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今回は「2019年 原付沖縄本島1周の旅」その2をお届けします。
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沖縄本島最北端・国頭村へ
2019年6月30日、原付で沖縄本島を1周するため、喜屋武岬から東村にあるサンライズひがしまでやって来ました。
出発から5時間が経過。この先はやんばるの東側を通る県道70号線を走り、沖縄本島最北端・辺戸岬を目指します。辺戸岬までの距離は残り46km。この辺りは渋滞や信号もなので、順調に走り続ければ2時間くらいで到着出来るはずです。
鳥の絵が描かれた標識が登場しました。この鳥は絶滅危惧種・ヤンバルクイナです。
どうやら音量が大きく、変わった鳴き声が特徴のようなので、耳を澄ませながらゆっくりと走ります。
路上に姿を表す可能性が高い時間帯は夕方。飛べない鳥で、寝るとき以外は地上を歩いて移動するため、車に轢かれてしまうことも多いようです。
やんばるの森と道路の境には、写真のように柵が張り巡らされています。これもきっとヤンバルクイナを保護するための対策…
と思っていましたが、この柵は米軍基地のキャンプ・ゴンサルべスのもの。米軍のホームページには「JUNGLE WARFARE TRAINING CENTER(ジャングル作戦トレーニングセンター)」と紹介されています。
米兵が訓練を行うほど深い森の中なので海も見えず。海を見ながら走るのが理想ですが、沖縄本島には海沿いを通る道が意外と少ないです。
こちらはパイナップル畑。日本でパイナップルの本格的な露地栽培が行われているのは沖縄県だけ。その中でも東村は特に栽培が盛んな地域です。ここでしか見られない景色と言えるでしょう。
道路に轢かれたハブがいるのも沖縄ならではのこと。また途中で、野良犬が私の原付に向かって突進してきました。実際にやんばるでは、野犬が人や希少生物を襲う事例が報告されており、問題になっているそうです。
そんな東村を抜けて11時、いよいよ沖縄本島最北端・国頭村に入りました。
こちらは道路沿いにあった阿波小学校。1893年創立という100年以上の歴史がある学校で、学校のホームページによると、2022年度は3人の児童が通っているそうです。
人口が増えている沖縄県ですが、やんばる3村は減少が続いています。やんばる東海岸は公共交通機関や全国チェーンのコンビニ・スーパー、そしてガソリンスタンドも無く、沖縄本島で最も不便な地域と言えるでしょう。
その一方で、昔ながらの沖縄が残されている地域でもあります。共同売店は集落各家庭の出資金で運営が行われており、食料から日用品、ちょっとした工具まで、生活に必要なものが一通り揃っているお店です。
車がない時代、遠くまで買い物へ行く負担を減らすために始まった共同売店。かつては沖縄各地にありました。現在は自動車とコンビニ・スーパーが普及し、その数はかなり少なくなっています。
久しぶりに海沿いへ出ました。GoogleMapにもビーチの名前は載っておらず、まさに穴場です。この名もなき絶景ビーチには、ちびっ子とお母さんがいました。しかし、ビーチへ降りるような道は見当たりません。
周辺を何往復かして、茂みの中に人が歩いたような跡を見つけたので、入ってみると…
ビーチへ降りるロープが伸びていました。足元は急斜面、しかも滑りやすいので、ロープを掴みながら降りていきます。
ビーチに上陸。せっかくなのでここで少し休憩。
そして、いよいよラストスパート。沖縄本島最北端・辺戸岬までは残り10kmです。
原付で辺戸岬到着!
