廃止間近の宗谷本線 旭川から稚内 開業からの歴史|2020年→2021年 年末年始旅行記7

2020年→2021年 年末年始の旅

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今回は【2020年→2021年 年末年始の旅】旅行記その7をお届けします。

★前回の記事★

旭川発稚内行き 普通列車に乗車

2021年12月29日。旅の4日目は早朝の北海道・旭川からスタートです。

夜に降っていた雪は止んでいますが、沿道には身長以上の高さにもなる雪が積もっています。しかし、さすがは雪国。歩道は全く雪がないので、普通のスニーカーで歩いている私でも、滑って転ぶ心配はありません。

旭川駅には【がんばろう!旭川】という、ご時世を象徴するような横断幕が掲げられています。

この日向かうのは、日本最北端の町「稚内」です。

旭川から稚内まではの距離は約260km。所要時間は約6時間なので、午前中はずっと宗谷本線の車内で過ごすことになります。

単独維持が困難な線区

こちらはJR北海道から出ている「駅別乗客人員」。これを見ると、宗谷本線だけカラフルになっていることが分かります。これは1日の乗客人員が10人以下の駅がいくつもあるということです。

以前から宗谷本線は「単独では維持困難な線区」と言われていました。「宗谷本線」と検索しようとすると、ヤフーでもグーグルでも、検索候補の一番上に【宗谷本線 廃止】と出てきます。

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そして、2020年12月、JR北海道は2021年春のダイヤ改正で、18駅を廃止することを発表。うち12駅が宗谷本線の駅でした。宗谷本線のアクションプランを確認すると、すぐに全線廃止になることはなさそうですが、今回の乗車はきっと貴重な経験になるはずです。

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こちらが移動の途中で撮った車内の写真。朝一の列車でありながら、終点の稚内まで直通する1日1本の普通列車ということで、車内は混雑しており、立っている人もいました。

途中の名寄までは2両編成での運転。しかし、乗っているのは地元の人ではなく、皆さん稚内まで乗車する旅の人。今回私は稚内駅の2つ手前「抜海駅」までの乗車です。

ぴっぷは北海道らしい、アイヌ語由来の独特な地名。「沼(または石)の多いところ」という意味を持つ【ピプ(ピピ)】という単語から「比布」となったそうです。北海道を代表するお米「ゆめぴりか」発祥の地でもあります。

旭川駅を起点として、名寄・稚内方面に向けて段階的に開業した宗谷本線。その中で最初に開業したのが1898年、比布町にある蘭留駅までの区間でした。

しばらく山を登って到着したのは「塩狩駅(和寒町)」。かつての鉄道事故を描いた小説「塩狩峠」は、発行部数が370万部以を超えています。1日の平均乗降客数はほぼゼロの駅ですが、「塩狩峠記念館」もあり、和寒町の観光資源として存続が決まった駅です。

蘭留駅から和寒駅までの距離は13km程度ですが、開業には1年かかっており、塩狩峠を越える線路の敷設は大変だったことが伺えます。

ようやく外が明るくなっていきました。厳しい冬の景色を感じさせますが、車内は暖かく快適です。

朝食は太平洋フェリーの寄港地・仙台のイオンでゲットした菓子パン。賞味期限切れですが、全く問題ありません。腹が膨れればそれでいいのです。

和寒駅から士別駅の区間が開業したのは1900年。士別市では観光やまちおこしのために、サフォークという顔が黒い種類の羊が千頭以上飼われているそうです。「羊のテーマファーム」なる場所もあります。

こちらは瑞穂駅。雪深い中にポツンと小屋と、駐輪場に置かれた1台の自転車。何だか映画のワンシーンを見ているような気分になってきます。

2021年春 12駅が廃止される

旭川を出発してから約2時間、もち米の産地として有名な名寄に到着しました。

久しぶりに列車の外へ出ましたが、車内の暖房で身体も温まっているせいか、凍えるような寒さはありません。

名寄市には大学もあり、宗谷本線の沿線では旭川市、稚内市に次ぐ人口規模の町となっています。縄文時代からヒトの暮らしが営まれ、アイヌも居住していた地域ですが、現代の地図を見ると、綺麗な「碁盤の目」となっており、開拓によって作られた街であることが分かります。

