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今回は「2019年→2020年 年末年始の旅」その15をお届けします。
★前回の記事★
ケンケン山からノスタルジック集落へ
旅の8日目、時刻は朝8時前。琵琶湖に浮かぶ有人島「沖島」に上陸しました。

ケンケン山を目指して歩きます。幸い雨は止んでくれました。

港から歩いて約10分、「ケンケン山 登り口」到着しました。写真では分かりづらいですが、この先は枯れ葉で覆われた道なき道となっており、歩くのは少し大変そうです。島での滞在時間は1時間しかないので、今回はここで折り返すことにしました。

ちなみに、ケンケン山は「見景山」が訛った言い方なのだそう。登山道はケンケン山から、さらにその先の「尾山(標高220m)」まで続いており、尾山の山頂付近からは、琵琶湖を一望出来るそうです。

山を下りて、ここからは集落を散策します。
日本遺産に登録された生活様式
無人島であった時代から、沖島は「琵琶湖の航行の安全を守る神の島」として崇拝されていたそうです。

保元・平治の乱(1156年)の後、源氏の落武者が山裾を開拓したところから、沖島に人が住み始めました。

平地が少ないので、家々はこうして港周辺の狭い範囲に密集しています。

家と家の間に洗濯機が置かれていますが、これほど使える空間は限られているということです。
ノスタルジックな雰囲気を楽しめることから、年間約2万人の観光客が沖島に訪れているそうです。民宿もあるので、島に泊まることも出来ますが、キャンプはNG。当然ですが、家に住んでいる方の迷惑にならないよう、観光の際も十分な配慮が必要です。
沖島の暮らしと産業
沖島の生活様式はいわゆる「半農半漁」。

「八朔(はっさく)」がたわわに実っています。季節によっては「夏みかん」も栽培されているそうです。

最近はイノシシによる被害が深刻なようです。駆除する人がいないことに加えて、イノシシは泳ぎが得意なため、琵琶湖を泳いで島に上陸するそうです。全国の離島でイノシシの被害は問題となっています。

沖島の主要産業は農業よりも漁業です。2020年の国勢調査を見ると、島で働く方の47%が漁業に従事しています。

自家用車やバイクが1台もない代わりに、1家に【船】を1隻を所有しているそうです。港には写真の通り、船がずらりと並びます。

織田信長の時代、沖島は湖上の水運と水軍の戦略的拠点となり、島民には琵琶湖での漁業権が与えられたそうです。江戸時代以降も、島民が琵琶湖の警備や湖上輸送などの任務を行う見返りに、琵琶湖での漁業が認められたことで、今日まで漁業を生業とする暮らしが続いてきました。

沖島の名物は「フナズシ」。春先に琵琶湖で獲れる「ニゴロブナ」から作られており、チーズに似た芳醇な香りと酸味が特徴です。今回は食べていませんが、以前に試食で頂いたことがあります。お酒のおつまみにはもってこいの一品です。

沖島へ渡る堀切港の近くにも、鮒寿しのお店がありました。

沖島の生活様式全てが重要な文化遺産ということで、日本遺産「琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産」にも登録されています。しかし、琵琶湖の水質悪化や外来種の増加により漁獲高は大幅に減少しているそうです。
人口減少と高齢化の状況
主要産業の衰退は、そのまま島の人口に反映されます。

漁業の他に採石業でも栄えた時代があり、1958年には800名以上が住んでいたそうです。高度経済成長期以降、コンクリートが多用されるようになると、その需要は激減。1970年に採石場は閉鎖されました。

その後の人口は右肩下がり。2020年時点では、264人が暮らしています。


例によって人口減少だけでなく高齢化も同時に進行しています。ただ、2020年の高齢化率(人口に占める65歳以上の人数)は58%なので、離島にしては高齢化率が低めです。

沖島幼稚園・小学校もあります。学校のホームページによると生徒の数は10名前後。沖島の子供だけでなく、近江八幡市内在住であれば通学出来るため、島外から通っている生徒もいるそうです。

離島では、小学校と中学校がひとつになっているため、高校から島外というパターンが多いですが、沖島には中学校がないので、小学校卒業と同時に島外へ通学することとなります。大学や専門学校まで通うのが当たり前になりつつある社会において、若い世代が島からいなくなるのは、仕方のないことなのかもしれません。

学校のそばで、この島で唯一と思われる自動車を発見しました。

地図を見ると、この先には「厳島神社」があるようですが、船の出港までは残り30分。
港の方へ戻ることにしました。沖島小学校から港までは約1km。沖島小学校は外観もレトロで素敵なので、沖島を訪れた際にはおすすめのスポットです。

港へ戻ってきました。ちなみにネットでは、沖島が「猫の島」と紹介されていたりもしますが、1時間島を歩いて、猫は1匹も見かけませんでした。
★参考:ここは本当に猫の島でした★

到着した船からは数名が下船。年間の乗船客数は、調べても出てきませんでしたが、朝から夜まで運航されているということは、思っているよりも利用者はいるのかもしれません。

しかし、この船を運営しているのは沖島の自治会。このまま島の人口減少と高齢化が進行すると、航路の維持も困難になるはず。自治会収入や島民の利用が減ることを考えると、航路維持のため、一定の観光客数が必要です。

船にも三輪車。荷台には「ホテーパン」と書かれたケースが設置されています。そしてやはり、サドルには缶が被せられています。

船内には沖島町離島振興推進協議会が発行している「もんて新聞」のバックナンバーが置かれていました。「もんて」とは、「戻ってくる」という意味がある沖島の方言。そして、この新聞の下部、小川さんの文章の中に「学生さんもお手伝いしてくれました」とありますが、それは私とその友人のことです(笑)

沖島がアイランダー2019に出展した時の様子も紹介されていました。アイランダー2019には、私も沖縄から足を運び、この時に沖島の「フナずし」を試食させていただいたのです。
堀切港からバスで近江八幡駅へ
そんなわけで、以前から気になっていた島・沖島に上陸することが出来てよかったです。1時間でもしっかり雰囲気を味わうことが出来ました。

堀切港からはバスで近江八幡駅に戻ります。バス停の時刻表を見ると次のバスは10時16分…ん? 1時間後?

9時に沖島を出る船に乗ってきました。沖島通船のホームページを見ると、堀切港では船の到着と9時43分発のバスが接続していることが分かります。田舎あるあるですが、ネットに出ている情報が古かったのです。私が見ていたのは船会社のページ。バス会社のページも、島へ渡る前、バス停の時刻表も確認していませんでした。
グーグルマップで堀切港周辺のバス停を検索するとこんな感じ。
県道26号線沿いの「円山」というバス停まで約5km歩くと、10時21分発のバスに乗ることが出来そうです。もしバスに間に合わなくても、近江八幡駅に近づくため、バス代の節約になります。

ということで、バス停を目指して歩くことにしました。

早朝から10km歩いて、沖島でも歩いて、また5km歩くという(笑)さらに、近江八幡駅からはローカル線を乗り継いで、東京まで移動します。

10時12分、「円山」に到着しました。10時21分のバスに乗る予定でここまで急いで歩きましたが、バス停には「年末年始ダイヤ」が貼られており、次のバスは10時36分。堀切港を出るバスが10時16分発だったので、結局この36分発は、堀切港から来るバスということです。

10時36分発のバスは時間通りに堀切港からやって来ました。堀切港からこのバスに乗る方がもちろん楽でしたが、バス代を350円ほど浮かせることが出来たので、棚から牡丹餅と言えるでしょうか。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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