よこすか海軍カレーとは何か?カレーと海軍&海軍と横須賀の歴史を調べてみた|2023 旅行記3

神奈川県

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今回は「2023年 開国の歴史を辿る旅」その3をお届けします。

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よこすか海軍カレーとは何か

2023年7月16日、明治時代の「開国」をテーマに、神奈川県横須賀市を日帰りで観光しています。

久里浜駅から横須賀駅にやって来ました。横須賀の名物といえば「よこすか海軍カレー」。京急の横須賀中央駅・汐入駅周辺には、よこすか海軍カレーを食べられるお店が点在しています。

横須賀市が「カレーの街宣言」を行ったのは1999年のこと。同年には「カレーの街よこすか推進委員会」が発足し、横須賀市役所・横須賀商工会議所・海上自衛隊の三者が連携して、「カレーによる街おこし」が本格的にスタートしました。

今回やって来たのは「横須賀ビール」というお店。

海軍割烹術参考書(1908年)に記載のある「カレイライス」の作り方をもとに、各店舗の特徴を生かした味の海軍カレーが提供されています。栄養バランスを考慮し、サラダと牛乳を必ず添えることも、よこすか海軍カレーを提供する際のルールとなっているそうです。

日本海軍とカレーの関係

海軍カレーの「海軍」は、明治初期に設置された旧日本海軍のこと。

発足当初の日本海軍は、慢性的な栄養不足に悩まされおり、兵食改革が喫緊の課題となっていたそうです。そんな中で、カレーが注目された理由は以下の通り。

  • 栄養豊富が豊富であることに加えて、スパイス(生薬)による健康効果も期待された
  • 大量に調理出来て、味も美味しい
  • イギリス海軍でもカレーが採用されていた

日本海軍が調理法を紹介したことで、カレーは日本で広く普及して食べられるようになりました。

■ 参考:1

■ 参考:明治政府が海軍をイギリスから学んでいた理由

横須賀と海軍の歴史

江戸時代後期、諸外国からの脅威に備えて、造船所や軍艦も作られるようになります。

横須賀造船所の建設

日本に近代的な造船所を建設する計画を立てた人物が小栗上野介忠順技術協力をした国はフランスです。

当時、国内の製糸業を支えていた「カイコ」が伝染病にかかり、産業が壊滅状態となっていたのフランス。生糸の輸入と伝染病に強いカイコを求めて、駐日フランス公使ロッシュが、積極的に幕府への接近を図っていました。

■ 参考:2

横須賀にいた潜水艦

話し合いの結果、造船所の設置場所として選ばれた地が横須賀でした。東京湾の入口に位置することに加えて、水深が深いことも、造船所の建設に向いていたとされています。また、造船所建設の技術的な役割を担ったフランス人・ヴェルニーも、フランス・トゥーロン港に似た横須賀港を気に入ったそうです。

■ 参考:3

これ以降、小さな田舎の村だった横須賀に、フランスから招かれた造船や製鉄の技術者、職人、医師などが暮らすこととなり、日本最大の軍港都市としての発展が始まりました。当初、フランスはこの造船施設を、兵器工場を意味するフランス語で「Arsenal(アルスナル)」と呼んだそうですが、幕府はこれを「製鉄所」と訳したそうです。

英語表記の看板が多い

1865年11月15日、横須賀製鉄所の起工式が行われました。この製鉄所は後に明治政府に接収され、工部省の管轄となります。その後、第1号ドックの完成を機に、1871年4月には名称が「横須賀造船所」へと改められ、翌1872年には海軍省の管轄へと移管されました。横須賀造船所で建設された日本初の石造りドライドック(艦船の建造や修理を行う施設)は、140年近くが経過した現在も、米海軍横須賀基地内で現役の施設として稼働しているそうです。

■ 参考:4

横須賀鎮守府の設置

1876年に横浜に設置された東海鎮守府が、横須賀へ移転したのは1884年のこと。横須賀造船所は横須賀鎮守府の附属工場となります。

駐車場に書かれた「US GOVERNMENT」

鎮守府とは、日本海軍の拠点として艦隊の後方を統括した行政機関のひとつです。当時の海軍は、日本沿岸の海を4つの海軍区に区分し、横須賀・呉・佐世保・舞鶴に鎮守府を設置。各海軍区の防備、艦艇の建造・修理、兵器の製造、海軍病院、軍港水道等の施設の運営・監督などを行い、鎮守府司令長官は天皇に直属して部下の艦船部隊を統率しました。

■ 参考:5

■ 参考:6

横須賀市の市制施行は1907年。これは県内では横浜市に次いで早く、横須賀が軍港都市として早くから発展していたことが伺えます。1889年6月に、東海道線の大船駅から枝分かれする形で開通した横須賀線も、横須賀造船所への接続が主な使命でした。

■ 参考:7

■ 参考:8

米軍の横須賀基地

1945年の終戦により、一帯は米軍に接収され、アメリカ海軍の横須賀基地となりました。

UNITED STATE NAVY

現在も日米安全保障条約に基づく米軍関係施設は3施設(4か所)、面積約336万㎡(水域を除く)、市域(100.81k㎡)の約3.3%が米軍に提供されています。さらに、自衛隊関係施設(宿泊施設を除く)は37施設(37か所)、面積約285万㎡が所在し、これを米軍関係施設と合わせると、約621万平方メートル、市域の約6.2%を占めているそうです。

■ 参考:9

よこすか海軍カレーは旧日本軍由来のご当地グルメですが、現在は米軍が駐留していることに由来する、アメリカンなハンバーガーやチェリーチーズケーキも名物となっています。

■ 参考:米軍基地内にあるレストランへ

三笠が横須賀にある理由

JR横須賀駅から30分ほど歩いて、三笠公園にやって来ました。「三笠」という名前は、この公園に保存されている記念艦「三笠」が由来です。

こちらが100年以上前、日本海軍の戦艦として活躍した三笠。現在は海に浮かんでおらず、陸上で固定されています。

ただ、三笠は日本がイギリスのヴィッカース造船所に発注して建造された船。現役当時の船籍港は舞鶴(京都府)で、「三笠」という船名も奈良県にある山の名前が由来とされています。横須賀とはあまり関係がなさそうです。

三笠がどういった戦艦なのかを知るために、船内を見学してみます。入場料は大人1人600円。船内の様子とその歴史については次回ご紹介します。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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