歴史の舞台 宝島上陸!十島村最南端の集落を歩いて散策|2022 トカラレントゲン便 旅行記6

旅の思い出

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今回は「2022年 トカラ列島 レントゲン便旅行記」その6をお届けします。

★前回の記事は こちら

十島村最南端の有人島 宝島上陸

十島村の村営船・フェリーとしま2のレントゲン便に乗船し、トカラ列島の島々を旅しています。

最後の島・宝島が見えてきました。十島村は日本一長い村。最北端・口之島から宝島までは、直線距離で約110kmも離れています。なお、宝島より南に「上ノ根島」と「横当島」がありますが、いずれも無人島です。

10時過ぎ、宝島に到着しました。宝島での滞在時間は約2時間です。

島の形がハート形見える?ことから、「ハートの島」として紹介されていることもある宝島。私が宝島を訪れるのは2回目です。前回は島を1周したので、今回は歩いて集落を散策します。

■ 参考:2016年 宝島旅行記

さっそく港には轢かれたハブがいました。小宝島と宝島は生物地理学的に熱帯となるため、十島村の村内でも自然景観は全く異なります。

■ 参考:口之島旅行記

ガジュマルがあるのも亜熱帯地域ならではのこと。

沖縄であちこちに自生している月桃も自生し、綺麗な花を咲かせていました。

バナナは宝島名物。カレーやジャム、バナナの繊維を利用した「バナナファイバー」などとして商品化されています。

島にある浜坂貝塚は、奄美や琉球(沖縄)の遺跡とよく似ている一方、本土からの遺物も出土しているとのこと。自然だけでなく文化的にも、宝島は南方との接点と考えられています。

歴史の舞台 イギリス坂

宝島が近代日本の歴史上、重要な事件の舞台となっていることは、あまり知られていません。

その現場がこちら。島では「イギリス坂」と呼ばれています。1824年、沖合に停泊していたイギリス船の船員が宝島に上陸。島にいた牛を求めて、交易を願い出ましたが、当時の日本は江戸幕府の鎖国体制の真っ只中です

石碑も置かれている

交渉が決裂すると、イギリスの船員らは島の牛を殺害または強奪。さらには、在藩官屯所(現在でいう役場出張所)に対して発砲したため、ちょうど出張で訪れていた藩庁(現在の県庁)の職員が応戦し、イギリスの船員1名が射殺されました。その現場がこの坂だったそうです。

この事件を重視した幕府は、翌年に「異国船打払令」を施行し、鎖国体制を強化したのでした。

■ 参考:異国船打払令と当時の日本情勢

集落を歩いて散策

宝島の集落は港周辺にあります。

続いてやって来たのはコミュニティセンター。村役場の出張所にもなっており、フェリーとしまの乗船券もこちらで買うことが出来ます。

コミュニティセンターには、売店「としまーと」も併設されていますが…

営業しているのは7時30分~8時30分と17時~19時。私が訪れた時は営業していませんでした。

また、売店の向かいにはガソリンスタンドもあります。

こちらは宝島小中学校。小学校は93周年、中学校は76周年という看板が出ていました。

写真中央よりやや右、ミラーの背後にある石碑は「小学校令施行の碑」。明治政府により小学校令が公布されたのは1886年。しかし、十島村は地理的条件や財政難のため施行されず、1930年までは地域の協力と有識者の努力で、学校が運営されていたそうです。

2020年 国勢調査より 宝島の人口ピラミッド

宝島の人口ピラミッドを見ると、147名という人口に対し、子供とその親世代(35歳から44歳)の数が多いことが分かります。これは山海留学生だけでなく、大人の移住者も多いということです。

十島村の人口

これまでは中之島が「人口・面積ともに十島村最大の島」と紹介されてきましたが、2020年、ついに宝島の人口が中之島を上回りました。

移住先として宝島が人気である理由のひとつには、フェリーとしま2の運航スケジュールがあるそうです(とある旅先で聞いた話)。通常フェリーとしま2は宝島を11時40分に出港し、15時20分に奄美大島へ到着します。買い物や食事をして夜の船に乗ると、翌朝5時には島へ帰って来れるのが便利なようです。

2020年 国勢調査より

島民の方が従事している仕事は、他の島と同様に「教育、学習支援業」「建設業」が多い一方で、十島村の他の島よりも仕事(産業)の幅が広いことが分かります。

こちらは「宝島 友の花温泉 保養センター」。火曜日と土曜日の17時30分から21時、300円で利用することが出来ます。

外から中の様子を覗いてみると、健康器具も置かれていました。

診療所はかなり無機質な外観です。

郵便局もあります。ここから郵便物を出すと、「風景印」を押してもらえるそうです。

海沿いにあったこちらの建物には「海上保安官連絡所」という看板が付けられていました。

セメント工場(建設業)は放置されてしまっている島が多いですが、こちらはしっかり稼働しているようです。

絶景ビーチ 大籠海水浴場へ

集落をぐるっと周りましたが、船の出港までもう少し時間があるので、港の近くにある絶景ビーチ・大籠海水浴場へ行ってみることに。

途中からは舗装されていない道を歩きます。

その途中、製塩所を発見しました。各島内にお土産屋さんはないため、トカラの特産品は船内か鹿児島市内、またはネットで購入することが出来ます。

大籠海水浴場には「夢ハウス」という施設があり、初めて宝島に上陸したときには、ここで一晩を明かしました。

中の様子はこんな感じ。宝島観光サイトによると1泊1人2,000円。予約などの詳細は、宝島出張所に問い合わせると分かるようです(私はイベントで紹介してもらった)。

そしてこちらが宝島の絶景ビーチ・大籠海水浴場。トカラ列島の島々には海水浴場がほとんどないこともあり、いよいよ本格的に南の島へ来たことを実感させてくれる景色です。

ビーチは琉球石灰岩に囲まれており、この写真が沖縄の海で撮ったものだと言われても分かりません。

ということで、宝島の散策はここまで!フェリーとしま2へ戻ります。

その途中、飼育されている牛のような見た目のヤギがいました(笑)

この壁画を抜けた先に船が泊まっています。

12時、フェリーとしま2は奄美大島・名瀬港へ向けて出港しました。さらば十島村の宝島、そしてトカラ列島。

宝島から約3時間、15時にフェリーとしま2のレントゲン便は奄美大島・名瀬港に到着しました。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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