溶岩の上を歩く!錆ヶ浜港近く 火山体験遊歩道の景色が凄かった|2018 三宅島旅行記3

三宅島旅行記

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今回は「2018年 三宅島旅行記」その3をお届けします

★前回の記事★

島で野宿

三宅島を歩いて1周し、大久保浜キャンプ場に戻ってくることが出来ました。

時刻は18時。ちょうど夕陽が沈もうとしています。

どうやら雲があるようで、途中で太陽が欠けてしまいました。

そしてこの日は、ここにテントを張って野宿。まともな電気も無いので、暗い中で星空を楽しむことしか出来ません

だらだらと寝たり起きたりを繰り返しながら朝を迎えました。東京行きの橘丸は13時半に三宅島を出港します。東海汽船のホームぺージを確認すると、この日も錆ヶ浜港を利用するようです。

ということで、歩いて錆ヶ浜港へ向かいます。

メガネ岩と火山体験遊歩道

約2時間ほどかけて歩いてやってきたのは、錆ヶ浜港の近くにあるメガネ岩

こちらは1643年の噴火で発生した溶岩流が、波に侵食されて出来た海食洞という地形です。

かつては穴が2つあり、「メガネ」の様相を呈していましたが、1959年の伊勢湾台風で崩壊し、現在は穴が1つだけの状態となっています。

他の伊豆諸島の島々と同様、三宅島にも「ふるさとの湯」という日帰り温泉が、錆ヶ浜港の近くにありますが、今回は別の場所へ向かいます。

やって来たのは「火山体験遊歩道」です。

溶岩の上に遊歩道が整備されており、なかなか見ごたえがあります。

これらの溶岩は1983年の噴火によって流れ出たもので、溶岩の下には、当時あった約340戸の民家が埋没しているそうです。

こちらは旧阿古小中学校。学校の屋根のすぐ下まで溶岩に飲み込まれてしまった、噴火当時のまま保存されています。

また、1980年代の教室の様子を見ることが出来るという点でも貴重かもしれません。

校舎はもともと3階建てですが、地上に見えているのはの3階部分だけ。もの凄い量の溶岩流だったことが分かりますが、当時この地区(阿古集落)に住んでいた約1300人は全員無事だったそうです。

温泉を中心とした観光や漁業で賑わっていた阿古集落に、溶岩が流れ込んだのは噴火から約2時間後。最終の避難バスが通過した約10分後のことでした。

約3か月経っても、その上を歩くと靴底のゴムが解けてしまうほど、溶岩は熱を持っていたそうです(こうした説明書きのある看板がいくつか設置されています)。

現在はその溶岩にも植物が育っていますが、雄山は活火山で、気象庁が常時観測を行っています。1940年以降は、およそ20年に1回のペースで噴火をしており、こうした景色を見ることが出来るのも、今のうちかもしれません。

さらば三宅島

火山体験遊歩道には約30分ほど滞在。錆ヶ浜港で東京行きの橘丸を待ちます。

東京からの橘丸は、早朝5時に三宅島へ到着し、八丈島で折り返した後、13時半過ぎ、再び三宅島にやって来ます。

港は錆ヶ浜港 ・伊ケ谷港・三池港の3か所があり、その日どの港を利用するかは、前日の夜に決まることが多いです。火山体験遊歩道と錆ヶ浜港は近いので、もし往復とも橘丸が錆ヶ浜港を利用する場合は、日帰りでも火山体験遊歩道と温泉を楽しむことが出来るはずです。

橘丸は定刻より少し遅れてやってきました。青海原に黄色く派手な船体が映えます。

およそ1日半の三宅島滞在はこれにて終了。

さらば三宅島。島民の方が数名、見送りに訪れていました。今回は約30kmを歩いて1周しましたが、島の方と話す機会がほとんどなかったのが、少し心残りです

緑の木々に覆われた三宅島と雄山。20年に1度噴火するとしたら、次の噴火はいつやって来るのでしょうか。

乗船してからは、お酒を飲んですぐ横になり、目が覚めると18時。橘丸はすでに東京湾に入っていました

川崎の重工業地帯が見えてくると、橘丸は間もなく竹芝桟橋に到着します。いい旅になりました。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

☀上陸した島☀

No.38 三宅島(東京都) 2018.4.21

★次の島★

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