ブログをご覧いただきありがとうございます。
今回は「2022年 トカラ列島 レントゲン便旅行記」その6をお届けします。
★前回の記事は こちら ★
十島村最南端の有人島 宝島上陸
2022年5月、十島村の村営船・フェリーとしま2のレントゲン便に乗船し、トカラ列島の島々を旅しています。
最後の島・宝島が見えてきました。十島村は日本一長い村。最北端・口之島から宝島までは直線距離で約110kmも離れています。なお、宝島より南に「上ノ根島」と「横当島」がありますが、いずれも無人島です。
10時過ぎ、宝島に到着しました。宝島での滞在時間は約2時間です。
島の形がハート形見える?ことから、「ハートの島」として紹介されていることもある宝島。私が宝島を訪れるのは2回目です。前回は島を1周したので、今回は歩いて集落を散策します。
■ 参考:2016年 宝島旅行記
さっそく港には轢かれたハブがいました。小宝島と宝島は生物地理学的に熱帯となるため、十島村の村内でも自然景観は全く異なります。
■ 参考:口之島旅行記
ガジュマルがあるのも亜熱帯地域ならではのこと。
沖縄であちこちに自生している月桃も自生し、綺麗な花を咲かせていました。
バナナは宝島名物。カレーやジャム、バナナの繊維を利用した「バナナファイバー」などとして商品化されています。
島にある浜坂貝塚は奄美や琉球(沖縄)の遺跡とよく似ている一方、本土からの遺物も出土しているとのこと。自然だけでなく文化的にも宝島は南方との接点と考えられています。
歴史の舞台 イギリス坂
宝島が近代日本の歴史上、重要な事件の舞台となっていることはあまり知られていません。
その現場がこちら。島では「イギリス坂」と呼ばれています。1824年、沖合に停泊していたイギリス船の船員が宝島に上陸。島にいた牛を求めて交易を願い出ましたが、当時の日本は江戸幕府の鎖国体制の真っ只中です。
交渉が決裂すると、イギリスの船員らは島の牛を殺害または強奪。さらには、在藩官屯所(現在でいう役場出張所)に向けて発砲したため、ちょうど出張で訪れていた藩庁(現在の県庁)の職員が応戦し、イギリスの船員1名が射殺されました。その現場がこの坂だったそうです。
この事件を重視した幕府は翌年に「異国船打払令」を施行し、鎖国体制を強化したのでした。
■ 参考:異国船打払令と当時の日本情勢
集落を歩いて散策
宝島の集落は港周辺にあります。
続いてやって来たのはコミュニティセンター。村役場の出張所にもなっており、フェリーとしまの乗船券もこちらで買うことが出来ます。
コミュニティセンターには、売店「としまーと」も併設されていますが…
営業しているのは7時30分~8時30分と17時~19時。私が訪れた時は営業していませんでした。
また、売店の向かいにはガソリンスタンドもあります。
こちらは宝島小中学校。小学校は93周年、中学校は76周年という看板が出ていました。
写真中央よりやや右、ミラーの背後にある石碑は「小学校令施行の碑」。明治政府により小学校令が公布されたのは1886年。しかし、十島村は地理的条件や財政難のため施行されず、1930年までは地域の協力と有識者の努力で学校が運営されていたそうです。
宝島の人口ピラミッドを見ると、147名という人口に対し、子供とその親世代(35歳から44歳)の数が多いことが分かります。これは山海留学生だけでなく、大人の移住者も多いということです。
これまでは中之島が「人口・面積ともに十島村最大の島」と紹介されてきましたが、2020年、ついに宝島の人口が中之島を上回りました。
移住先として宝島が人気である理由のひとつには、フェリーとしま2の運航スケジュールがあるそうです(とある旅先で聞いた話)。通常フェリーとしま2は宝島を11時40分に出港し、15時20分に奄美大島へ到着します。買い物や食事をして夜の船に乗ると、翌朝5時には島へ帰って来れるのが便利なようです。
島民の方が従事している仕事は、他の島と同様に「教育、学習支援業」「建設業」が多い一方で、十島村の他の島よりも仕事(産業)の幅が広いことが分かります。
こちらは「宝島 友の花温泉 保養センター」。火曜日と土曜日の17時30分から21時、300円で利用することが出来ます。
外から中の様子を覗いてみると、健康器具も置かれていました。
診療所はかなり無機質な外観です。
郵便局もあります。ここから郵便物を出すと、「風景印」を押してもらえるそうです。
海沿いにあったこちらの建物には「海上保安官連絡所」という看板が付けられていました。
セメント工場(建設業)は放置されてしまっている島が多いですが、こちらはしっかり稼働しているようです。
絶景ビーチ 大籠海水浴場へ
集落をぐるっと周りましたが、船の出港までもう少し時間があるので、港の近くにある絶景ビーチ・大籠海水浴場へ行ってみることに。
途中からは舗装されていない道を歩きます。
その途中で製塩所を発見しました。各島内にお土産屋さんはないため、トカラの特産品は船内か鹿児島市内、またはネットで購入することが出来ます。
大籠海水浴場には「夢ハウス」という施設があり、初めて宝島に上陸したときはここで一晩を明かしました。
中の様子はこんな感じ。宝島観光サイトによると1泊1人4,000円。予約などの詳細は宝島出張所に問い合わせると分かるようです(私はイベントで紹介してもらったため、破格の値段で泊まらせていただきました)。
そしてこちらが宝島の絶景ビーチ・大籠海水浴場。トカラ列島の島々には海水浴場がほとんどないこともあり、いよいよ南の島へ来たことを実感させてくれる景色です。
ビーチは琉球石灰岩に囲まれており、この写真が沖縄の海で撮ったものだと言われても分かりません。
ということで、宝島の散策はここまで!フェリーとしま2へ戻ります。
その途中、飼育されている牛のような見た目のヤギがいました(笑)
この壁画を抜けた先に船が泊まっています。
12時、フェリーとしま2は奄美大島・名瀬港へ向けて出港しました。さらば十島村の宝島、そしてトカラ列島。
宝島から約3時間、15時にフェリーとしま2のレントゲン便は奄美大島・名瀬港に到着しました。
.
今回はここまで。本日もありがとうございました。
★続きはこちら★
コメント