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今回は、2018年12月「舳倉島」旅行記その5をお届けします。
★前回の記事★
輪島のフェリー乗り場へ
新宿駅→長野駅→アルペンルート→能登半島→輪島の順に巡ってきた旅も3日目、2018年12月2日となりました。
今回の旅は、ここからがメインです!
輪島の沖合に浮かぶ「舳倉(へぐら)島」に上陸します。
この旅の前の週、東京で行われていた離島振興イベント「アイランダー」で、舳倉島ブースにいた輪島市役所の方に、舳倉島へ行くことを伝えると、「な、何しに行くんですか!?」というリアクション(笑)
離島振興イベントのブースにいる役所の人が、「何もない」と言うくらい、マニアックな島のようです。
もちろん、船でしか行くことが出来ない島なので、まずは港へ向かいます。

途中で「朝市」が行われていたので、少し見物してみます。

たまたま通りかかった朝市ですが、その歴史は古く、勝浦(千葉)・宮川(岐阜県高山市)と並んで、日本三大朝市のひとつにも数えられるそうです。
この日も朝から、多くの観光客が訪れていました。

朝市はほぼ毎日行われており、360mの通りには、地元で採れた産品や民芸品などが並びます。
これを買って…

路上で焼いて、食べることも出来るのです!
今回は時間が無かったので、島での昼食用に、ふぐのおにぎりを買いました。
舳倉島に飲食店や商店はないので、昼食と水分は持参するのがおすすめです。

朝市のお店の方に、「観光ですか」と何度か声を掛けられたので、「観光というか、舳倉島へ行きます」と答えると、皆さん「はぁ…」というリアクション。
輪島の皆さんにも、舳倉島のことはあまり知られていないようです。
就航率25% 運よく出港した船に乗る

出港の15分ほど前に到着しました。
まずは、まずはこちらで乗船券を購入します。

石川県の資料によると、2016年度の就航率は61.6%。12月に限っては25.8%と、その数字がぐっと下がります。
実はこの前日も、強風の影響で欠航しており、12月の晴れた日に、舳倉島へ行くことが出来るのは、とてもラッキーなことです。
当日の運行状況は、船会社のホームページで、毎日7時30分に更新されています。
■ 舳倉島 フェリーの運航状況は こちら

この時乗船した「ニューへぐら」は、老朽化のため引退し、2019年の4月からは、「希海」という新船が就航しています。
舳倉島までの運賃は往復2300円、片道90分の船旅です。
時刻表だと9時出港ですが、何の案内もなく、8時50分くらいに出港しました。
船に乗っている人はまばらで、観光客と思われるのは我々だけ。
出港直後は穏やかな船旅でしたが、しばらくすると、アトラクションのように揺れ始めました。

結局、定刻より早く出港したものの、15分ほど遅れて、舳倉島に到着しました。

輪島からは50km。
周りに小さな島もなく、日本海に浮かぶ「絶海の孤島」と呼ぶのにふさわしい島です。
島には宿が2軒ありますが、今回は日帰りです。
船は1日1往復で、舳倉島の出港は14時。そのため、滞在時間は3時間程度となります。
レンタカーやレンタサイクルはありませんが、1周4kmもないので、のんびりペースでも、2時間あれば歩くことが出来るはずです。

しかし、一緒に来ていた知り合いが、すっかり船酔いでやられてしまったので、しばし港で休憩してからスタート。
こちらは港にあった、この島で唯一の自動販売機ですが、見事に全て売り切れとなっていました。
本当に困ったら、船にも自動販売機が付いているので、そちらを利用しましょう。
季節によって人口が変わる 漁業の島
気を取り直して、反時計回りに歩いて、島を1周します。

縄文時代から人のいた形跡がある一方で、1950年代まで、島に定住する人はいなかったそうです。
1957年、離島振興対策実施地域に指定されたことで、インフラの整備などが進み、1960年には定期船の運航が始まりました。

そうした舳倉島の発展に貢献したということで、石川県能登町出身の政治家・益谷秀次氏の銅像が置かれていました。
「のと鉄道」を開業させた人物でもあり、能登町には益谷記念館もあります。

家々はほとんどが木造。
港周辺には、「番屋(漁場の近くにある作業場・寝床)」のような外観の造りの家が並んでいます。

島の周囲は、対馬暖流の恩恵を受けた好漁場が広がり、海女さんによる、アワビやサザエの素潜り漁が、約350年前から行われています。
港には、「海女の皆さんへ」という注意書きもありました。

漁業は、島の基幹産業と言えるでしょう。
昔から、漁期の夏だけ島に住み、他の時期は輪島に住んでいるという方が多いそうで、夏と冬の人口には、大きな差があります。

そうした特殊な人口事情を象徴するのが、港の近くにある輪島市立鳳至小学校舳倉島分校です。
こちらは、漁が最盛期を迎える、7月から9月までの期間限定で開校し、舳倉島で漁をする人の子どもたちが通う学校となります。

元祖歩きスマホ、二宮金次郎像も置かれています。

窓から校舎内を覗くと、時計は止まっていますがきれいな状態です。

二宮金次郎さんの後ろ姿は、どこか寂しげです。
舳倉島に常駐する、診療所の方が更新するブログによると、舳倉島分校は200年以上の歴史があり、最盛期は100人以上の生徒がいたそうです。

こうしたアンテナを見ると、人が暮らしていると分かりますが、歩いていても、その気配が全くありません(笑)

これは、人の手で育てられているネギと思われます。

こちらの家々は、ドアや窓に木の板が張られています。
比較的綺麗なので、空き家ではなく、夏の時期だけ人が住んでいるのでしょう。
また、屋根の上に綱が置かれていますが、これは冬の強風で、瓦が飛ばされないための対策なのだそう。

こちらは、朽ち果てているので、恐らく空き家です。
2020年の国勢調査によると、舳倉島には66人32世帯が暮らしています。

島の駐在所にも、ドアや窓には板が張られています。
こちらも夏だけ人がいるのでしょう。
ということで、ここからさらに、島を歩いて探検します。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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