こんなところにシーサーがひっくり返っていました。周辺に人家はないので、不法投棄でしょうか。
ヤンバルクイナの次に出てきたのは「カメ注意」 の標識。どんなカメが出てくるのでしょうか。注意して走らなければなりません。
いつの間にか県道70号線から国道58号線に入り、こちらを曲がるといよいよ辺戸岬です。
沖縄本島のほぼ最南端・喜屋武岬を出発してから約6時間半、沖縄本島最北端・辺戸岬に到達しました。なかなかの達成感があります…というよりも、達成感しかありません。
駐車場には立派なバイクがずらり。まるで暴走族が集結したかのように、皆さんなぜかエンジン音をブンブンと鳴らしています。その中にぽつんと置かれた私の赤い原付は、まるでライオンに囲まれた子牛のようです。
辺戸岬を観光 与論島が見えた
せっかくなので辺戸岬を観光します。
一般的に「沖縄本島」と呼ばれ、日本の法律上は離島扱いされないこともあり、「沖縄島」という正式名称は忘れ去られがち。沖縄島は本州・北海道・九州・四国・択捉島・国後島に次いで、日本で7番目に大きな島です。
こちらのマップの女性、辺戸岬から双眼鏡で何かを眺めています。何が見えるのでしょうか。
この日はうっすらと島影が見えていました。こちらは鹿児島県の最南端・与論島です。おそらくマップの女性も与論島を眺めているのでしょう。
沖縄本島と与論島は、海を隔てて23kmしか離れていません。国頭と与論は昔から交流が盛んだったそうです。
友好の証として辺戸岬に置かれているのが、与論島から送られた「パナウル像(写真)」。
与論島にも、国頭村から送られたヤンバルクイナの像があり、今も与論島と沖縄は関係の深い様子が伺えます。
戦後、沖縄がアメリカの統治下に置かれた時代には、この海が日本との国境となりました。辺戸岬には「祖国復帰の碑」も置かれています。
■ 参考:与論島と沖縄の関係
島の先端まで沖縄の風習が根付いている一方、与論島で沖縄文化は見られません。この海は文化の境界線にもなっているのです。
ただし、辺戸岬は沖縄県の最北端ではありません。沖縄最北端の地はここからさらに北にある硫黄鳥島。鹿児島県・徳之島の西に浮かぶ無人島で、一般人が上陸することは出来ません。
■ 参考:硫黄鳥島について
辺戸岬にはレストランや観光案内所が入った施設があるので、そちらで休憩。今度はここから沖縄本島の西海岸を走り、この日は予約していた名護のゲストハウスまで移動します。
原付沖縄本島1周は諦めました
名護までの距離は約50km。国道58号線は鹿児島から種子島・奄美大島を経由し、沖縄本島・那覇まで続く日本一長い国道です。
■ 参考:2021年 国道58号線を歩く旅
往路の国道331号線・県道70号線と異なり、国道58号線は名護市街地まで海沿いを走ります。振り返ると辺戸岬はすっかり遠くなっていました。
フクギ並木に囲まれたいい感じの集落を発見。こうした発見があるのも、のんびり原付で走って旅をする醍醐味です。
電線が無ければ、きっとこれが沖縄の昔ながらの風景なのでしょう。観光用に整備されていないこうした場所が、沖縄本島にも残されているとは全く知りませんでした…という感じで、この時の私は完全に油断しきっていました。
原付の後方から突如「バンッ、カカカッ」という音が聞こえたと思ったら、そのまま減速。エンジンはかかっていますが、アクセルを回しても、原付が加速しなくなってしまったのです。
たまたま近くにあった道の駅・ゆいゆい国頭へ避難し、原付の状態を確認。パンクでも無さそうで、原因は分かりませんが、とりあえず沖縄本島最北端の町・国頭村で私の原付は故障したのです。
近くに原付を修理してもらえそうなお店も無いので、名護まで原付を押して歩くことを決めました。国頭村のだいぶ南まで来ていたのが不幸中の幸い。歩き始めてすぐに大宜味村へ入りました。
名護までは26km。1時間4kmペースで歩けば、6時間半で到着する距離です。JAFを呼ぶことも出来ますが、会員ではないため、原付1台を運んでもらうにも数万円の費用がかかります。
さすがにそれは勿体ないので、出来る限りは自力で何とかしたいところです。ヤンバルクイナ・カメに続いて、今度は「カニ注意」の標識が登場しました。
道の駅おおぎみに到着。国頭の道の駅から約8kmも歩き、時刻は夕方5時。精神的にも肉体的にもここからが勝負と思って歩いていたら、1台の車が私の横に止まりました。
「ガス欠?どこまで行くの?」
「(私)故障です。とりあえず今日は名護まで」
「軽トラ持ってくるから待ってて!」
「(私)え、ありがとうございます!」
頑張っていれば奇跡は起きるものです。
声をかけてくださったのは、地元の中学校の先生。荷台に原付を載せて、私は助手席に座り、名護のゲストハウスまで送っていただけることになりました。
そんなわけで、無事に予約していた名護のゲストハウスへ到着。ドミトリーで1泊1,800円です。
夕食はコンビニで買ったもので済ませました。この日は運よくここまで辿り着きましたが、翌日は那覇まで帰らなければなりません。原付で沖縄本島を1周することはもう諦めました。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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