小笠原諸島に育休移住!過ごし方をご紹介~小笠原コーヒー・歴史観光・お見送り|2025 旅行記2

島旅

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今回は「2025年 小笠原諸島に育休移住してみた」その2をお届けします。

★前回の記事は こちら

小笠原諸島に育休移住~過ごし方をご紹介~

2025年4月16日、小笠原諸島に育休移住して3日目のお昼は、父島の南部にあるカフェ「グレース・島のお茶やさん」にやって来ました。

希少な国産 小笠原コーヒーを飲む

このお店の目玉商品は小笠原コーヒー。小笠原は、日本国内でも数少ないコーヒーの商業栽培が行われている地域のひとつです。なお、生産量は少ないため、島外では滅多にお目にかかれません。

■参考:コーヒー栽培に必要な地理学的条件

カフェの庭にもコーヒーの木があり、ちょうど真っ白な花が咲いている様子を見ることができました。小笠原には1878年にコーヒーの苗木が移植され、これが日本におけるコーヒー栽培の始まりとされています。

■参考:沖縄のコーヒー農園を見学

果実から取り出された種(=脱穀前のコーヒー豆)

太平洋戦争とその後の米軍統治により、小笠原諸島のコーヒー栽培は一時中断しました。本土復帰後に野生化したコーヒーの木が発見され、現在では島のカフェなどで提供される特産品のひとつとなっています。

スイーツ(この日はパパイヤアイスクリーム)とセットで1,300円でした。ちなみに、小笠原のコーヒーに限らず、国産コーヒーは苦みが穏やかで、紅茶のように軽やかな口当たりが印象的です。

カフェは開放的なテラス席。世界自然遺産の豊かな自然に囲まれた空間で味わう一杯は、ひときわ格別に感じられました。

■参考:徳之島で国産コーヒーを飲む

小笠原神社を観光~小笠原諸島の歴史を知る~

時刻は14時。まだ暗くなるまで時間があるので、帰りはバスではなく、宿まで約8kmを歩くことにしました。

その途中にある扇浦で少し寄り道。この辺りには、小笠原の歴史を知ることが出来る観光スポットが点在しています。

まずは「小花作助之碑」。案内板によると、小花作助と小笠原の関係は以下の通り。

  • 1829年に信州木曽で生まれる
  • 1861年に咸臨丸で来島し、小笠原島役所の支配元締として1863年まで島に残る
  • 1875年に明治丸で小笠原に来島し調査(→翌年に小笠原諸島が日本領となる)
  • 1876年に太平丸で小笠原に来島し、島の再開拓に着手
  • 小笠原島内務省出張所初代所長として小笠原開発に大きく貢献した

こちらは小笠原神社の鳥居。小笠原諸島にある3つの神社のうちのひとつで、小笠原諸島の発見者と伝えられている小笠原貞頼が祀られています。

■参考:小笠原貞頼と小笠原諸島の関係

参道には「江戸・東京の農業 小笠原のバナナ」を紹介する案内板がありました。書かれている内容は以下の通り。

  • ハワイから最初に移住した欧米系の人達により、父島にバナナが持ち込まれた
  • 1906年からバナナ栽培は急激に増加
  • まだ日本に台湾バナナが輸入されていない時代、本土での小笠原バナナは独壇場だった
  • 小笠原のバナナは10〜13センチと小型で皮が薄く黄熟し、風味がよいため人気があった
  • 1912年頃からバナナの病気が大発生し、1915年には全島で壊滅状態となる
  • 大正と昭和の天皇陛下ご即位に伴う大嘗祭に、小笠原のバナナが献上された

こちらは「小笠原開拓碑」。案内板によると、1877年に東京で制作され、船で小笠原に運ばれ建立されたとのこと。写真では分かりにくいですが、石碑には以下の内容が刻まれており、東京都の指定有形文化財(古文書)にも指定されているそうです。

  • 小笠原開拓を推進する明治政府の政策
  • 1593年の小笠原貞頼による小笠原諸島の発見
  • 1675年の江戸幕府による調査団のこと
  • 貞頼の子孫・貞任が渡海を計画したが果たせなかったこと

■参考:小笠原航路の歴史

そのそばにあるのが「小笠原新治碑(にいばりのひ)」。小笠原諸島が日本の領土であることを示すために建てられた石碑で、こちらもまた東京都の指定有形文化財(古文書)にも指定されています。案内板によると、この碑が建てられた背景は以下の通り。

  • 小笠原諸島は発見されていたものの、その後手つかずになっていた
  • 江戸幕府は1862年に総勢約90名を小笠原に派遣し開拓に当たらせた
  • 小笠原新治碑はこのときに、咸臨丸に載せられて品川港から運ばれ建立された

また、石碑には次のような内容が書かれているそうですが、だいぶ薄くなっており、実物を見ても素人が読み解くのは困難だと思います。

1593年に小笠原貞頼が発見し、1728年にはその子孫である貞任が開拓のために渡海を計画したが果たせなかった。この度幕府命により、水野忠徳、服部帰一常純らが渡島するに及び、この碑文を記す

