ブログをご覧いただきありがとうございます。
今回は【2020年→2021年 年末年始の旅】旅行記その6をお届けします。
★前回の記事★
苫小牧駅で北海道&東日本パスゲット
名古屋からは太平洋フェリーに乗船。40時間にわたる船旅の後、北海道・苫小牧に上陸しました。

ここからは数日かけて、冬の北海道を汽車で巡ります。利用するのは「北海道&東日本パス」。連続する7日間、JR北海道・JR東日本の普通列車が乗り放題で11,330円という、お得な切符です。

『普通列車乗り放題』と言えば「青春18きっぷ」が有名です。苫小牧駅にもポスターが貼られていました。青春18きっぷは、5日間または5回、日本全国で利用することが出来て12,050円。北海道や東北を旅する場合は「北海道&東日本パス」の方が安いのです。

列車の時間が近づいてきたので、駅前のミスタードーナツから、1両編成の列車が止まる駅のホームへ。青空の下、粉雪が舞っていました。
まずはこの列車で岩見沢駅へ。この日の目的地は、さらにその先の旭川です。

北海道内で多く利用されている車両・キハ40と記念撮影。国鉄時代から活躍しているディーゼル車で、北海道では「汽車」と呼ばれています。

LEDで行き先が表示される時代ですが、これも終着駅に着く度、手作業で表札の交換が行われています。2021年春からは新型車両が導入されるため、こうした光景が見られるのも今のうちです。
JR北海道が赤字の理由
古い車両が無くなるだけでなく、路線ごと無くなってしまう(廃線になる)可能性も十分あります。

こちらは駅に置かれていたJR北海道のパンフレット。路線(事業)に大きな「赤字」が生じていることを紹介するパンフレットが、一民間の会社から発行されるというのは、普通ではあり得ません。危機的状況であることが見て取れます。

私が乗った室蘭本線・岩見沢行きの列車も、お客さんがゼロのまま出発しました。もちろん人も荷物も運んでいない、空の状態で鉄道を運行しても、JR北海道に利益はありません。

こちらは1951年から1966年における、北海道内の陸上旅客輸送量と人口の推移を示したグラフ。1951年(人口は1950年)の数値を1とすると、自動車の利用が急激に伸びていることが分かります。こうなると、車での移動が当たり前の「車社会」が形成され、鉄道を利用する人が減ります。そして、鉄道は運行本数が減って不便になり、皆さんますます車を利用するようになり、鉄道を利用する人はさらに減って…という循環です。

こちらは1980年以降の北海道の人口。2000年までは横ばいでしたが、それ以降は減少傾向が続いています。

一方、こちらは北海道・札幌市の人口推移。2025年まで、緩やかな人口増加傾向がみられます。つまり北海道では、札幌への一極集中が進んでおり、地方での人口減少が著しいということです。北海道全土に路線網を持つJR北海道が、慢性的な赤字を抱えて問題となっている一方で、札幌市営地下鉄はコロナ前まで黒字経営を続けていました。

苫小牧は雪が少なめでしたが、北上するにつれて、少しずつ、積雪が増えてきました。人が少ない場所に鉄道があることに加えて、雪対策にも膨大なコストがかかります。

岩見沢出発から約1時間で、駅標が埋まるほどの積雪になりました。こうした駅の除雪などは、地元の善意で行われている場合も多いですが、さすがに線路や車両はそうもいきません。

冬の北国は雪が積もっているため、車であちこち行くのが難しくなります…というのは旅行者の感覚で、道民の皆さんは冬も車移動です。荷物の輸送もトラックで行われています。民間企業・JR北海道が、広い大地に張り巡らされた赤字の路線網を維持する意味は本来ありません。
北海道の鉄道の始まりは1880年に開通した官営幌内鉄道。三笠市にあった幌内炭鉱の石炭を、港へ搬出するための手段として鉄道が採用されました。最初に建設されたのが小樽港までの路線(現:函館本線)、その次に建設されたのが室蘭港までの路線、今回乗っている室蘭本線です。
幌内鉄道の主要駅・岩見沢に到着
汽車の車窓に広がる銀世界を眺めながら、冬の北海道を巡る旅が出来るのも今のうちです。