1900年に山形県からの開拓団が集団移住してから、名寄の開拓は本格化。1903年に士別駅から名寄駅の区間が開業しました。2020年の人口は約2万7千人ですが、1980年からずっと減少傾向が続いています。

宗谷本線 名寄で切り離した車両がすぐに雪で見えなくなる動画

ここから先は1両編成での運行となり、列車はさらなる秘境区間を走ります。切り離された車両は瞬く間に見えなくなってしまいました。

名寄駅から恩根内駅までは、1911年に開業した区間です。

こちらは北海道らしく、貨車を生かした駅舎の智恵文駅(名寄市)。

アイヌ語で「小さい野にある川」という意味が由来の紋穂内(もんぽない)駅。1911年の開業当時からある駅ですが、廃止が決まっています。

豊清水駅に到着。ここでは列車の交換でしばらく停車します。また、この駅のひとつ手前が恩根内駅ということで、ここから音威子府駅までは1912年に開業した区間となります。

この駅も秘境駅。近くに道路はありますが、駅から最も近い民家までは900mも離れているため、利用者はほとんどおらず廃止が決まっています

【汽笛、そしてホワイトアウト】宗谷本線・特急宗谷(はまなす編成)豊清水駅通過

皆さんカメラを構えて待つ中、雪を巻き上げながらやって来たのは、稚内からの特急列車。列車通過後は、巻き上げられた雪によって、一時的にホワイトアウトが発生し、列車の姿はあっという間に見えなくなってしまいました。

大雪の中を進む宗谷本線 豊清水駅→天塩川温泉 前方展望・車内放送 ~2020年12月29日~

豊清水駅から天塩川温泉まで、深い雪の中を走る宗谷本線の全面展望を動画で撮影してみました。こういった何気ない景色の様子も、長い目でみると貴重なものになるはずです。

廃止になる駅がある一方で、JRではなく、沿線自治体の管理に移行することよって存続する駅もあります。こちらの筬島駅(音威子府村)も「誰が利用するのか」と思いますが、村が管理するという条件で存続が決まった駅です。

★参考:音威子府村 みんなの駅プロジェクト★

音威子府村「みんなの駅」プロジェクト|音威子府村
ようこそ北海道で一番小さな村、音威子府村の公式ホームページへ。観光情報、村政情報、産業情報等を掲載しています。

筬島駅から次の佐久駅までの距離は19km。列車は21分間走りっぱなしとなりますが、廃止になる駅が増えると、こういった区間も今後は増えてくることでしょう。

宗谷本線が建設された理由

時刻は9時過ぎ。この辺りでようやく旭川と稚内の中間地点です。

寒さ対策のため、宗谷本線の窓は二重になっています。気が付くと、窓に氷の結晶が張り付いていました。外はそれほど寒いということです。

車窓から見える景色はずっとこんな感じ。宗谷本線沿線の音威子府村・美深町・中川町の3町を合わせた面積は、東京都の70%、大阪府の80%にもなる一方で、面積のほとんどが森林で、8000人ほどしか住んでいないそうです。

そうした森林地帯を流れるのが天塩川。信濃川・利根川・石狩川に次ぐ、日本で4番目に長い川です。士別市にある天塩岳を源流に、名寄市から宗谷本線に合流します。

地図を見ると、名寄から幌延までは、天塩川・宗谷本線・国道40号線が並行している様子が分かります。

1922年開業の天塩中川駅に到着。2014年に行われた改修工事により、昔の木造駅舎の姿が復元され、この写真だけでもレトロな雰囲気が感じられます。

しばらくすると雪は収まり、太陽が見えてきました。そもそもなぜこうした地域に鉄道が建設されたのでしょうか。

歌内駅

そもそもなぜこうした地域に鉄道が建設されたのでしょうか。北海道の本格的な開拓は1869年、明治政府が「開拓使」という役所を設置したところから始まります。北海道開発局によると、当時の政府は、欧米の大国に(貿易などで)対抗するため、「富国強兵」を政策の柱とする中で、豊富な天然資源が眠る北海道開拓は国家の最重要課題としていたそうです。

