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今回は「国道58号線を歩く旅」前編 をお届けします。
那覇・明治橋から名護まで歩く
2021年5月下旬のある日、時刻は0時前。那覇市明治橋にある、国道58号線の終点を示す地点にやって来ました。
国道58号線は、鹿児島県鹿児島市から種子島と奄美大島を経由し那覇市に至る、海上区間を含むと日本で最も長い国道です。海上区間はマルエーフェリーとマリックスラインが、国道としての役割を果たしています。
■ 参考:マルエーフェリーの歴史
国道58号線の沖縄本島区間は約120km。米軍統治下の時代にHighway No.1として整備され、本土復帰と同時に国道へ昇格しました。今も那覇と北部を結ぶ大動脈です。
今回は明治橋から国道58号線を歩いて北上し、沖縄本島北部・本部港を目指します。GoogleMapの情報によると、16時には本部港に到着するようです。ただ、これまで80kmも歩いたことがなく、フルマラソンも走ったことはありません。
ということで、歩き始めました。こちらは那覇の中心地・久茂地交差点。平日ですが、0時過ぎなので、さすがに人も車もほとんどいません。
沖縄で一番の歓楽街と言われる「松山」も閑散としています。
国道58号線の沖縄本島最北端部・奥から119kmという標識がありました。沖縄本島もなかなか大きいのです。
那覇の中心地を抜けました。このあたりの路地裏は、あまり沖縄を感じない景色が広がります。
夜の沖縄本島を歩いて観光
歩き始めてもうすぐ1時間が経過。
1時間5kmペース。このまま歩けば、当初の予定通り、16時に本部港へ到着します。
沖縄を代表する難読地名・勢理客(じっちゃく)がありました。
キンザー前クリニックの「キンザー」は、浦添市にある米軍基地「キャンプ・キンザー」が由来です。
この辺りは渋滞対策のため、国道58号線の片側4車線化工事が行われており、米軍から返還された土地が活用されています。
ライオンの絵が描かれている、こちらは「ホームセンター さくもと」。沖縄本島に4店舗あるローカルホームセンターです。
喉が渇いたらコンビニはもちろん、自動販売機があちこちにあります。ルートビアをはじめ、沖縄県外では見られない商品が並ぶので、お土産にもおすすめです。
24時間営業のコインランドリー。正確なデータは無いようですが、沖縄にはコインランドリーが多いです。家族が多かったり、洗濯物が乾きにくかったり(=湿気が多い)という環境が影響していると言われています。
国道沿いに24時間営業のExchange(両替所)があるのも、アメリカの方が多く住む沖縄ならではのことでしょう。
エンダーことA&Wの牧港店。1969年に開業した沖縄2号店です。24時間営業で、名物ドリンク「ルートビア」は、一度注文したらおかわり自由なので、沖縄の若者はここでオールをすることが多いそうです。
この辺りは民家も多く、日中は都会の景色が広がりますが、そうした中にバナナがあると南国を感じます。
国道58号線を歩く旅
那覇からノンストップで歩いて2時間が経過。浦添市から宜野湾市に入りました。
1時間5kmペースを維持しながら残り68km。16時前には本部港に到着する予定です。
人も車もほとんどいません。静かな夜の沖縄を歩きます。
多摩「動物公園」は東京にありますが、「たま水族館」が沖縄にあることは、ほとんど知られていないことでしょう。こちらは海水魚専門店のようです。
「Marine Corps Air Station(海兵隊飛行場)」を通過。ここが普天間基地の入口です。
ふと顔を見上げると、建物の壁面にスパイダーマンがいました。写真では伝わりませんが、そこそこの大きさがあります。どうやらこちらは雑貨屋さんのようです。
北谷町に入りました。
歩道橋の上からは米軍基地の中が見えます。フェンスの向こうには軍事施設だけでなく、学校やスーパー、飲食店、公園などもありますが、基地内の施設を利用することが出来るのは米軍関係者だけです。
時刻は3時を過ぎ、残り61km。残り12時間33分、本部港到着予定は変わらず16時前の予定です。
ここで一旦休憩。沖縄のローソンですが、ガラナややきそば弁当など、北海道限定商品がありました。ちなみに沖縄のローソンでも、レジにおにぎりを持っていくと「温めますか?」と聞かれます。
グーグルマップの所要時間に休憩時間は含まれていません。休んだ分だけ到着予定が遅れるため、すぐに歩くことを再開します。
「日焼けサロン」のネオン。日差しが強く、外にいるとあっという間に日焼けしてしまう沖縄でも、日焼けサロンのニーズはあるのでしょうか。私も夜が明けたら、熱い日差しの中を歩くことになります。夜の間に、出来るだけ距離を稼いでおきたいところです。
「北 大地」は、北海道料理のお店であると思われます。文字のフォントだけでなく、鮭を咥えたヒグマのイラストも描かれた荒々しい看板です。
一方こちらは異国を感じさせます。
暗くてはっきりと写ってはいませんが、こちらは「奥まで103km」を表した標識の写真。ここまで1時間おきに、現在地から本部港までの距離と所要時間を確認していましたが、4時台はそれをすっかり忘れてしまっていました。その理由は睡魔です。
過酷!睡魔との闘い
こうしたベンチを見ると、座りたくてたまらない気持ちになります。 他に歩いている人もいないので、「あぁー」や「おぉー」などと叫びながら歩いていました。
しかし、この場所を通過して目が覚めました。この写真、左が国道58号線(日本)、右のフェンス内は米軍基地(アメリカ)です。ここで何と、日本のパトカーと、基地内を巡回するアメリカのパトカーに挟まれたのです(笑)
職質などはありませんでしたが、どちらのパトカーも、しばらくゆっくりと私に並走してきたので、緊張感がありました。
時刻は間もなく5時。嘉手納町に入り、残り56km。5時間で22km歩いたことになりますが、最初の1時間5kmペースからは大きくスピードダウンしています。
空が明るくなってきました。この日もいい天気になりそうです。眩しい太陽の下を歩くことになります。つまり、ここからが本当の勝負。眠気は消えず、足も痛くなってきました。
沖縄で何かを宣伝するなら横断幕!同窓会の案内なども、横断幕で行われています。こちらで宣伝されているのは【野國總管商品券】。野國總管(のぐにそうかん)は人の名前で、1605年に中国から琉球王国へ甘藷(いも)を伝えた人物として知られています。
平安名と書いて「へんな」と読みます。へんなビル、変なビルです。
比謝川を渡ると、嘉手納町から読谷村に入ります。
名護まで残り42km。心が折れそうになる標識です。まだ、ここまで歩いた以上の距離が残っています。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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