終点「岩見沢」に到着したのは15時前。岩見沢駅は幌内鉄道の主要駅として、1882年に開業した古い駅です。

汽車の顔は雪の厚化粧に覆われていました。

ホームには馬の像が置かれていました。2006年まで、岩見沢競馬場でばんえい競馬が行われており、その名残を今に伝えています。

次の汽車まで40分ほど時間があります。微妙な待ち時間ですが、暖房の効いた待合室は無く、じっと待っているのは寒いので、駅をぶらぶらしてみることに。写真には半袖の方が映っていますが、かなり寒いです(笑)

駅には合格祈願の絵馬が無料で置かれていました。ここで記入した絵馬は、後日駅員さんが岩見沢神社に奉納してくれるようです。

こちらが駅前の様子。雪が降っています。

除雪はされていますが、積雪は結構あります。今回私の靴は、普段沖縄で履いているスニーカー。雪対策は一切していないので、駅周辺を歩くのは断念しました。

まだ夕方の3時ですが、もう太陽が沈もうとしています。ホームと線路上では、人の手によって雪かきが行われていました。

駅にあった除雪作業員募集のポスターを見ると16時間労働、日給16,000円!雪かきは北国の冬ならではの、ハードなお仕事です。
北海道の鉄道は旅客輸送が目的ではなかった
岩見沢からは函館本線で旭川へ。

函館本線は現在、函館から岩見沢を経由し旭川へ至る路線です。幌内から小樽(手宮)までの区間が北海道で最初に開業した一方、小樽-函館間の建設は後回しにされ、なかなか進まなかったそうです。

全線開通を後押ししたのは日露戦争でした。日清戦争後、函館は軍事的価値に加えて、北海道と本土を結ぶルートとして重要視され、要塞化が進みました。
日露戦争が近づくと、兵士や軍備を運ぶため、小樽-函館間の建設が急ピッチで行われ、日露戦争開戦と同じ年、1904年に函館本線は全線開通。いわば、小樽-函館間は国防上建設された区間なのです。

そして相変わらず車内はガラガラ。しかし、こうして北海道の鉄道史を辿ると、そもそも北海道の鉄道は旅客の輸送が目的ではなく、石炭の輸送や国防のために建設されたことが分かります。

鉱山が閉鎖され、戦争もしていない現代において、JR北海道の利用者数が少ないことは当然とも言えるでしょう。

漢字で書くと「美しく唄う」と書いて『美唄(びばい)』ですが、歌や音楽は全く関係なく、アイヌ語で「カラス貝の多く棲む沼」を意味する「ピパ・オ・イ」が地名の由来となっています。

岩見沢から1時間半ほどで旭川に到着しました。そしていつの間に、外は真っ暗になっています。

時刻はまだ17時半ですが、この日の移動はここまで。旭川駅近くのビジネスホテルに泊まります。

綺麗にライトアップされた道ですが、歩いている人はほとんどいません。北海道の雪はさらさらのパウダースノーなので、服に付いた雪は払えば落ちます。

そのため、傘を差さずに歩いていましたが、服や荷物にどんどん雪が積もるほど、強めの雪が降っていました。

こちらがこの日の宿。翌日もこちらに泊まります。狭い部屋ですが、寝て、充電出来て、シャワーを浴びることが出来れば、それでいいのです。むしろ、1人旅でどんなにいい場所に泊まっても、普段から1人暮らしをしていると、家にいるのと大きくは変わりません。

夕食はフェリーいしかりの船内で買った「台湾まぜそば」でした。これにて旅の3日目は終了です。
.
今回はここまで。本日もありがとうございました。
.
★続きはこちら★
コメント