ブログをご覧いただきありがとうございます。
今回は【2020年→2021年 年末年始の旅】旅行記その13をお届けします。
★前回の記事は こちら ★
普通列車&代行バスで根室から滝川へ
2021年1月1日、JR北海道・根室駅にやって来ました。ここは全長443.8 kmにもなる、JR北海道の最長路線・根室本線(支線部を除く)の終点の駅です。
根室駅から出発する普通列車は1日6本。まずは11時3分発の快速はなさきに乗車し、その後は普通列車と代行バスを乗り継いで、根室本線の起点・滝川駅を目指します。
元日の根室駅では、列車に乗る人全員にお菓子やポストカードが入った福袋が無料配布されていました。これはラッキーなお土産です。
少年が持っている紙には「ありがとう花咲線」と書かれています。根室駅ー釧路駅間は根室本線の一部ですが、1991年に根室駅ー釧路駅間の管理を専門とする営業所が発足したことをきっかけに「花咲線」という愛称が付けられました。
花咲ガニのおかげで広く知られている「花咲(はなさき)」という名前。地名に由来するもので、元々は「鼻崎」と書きます。「鼻」も「崎」も岬がある場所に付けられる漢字です。アイヌ語ではないことが分かります。
根室駅の開業は1921年。2021年で花咲線は開業100周年を迎えました。
1両編成の車内は満員状態で根室駅を出発。座ることが出来なかったので、根室駅から終点・釧路駅までの約2時間半、ずっとこの場所で過ごしていました。
線路上にオオワシやオジロワシといった希少な鳥たちがいたため、列車は非常ブレーキをかけて急停車。この鳥たち、汽笛を鳴らしてもなかなか動かず、列車がゆっくり近づいて、やっと飛んでいくような感じです。
北海道では近年、エゾジカの列車事故が増加。シカの亡骸を狙った鳥たちも線路に集まり、鳥との衝突事故も増加しているそうです。2019年には列車と衝突した鳥が窓ガラスを突き破って、車内に入るという事故も起きています。
こんな場所によく鉄道を通したなと思いますが、明治時代の北海道開拓以前から、根室地方や千島列島に人が住んでいたため必要とされたのでしょう。なお、1896年の北海道鉄道敷設法では、現在のように海沿いを走るルートではなく、また根室駅と釧路駅を結ぶ計画でもなかったようです。
北海道鉄道敷設法には「石狩國旭川ヨリ十勝國十勝太及釧路國厚岸ヲ經テ北見國網走ニ至ル鐵道」とあります。この路線のルートを地図に落とし込むとこんな感じ。
現在の富良野線・根室本線・釧網本線を経由して、旭川と網走を結ぶ鉄道の計画でした。
また「十勝國利別ヨリ北見國相ノ内ニ釧路國厚岸ヨリ根室國根室ニ至ル鐵道」もあります。こちらはルートはこんな感じ。
利別(池田町)から北見を経由し、かなり遠回りして厚岸、そして根室に至ります。この2ルートを繋ぎ合わせると、釧路駅ー厚岸駅ー根室駅を結ぶ鉄道になるのです。
根室本線は旭川と釧路の双方から着工され、1899年に旭川駅ー美瑛駅間が、釧路側は1901年に釧路駅ー白糠駅間が開業しました。
列車は交換待ちのため茶内駅でしばし停車。花咲線区間は1917年に釧路駅ー浜厚岸駅(廃駅)の開業を皮切りに、4年かけて根室駅まで延伸しました。茶内駅は1919年に開業した駅です。
そしてまた自然の中へ。駅周辺以外は、人の気配が全く感じられません。
花咲線沿線にある釧路町・厚岸町・浜中町という3つの自治体を合わせた2020年の人口は33,500人。総延長135.4kmの区間に、根室市を合わせても約6万人ほどしか住んでおらず、花咲線は「単独では維持することが困難な線区」に位置付けられています。
風光明媚な景色が連続する花咲線の中でも、ラムサール条約にも登録されている別寒辺牛湿原は絶景スポットとして有名です。この時期、湿原の水たまりはもちろん凍り付いています。
こちらは一面が雪に覆われた厚岸湖。よく見ると、雪面には動物の足跡も付いています。
そして厚岸湖と繋がっている厚岸湾へ。川や湿原の栄養源が流れ込む厚岸湖はプランクトンが豊富で、魚や貝が育ちやすく、特にかきの養殖が盛ん。厚岸湾で大きく育ったかきは、冬場、人の手によって厚岸湖に移され、栄養を蓄えるそうです。ちなみに厚岸という地名も、アイヌ語の「アッケシシ(かきのあるところ)」を由来とする説があります。
天気がよかったこともあり、車窓からの景色を存分に楽しむことが出来ました。
13時半前、釧路駅に到着。続いては14時10分発の「帯広行き」に乗り換えです。
1901年開業の釧路駅。1917年の花咲線区間開業に伴い、現在の場所に移転しました。
帯広行きの列車は定刻通り釧路駅を出発。根室本線は1901年に釧路駅から白糠駅まで開業した後、1903年に浦幌駅、1904年に利別駅、そして1905年に帯広駅まで延伸されました。