こちらは「にほへの碑」。江戸時代の石碑ですが、はっきりと「にほへ」と読むことが出来ます。案内板に書かれている内容は以下の通り。

  • 1862年、幕府の軍艦・朝陽丸で八丈島から移民させた開拓農民30名のうち8名が子どもだった
  • 幕府役人の原又吉は、子どもたちに読み書き手習いを教え
  • この碑は、使い終えた筆を供養するための筆塚として建てられた
  • ところが1863年、幕府は小笠原島開拓を中断し、役人や開拓農民も皆引き揚げることになった
  • 再び小笠原の開拓が始まると、倒れていた「にほへ碑」を村民が建てなおしたという記録がある
  • 江戸時代末期、短い間だったが、寺子屋式の教育が小笠原で行われたことを今に伝える碑

こちらは戦時中に造られた小型の防御施設「トーチカ」。主にコンクリートで築かれ、兵士が内部に入り、外からの攻撃を避けながら銃撃できる構造になっています。もちろん、戦時中に築かれたものです。

「出入口」と書かれた看板が設置されており、現在も中に入ることが出来るようになっています。

小笠原神社に到着。普段は無人の小さな神社ですが、毎年7月26日の例大祭では、神輿巡業などが盛大に行われます。

そんな神社の傍らにあるのが「無人島発見之碑」。石碑には小笠原貞頼について、以下の内容が書かれています(全文書き起こし)。

小笠原貞頼は甲斐国小笠原(現櫛形町)に住した初代長清公から十七代の深志城主長時の孫に当たり、京都を経て三河国幡豆で成長し、信長・秀吉・家康の三代に仕え戦功を立てた。

説によれば

文禄元年(一五九二)朝鮮の役に貞頼軍検使たり。帰陣の際肥前名護屋にて家康の命に「貞頼小田原の陣より戦功あるも未だ旧地に帰らず家来も禄に不足せり。然るべき島国あらば手柄次第申し立つべし」と。かくて貞頼許可を得家康より官券を受け南海に出、文禄二年(一五九三)七月二十六日八丈の南に三個の島を発見、上陸巡検せるに土地広く人家無し、木標を二か所に樹て島毎に名を付し、帰りて地図・物産を献上す。家康大いに功を賞し総称を「小笠原島」と賜い永くこれを領せしめた。…などと伝えられている。

石碑に埋め込まれている地図①

石碑の文章は、大きく分けて2つのパートで構成されています。

  1. 貞頼のプロフィール:
    • 名門・小笠原氏の末裔(深志城主・小笠原長時の孫)であること。
    • 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という「戦国三英傑」すべてに仕えたエリート武士であったこと。
  2. 小笠原諸島の発見伝承(1592年〜1593年):
    • 家康から「まだ十分な恩賞(領地)を与えていないから、どこか良い島でも見つけてきたらお前のものにしていいぞ」と言われた。
    • 1593年、八丈島のさらに南で無人の島々を発見。
    • 地図を作って家康に報告したところ、家康が大変喜び、その島々を**「小笠原島」**と名付けて貞頼の領地として認めた。
石碑に埋め込まれている地図②

ただし、小笠原貞頼が現在の小笠原諸島を発見したという話は、18世紀になってから、貞頼の子孫を名乗る人物が、幕府に領有権を主張するために持ち出した創作(伝説)であるという説が有力です。とはいえ、この伝説があったからこそ「小笠原」という名前が定着し、幕末に日本が領有権を主張する際の根拠にもなりました。

出港パーティーとおがさわら丸のお見送り

私たちの滞在はまだ始まったばかりですが、一航海だけで帰る人にとっては、この夜が小笠原最後の時間。

出港前夜に行われるパーティーは、料理が通常より豪華になるだけでなく、皆さんが持っている一芸や、オーナー夫人による小笠原の歌が披露され、笑いあり涙あり、小笠原ユースホステルの名物となっています(なお、夕食料金は倍です)。私たちは素泊まりでの利用でしたが、出港パーティーは参加することにしました。

この日のパーティーでは、小笠原諸島の特産品「カメ煮」が振舞われました。カメ煮の「カメ」はアオウミガメのこと。小笠原では昔からウミガメを食す習慣があり、現在も島の文化として継続しています。なお、カメ煮はお店によって味が変わりますが、臭みや独特の食感があるので、好き嫌いは分かれるはずです。

■参考:ウミガメを保護しながら食べる島・小笠原

翌日は2025年4月17日、育休移住4日目もいい天気となりましたが、ほとんど写真が無いため、恐らく朝に少し宿のお手伝いをした後は、宿でブログを書いたりしていたんだと思います。ちなみに、朝食や昼食は持参していたパックご飯やパスタ(レンジでパスタを茹でられるタッパーを持参していた)です。

そして15時、東京行きのおがさわら丸が出港。小笠原と本土を結ぶ唯一の交通手段であるおがさわら丸の運航スケジュールは、基本的に6日に1便ということもあり、船のお見送りはいつも盛大に行われます。島にいる人が投げかける言葉は「さようなら」ではなく「いってらっしゃい」です。

島の一大イベントともいえるお見送りに参加することが出来るのは二航海以上滞在する人の特権です。おがさわら丸に並走してお見送りをする「見送り船」にも乗ることが出来ます(事前に「乗ってみたい!」と島の誰かに相談するのがおすすめ)。

二見港でおがさわら丸を見送った後は、宿の車でウェザーステーション展望台へ移動し、引き続きお見送り。次に島へ船がやって来るのは3日後。それまでは観光客の出入りもないので、島はしばし静寂に包まれます。

小笠原ユースホステルの出港日の定番といえばカレー。通称「出港カレー」という愛称で親しまれており、これがかなり美味しく、しかもおかわり自由なので、出港パ―ティーに続き、この日も夕食を頂きました。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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