ」)へやって来ました。トイレ・シャワー・脱衣所の他、お食事処もあり、綺麗に整備された公園です。
どうやらこの赤崎海岸の一帯に、与論島を創ったとされる「シニグク神(稲穀の神・男神)」「アマミク神(天御子・女神)」が上陸したそうで、『与論島発祥の地』と言われています。
こちらは道端に生えるグアバの木。その背後に広がるのは、すでに稲が刈り取られた田んぼです。神話によると、アマミクとシニグは与論島を作った後、稲作を始めたと言われています。
収穫された稲はガードレールに干されていました。こちらは藁となり、飼料用に使われると思われます。
なお与論島では、稲作だけでなく、沖縄と同様にさとうきび栽培も盛ん。栽培されたさとうきびは黒糖だけでなく、黒糖焼酎の原料にもなります。
さとうきびを原料とするお酒には「ラム酒」もありますが、酒税法の関係から、奄美群島の島々では米麹を用いることで、黒糖焼酎として製造しているそうです。
与論島で唯一の黒糖焼酎「島有泉」を製造しているのが有村酒造。事前に予約をすると、無料で見学することも出来ます。
バナナの木々とトラクター。島の周囲を囲む美しい海が注目されがちですが、これこそが与論島の景色なのかもしれません。
海産物もある 名物はもずくそば
島の方に連れられて、漁港へやって来ました。漁業は農業ほど盛んでは無さそうですが、写真手前に4匹並べられているのはマグロ。
島のスーパーでも「与論島産マグロ」が販売されていました。与論島を囲むリーフの外に回遊しており、ダイビングでも見ることが出来るそうです。
蒼い珊瑚礁というお店で頂けるのは与論島名物「もずくそば」。もずくは沖縄や与論島を代表する海産物です。
「海藻の王様」と言われるほど栄養分が豊富なもずく。トッピングとして生もずくがついているだけでなく、麺にももずくが練りこまれており、これが美味しいのです。
そして座席からはヨロンブルーのパノラマビューが広がります。
もずくそばは島のスーパーやAmazonでも購入可能。もずくが練りこまれた麺は、そば粉を使用していないため、そばアレルギーがある人でも食べることが出来ます。
さらば与論島!1泊2日の滞在終了
お迎えの船がやってきました。フォトジェニックな雲が、旅立ちの切なさを演出してくれています。
帰りの乗船券も事前にネット決済をしていたので、港でチケットを引き換えるだけです。
さらば与論島。約26時間の与論島滞在はこれにて終了。沖縄・本部港には16時半頃に到着しました。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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