にししょろ、漢字では「西庶路」。庶路は「ショ・オロ(滝の所)」というアイヌ語が由来の地名です。
列車は北海道南東の縁を走っており、このまま沿岸を行くと襟裳岬へ着きますが、途中の厚内駅からは内陸へ進路を変えます。
18時、30分近く遅れて帯広駅に到着しました。この日の移動はここまで。
帯広駅近くのビジネスホテルで1泊し、2021年1月2日は雲ひとつない青空。駅前には雪も全くなく、真冬の北海道とは思えないような景色が広がっていました。
この年の帯広は観測史上初、降雪ゼロで新年を迎えたそうです。ただし気温は-12.5度。最高気温も-5度しかありません。
帯広から新得方面が「維持可能な線区」である理由
まずは8時55分発、根室本線「新得行」に乗車。
帯広駅ー新得駅間は1907年に開業した区間です。1両編成の列車に乗客は数名だけでしたが、帯広から新得・新夕張方面の区間は、JR北海道単独でも維持可能な線区に位置付けられています。
こちらは帯広駅を出発してすぐの景色。住宅が並ぶ街並みの向こうには雪山が見えています。帯広は1883年から静岡県の民間開拓結社・晩成社を中心に開拓が行われました。ちなみに、北海道土産の定番である六花亭製菓の『マルセイバターサンド』の「マルセイ」は、元々晩成社が用いたバターの商標です。
根室本線が通っていることに加えて、とかち帯広空港を利用すると東京まで直行便で約2時間で行くことが出来るため、帯広は移住先としても注目が高いようです。市の人口は約16万人で今後も横ばい傾向が続く見込みとなっています。
こちらは2020年の北海道市町村別農業産出額。帯広市は北海道内で6番目の産出額となっています。隣接する幕別町・清水町・士幌町の産出額も大きいことから、農作物が帯広に集積し、鉄道や飛行機で全国に輸送されていることが伺えます。
鉄道の開通によって農作物の大量出荷が可能になり、仕事を求めて人が集まり、商業も発展したのが帯広の歴史です。今では農業をはじめとした第一次産業よりも、第二次産業や第三次産業に従事する方の割合の方が高くなっています。
根室本線が帯広市内を走る区間は10km程度。帯広駅があるのは帯広市の北端部で、人口や商業地は駅周辺に集中しています。
列車は間もなく市街地を抜け、車窓に雄大な自然の景色が広がりました。この線区が維持出来るのは、人を運ぶ特急列車や農作物を運ぶ貨物列車の需要があるからでしょう。
そして出発から約1時間、新得駅に到着すると、周囲はすっかり雪景色になっていました。
新得駅では10時49分発の根室本線「代行バス」に乗り換えます。こちらのバスは、今回の旅で私が利用している「北海道&東日本パス」や青春18きっぷでも、追加料金なしで乗ることが出来ます。
北海道&東日本パスで代行バスに乗り換える
新得は1899年から、山形県東根市出身の方々によって本格的な開拓が始まりました。
新得の名物はそば!駅のお土産屋さんには様々なそば、そしてつゆが販売されています。開拓期からそばの栽培が行われ、昔から質の高さが評価されているそうです。
帯広から延伸されてきた根室本線は、1907年に新得駅の開業と同時に、狩勝峠を越えた先の落合駅まで開通しました。
こちらは新得駅前に置かれたSLのフロントと「火夫の像」。急勾配とトンネルが続く区間で、火夫(SLの石炭を投炭する人)の労力は大変なものだったそうです。
鉄道がこの日高山脈の山々を超えることで、十勝平野の農作物を大消費地へ届けることが可能になり、帯広が発展したとも考えられます。
しかし、2016年の台風で新得駅ー東鹿越駅間の複数箇所で線路上に土砂が流入。仮に復旧しても、その費用に見合う利用者が見込めないことから、線路は放置された状態となっており、2021年現在、代行バスが運行されているのです。
新得駅周辺を散策
代行バスの発車まで少々時間があるので、駅周辺を散策してみます。
「北海道の重心地」というモニュメントが置かれていました。重心地とは、ここが恐らく「中心」ということ。新得町の観光協会のホームページなどでも「北海道のどまん中」と紹介されています。
ちなみに「北海道のへそ」として有名なのは富良野。富良野は「日本のへそ」を自称する兵庫県西脇市と姉妹都市でもあります。どうやら新得が北方四島を含んでいるのに対し、富良野は本島だけを切り取った際の中心になるそうです。
マンホールに描かれているのはスキーの絵。東大雪の山々と日高山脈に囲まれている新得町にはスキー場がいくつかあります。
駅の入口に除雪用具入れがありました。こうした道具が倉庫ではなく、誰でも使うことが出来る場所に置かれているのは、雪国ならではのことです。
駅前には町営のサウナ・浴場があります。新得町内にある大雪山系トムラウシ山、その麓にあるトムラウシ温泉のお湯が直送されているそうですが、残念ながら今回は年末年始休業中で利用出来ず。