安牛駅

1882年に開拓使は廃止となりましたが、1886年に北海道庁が設置されると移民が急増し、北海道開拓はさらに進みました。また、政府も北海道の開拓を急いでおり、そこで注目されたのが鉄道です。

上幌延駅

前回の記事でご紹介した幌内鉄道(1980年開業)の沿線で、移民の増加や沿線住民の定着等がみられたことから、まず鉄道を建設することで開拓が効率的に進むと考えられました。そして、1896年【北海道鉄道敷設法】によって、旭川から宗谷地方を結ぶ鉄道(現在の宗谷本線)の建設が決まり、1928年に宗谷本線は全線開通となりました。

■参考:かみふらのの郷土をさぐる会

北海道の鉄道が果たす役割とは

幌延駅に到着。ここでは15分ほどの停車時間があったので、改札の外へ出てみることにしました。

幌延町には北緯45度線が通っており、フランスの中南部からイタリア北部、アメリカのミシガン州やオレゴン州と同じ緯度、赤道と北極のちょうど間に位置しています。

駅から歩いてすぐの場所にスーパーがありました。SAIJO Qマートは、道北を中心に何軒か店舗があるようです。

軽食にカレーパンをゲットし、再び列車に乗り込みます。

幌延駅周辺も、地図を見ると綺麗な碁盤の目となっています。

幌延町の人口はこんな感じ。人口は右肩下がりですが、農業や畜産などの産業が今も根付いていることを考えると、鉄道は北海道の開拓に一役買ったと言えるでしょう。

また、日露戦争後は、宗谷本線が日本領となった南樺太への連絡線として重要な役割を果たしました。

かつての道北には、名寄本線や深名線など、いくつか鉄道路線がありましたが、現在残っているのは宗谷本線のみ。

戦後、石炭をはじめとする資源の枯渇や林業の衰退で、開拓地域の人口は減少。

同時に車社会が発展し、鉄道の利用者が激減しました。

こうして考えると、果たして現代の北海道において、鉄道が果たしている役割は何でしょうか。鉄道が建設された目的はすでに果たされており、役割を終えるのは自然なことです。

2016年度 北海道 観光客動態・満足度調査より

道外観光客が利用する移動手段を見ると、鉄道の利用者が意外と多いことが分かります。今回の宗谷本線も、地元の人の乗降がほとんどない一方、旭川から稚内まで乗り通す旅行者で混雑していました。

下沼駅

観光では役に立っているのかもしれませんが、当初の事業目的(開拓や軍事)からは外れているため、赤字となるのは当たり前のことです。

旭川から宗谷本線に揺られること約6時間。運賃表が凄いことになっています。1つの路線の普通列車で、乗り換えなしで、始発から終着まで5000円以上かかるというは、あまり聞いたことがありません。

ということで、稚内の2つ手前の駅・抜海駅に到着しました。

1924年開業の日本最北に位置する木造駅舎かつ日本は以北の無人駅。タロ・ジロ・高倉健が出演する「南極物語」にも登場するそうで、ファンが多く、稚内市長によるクラウドファンディングによって存続が決まった駅です。

駅に置かれているノートに「沖縄から来た」ことを記しておきました。今回私が抜海駅で降りた目的は「アザラシ」。冬の時期、抜海漁港にゴマフアザラシの大群が越冬のため訪れているという噂をネットで見つけたので、本当かどうか確認したいと思います。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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