新得はNHKの朝ドラ「なつぞら」の舞台にもなっていたようで、広瀬すず氏の(直筆?)メッセージ付きポスターが掲載されていました。
日本三大車窓 狩勝峠を越える
ということで、ここからは大型バスで約1時間のバス旅。バス前面に出ている団体名は「列車代行様」となっています。
特に案内もなく、時間になるとバスのドアが閉まり、新得駅前を出発。乗客は私1人だけ。バス前方の特等席から、車窓の景色を楽しむことが出来ました。
このバスは根室本線の代行バスでありながら、途中にある「十勝サホロリゾート」への無料送迎バスの役割も兼ねてます。利用者の有無に関わらず、サホロリゾートには必ず立ち寄るようです。
サホロリゾートには20分ほどで到着。ここでも乗ってくるお客さんはゼロでした。
バスはいよいよ「狩勝峠」へ。かつて峠からの景色は「日本三大車窓」のひとつにも数えられましたが、1966年に新しいトンネル(新狩勝トンネル)が開通してからは、その車窓を鉄道から見ることは出来なくなりました。
現在は代行バスという形ですが、一応「根室本線」の一部として、日本三大車窓が見える区間が復活したことになります。
進行方向左手の車窓に十勝平野の大パノラマが広がるのはほんの一瞬。すぐに雪の壁が出てきて、景色は見えなくなります。
峠の標高は644m。狩勝峠は国道38号線の一部になっており、山頂にはドライブインや展望台もあるそうですが、代行バスは停車しないので、じっくり楽しみたい場合は車で訪れるのがおすすめです。
狩勝峠を越えると、新得町から南富良野町へ入ります。
落合駅に到着。旭川方面から線路が延伸され、1901年に開業した駅です。新得駅ー落合駅間の開業が1907年なので、根室本線が狩勝峠を越えるのには6年かかっているということになります。
ここでもバスに乗ってくる人はいません。ホームへと降りる階段は木の壁で塞がれていました。何だか寂しい光景です。
そしてまたバスは国道38号線を走ります。次に止まるのは幾寅駅です。
幾寅駅は映画「鉄道員」のロケ地として使われた駅で、今も駅舎には映画の中に登場する「幌舞駅」の看板が付けられています。
映画に登場する列車やセットとしても使われたという「だるま食堂」も保存されています。駅周辺には、他にも映画のセットが残されているそうです。
幾寅駅でも乗降は無く、次がこのバスの終点・東鹿越駅。その途中に踏切の標識がありました。
遮断機は外され、線路も雪で完全に覆われています。もうここには5年近く列車が走っていません。そして、再び走る予定もないのでしょう。雪面には動物の足跡が残されていました。
新得を出発してからちょうど1時間、東鹿越駅に到着しました。元々廃止になる予定の駅だったそうですが、今は代行バスと列車の乗り換え地点として役割を果たしています。
北海道最長路線・根室本線を乗り通す
ここからは再び鉄道の旅です。
バスが到着して間もなく、滝川行きの列車がやってきました。かつては滝川発釧路行という普通列車もあったそうです。
根室本線は滝川駅まで空知川と並行して走ります。空知川は落合駅付近で「シーソラプチ川」と「ルウオマンソラプチ川」が合流して形成された川です。滝川では石狩川と合流します。
滝川周辺における鉄道開業の歴史はこんな感じ。富良野から旭川を経由せずに滝川へ向かう、現在の根室本線のルートには、アイヌ時代からの難所「空知大滝(空知川)」があったため、開業が遅れたようです。
北海道鉄道敷設法に基づいて、当初の根室本線は富良野から旭川へ向かっていましたが、1913年に富良野駅ー滝川駅間が開通したことで、滝川駅が根室本線の起点となりました。それから現在まで、富良野駅ー旭川駅間は「富良野線」という、根室本線とは別の路線として存続しています。
富良野を過ぎてからは青空が消え、積雪も増えてきました。開業当初、道東と道央を結ぶ役割を果たしていた根室本線。しかし、1981年に新得駅ー新夕張駅(ー追分駅ー南千歳駅)間の石勝線が開業すると、その役割を譲ることとなり、2022年に新得駅ー富良野駅間の廃止が決定しました。
14時、根室本線の起点・滝川駅に到着。滝川駅は砂川駅-旭川駅間を結ぶ北海道官設鉄道上川線の駅として、1898年に開業した駅です。
1890年に入植した屯田兵によって開拓された滝川。昭和時代になると、石炭の採掘が活発になり、赤平・芦別の石炭が滝川から鉄道で札幌・小樽・苫小牧方面に運ばれるようになり、町が発展したそうです。
2020年現在、滝川の人口は約4万人。駅前は都会の雰囲気ですが、人の姿はなく、静まり返っています。
滝川からは函館本線で岩見沢へ。この日の目的地は札幌です。ここからは久しぶりに「電車」の旅となります。
.
今回はここまで。本日もありがとうございました。
★続きはこちら★
コメント